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そのままにしておく|シロクマ文芸部

レシートに何が印字されているのか確認しないまま、私はその場を去った。

バスが渋滞に巻き込まれたので、乗るつもりの電車に間に合わず、苦手な路線のホームに降り、最後尾の後方に乗り込んだ。四人掛けのボックス席にほぼ同時に座ろうとした女性は、すぐに立ち上がり後方を凝視していた。私よりも二十歳ほど年上だろうか。

遅れてきた男性が向かいに座ると、彼女はすぐに飲み物を手渡した。彼がプルタブを開けた音が鈍く補聴器に入ると同時に、アルコールの匂いがマスク越しに鼻腔をかすめた。

時刻は午前八時三十五分を少し過ぎたばかりで、私はこれから会社に向かう途中だ。一瞬、席を立とうと思ったのだが、足の怪我の具合が気になり、このまま座り続けることにした。たった三駅で降りるし、気にすることはないと思った。

もう一度プルタブが開く音がして、女性の席からもアルコールが漂ってきた。おつまみの袋が次々と開けられ、二人の間だけ小宴会のようだが、空気にどこか重さを含んでいる。

缶はカバーに入れられており、銘柄が見えない。女性はそれを両手で包むように持っていた。愛らしさの演出にも、見えなくはない。あるいは、朝の電車内でアルコールを口にすることへの罪悪感だろうか。

顔を上げると、右斜め前に立っているサラリーマンが不快感を露わにしていた。なぜか二人を守るような気持ちで、私は座席にとどまり続けた。

男性が先に声を発し、女性がうなずきながら返事をしているようだが、私の聴力では会話を把握できない。秘密の共有にちょうどいい同席者かも知れないと自嘲したとき、女性の目から涙がこぼれ始めた。涙を拭い、また溢れてくる涙を拭う。隣に他者がいても止めることのできない涙は、三駅の間に五回ほど私の視界の端を流れ続けた。

夫婦や兄妹にしては、距離感が違う。人目を避けているような隠しきれぬ思いの重量感が漂っていた。道ならぬ恋なのか、それとも出会いなのか。再会よりは別れに近いような、あるいは、どちらでもないのかもしれない。

電車が減速し、アナウンスが流れる。車内案内表示器で駅名を確認し立ち上がろうとした時、女性の鞄から小さな紙片――レシートが足元に落ちた。

拾おうとすれば拾えたが、私はあえて気づかないふりをして出口に向かった。





今回もお遊び企画に参加させて頂き、ありがとうございました🍀


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