運命の糸
子供の頃、ゴリラのぬいぐるみが好きで毎晩一緒に寝ていた。黒くてつぶらな瞳が優しいふわふわのぬいぐるみだった。
ある夜、ゴリラの口元から毛糸が一本のぞいていた。指でつまんで引っ張ってみると“ずぼっ…”という音と振動とともに1cmくらいの毛糸が抜けた。それはゴリラの体毛だった。
あまりにも快感だったので、私は夢中で毟った。毟って毟って毟りまくった。爪で圧迫された指先が痛くなるほど毟り続けた。
気がつけばゴリラの顔は下地の白い布が剥き出しになっていて、顔の皮が剥がれたようになっていた。
私は泣いた。毎晩一緒に寝ていた友の変わり果てた姿を目の当たりにして、咽び泣いた。親友をそんな姿にした張本人が、紛れもなく私自身だという事実に後悔してもしきれなかった。後悔しながらも毛糸を引っこ抜く時の快感が忘れられないでいる自分に畏怖した。
両親に泣きながら治してくれと頼んだが、自分がやったことなんだから自分の責任だと諭され、ゴリラのぬいぐるみとは泣く泣くお別れした。
十数年後、突如として妻が私のアゴヒゲを抜くのにハマった時期があった。痛くて仕方なかったが、ゴリラへの贖罪として受け入れた。決してM気質だからではない。
ゴリラ。あの時のお前の気持ち、ようやくわかったよ。
「妻が楽しいなら…」と我慢しているけど、お前も僕のために我慢してくれていたんだね。ありがとう。
妻の手によって私のヒゲが一本一本引き抜かれていくたびに、ゴリラへの罪悪感が解きほぐされていく気がした。
妻は私のアゴヒゲを抜くのにハマりすぎて、私が不在の間に禁断症状が出ていたようだった。
ある日仕事から帰宅すると、家が静かなままで、妻の反応がないことがあった。
何事かと思いリビングの扉を開けると、そこには無言で一心不乱に自分の陰毛を抜く妻の姿が。
私は大笑いした。
ソファーに超絶浅く腰掛けて二重アゴになりながら下唇を突き出して陰毛を抜いている妻が、可笑しくて可愛くて。
呼吸困難になるほど笑われたことがよほど恥ずかしかったのか、妻は驚異的な精神力で禁断症状と闘い、陰毛を抜くことから足を洗った。今では陰毛を抜くことはない。たぶん。
それにしても、私も妻も抜くことにハマるとは。
なんだか運命を感じる。
私と妻の小指は、ゴリラの毛糸と私のアゴヒゲ、そして妻の陰毛で紡いだ運命の黒い糸で結ばれているのだろう。
