【エッセイ】ベチャベチャのみかん
「親として当然の責務ですから」
六歳の娘は、したり顔でそう言った。
まだ幼い娘たちは無邪気なもので、叱られたあと決まって「かわいいかわいいして!」と抱っこをねだる。
抱き上げながら私が「わたしたちは可愛がられるために生まれてきたもんね」と言うと、娘はどこかで聞きかじったその言葉を、堂々と返してくる。その響きは妙に立派で、一瞬、炎の柱にでもなるつもりかと思ってしまった。
ふと、この言葉について考えてみた。
「わたしたちは可愛がられるために生まれてきた」
言い換えれば、「大切にしてほしい」「愛してほしい」そんな願いだ。
それは子どもだけのものではなく、大人にもきっと必要な言葉だと思う。さすがに「可愛がれ」とまでは言わないけれど、「大切にしてほしい」と思うことは大人にだってある。
私の書く創作では、誰かが必ず、お茶や珈琲を勧めてくる。ときどき、カボスを差し出してくる強者もいる。
それは喉を潤すという意味だけではなく、重くなりすぎない程度に、「あなたを大切にしたい」という気持ちをそっと行動に移しているだけだ。
現実の私は、子育てや仕事や生活に追われ、家族に無理難題を突きつけられると、ついむっとしてしまうこともある。むっとした感情が一瞬、表情に出てしまう日もある。そのまま、かっとなってしまえば、後で自己嫌悪になる日だってたくさんある。
そんなときは、ほんの少しだけ値の張る珈琲を、自分のために淹れる。それだけで、その日を生きるぶんくらい、心が少し整う。
ある日、ふと、ふざけて、
でも、勇気を出して正直に言ってみた。
「かわいいかわいいして。ママも疲れた。」
娘は、猿のような手つきでむいた、ベチャベチャのみかんを半分差し出してくれた。
そのベチャベチャのみかんは、子どもになった私を抱きしめ、ぐるりと親に戻してくれた。
「親として当然の責務ですから」
あの子の責務は、今日も静かに、確かに果たされている。
そして、小さな手は教えてくれる。
「わたしたちは、可愛がられるために生まれてきたもんね。」
ただ、この小さな手を急いで拭くことも、
私の今日の責務だ。
だから、
とりあえずこの娘は心の中でぎゅっと抱きしめる。
榊編集室 mashiro
