スマホを取り上げれば、子どもは学校へ行くのか-見えている問題を消しても、見えなかった問題までは消えない
子どもが学校へ行かず、朝から晩までスマートフォンを見ている。
動画を見て笑っている。
友達とは楽しそうに話している。
ゲームでは、何時間でも集中している。
その姿を毎日見ていれば、保護者が腹を立てるのは無理もない。
「学校へ行けないほど苦しいのなら、どうしてスマホは使えるのか」
「スマホがあるから、いつまでも生活が変わらないのではないか」
「取り上げてしまえば、することがなくなって学校へ行くのではないか」
そう考える日もあるだろう。
学校へは行かない。
勉強もしない。
けれども、スマホだけは手放さない。
親から見れば、いちばん目につく問題である。
だから、まずスマホを何とかしたくなる。
その気持ちはよくわかる。
ただ、ここで立ち止まって考えたい。
スマホがあるから学校へ行けなくなったのか。
学校へ行けなくなったあと、スマホから離れられなくなったのか。
外から見える姿は同じでも、順番が違えば、必要な対応も変わってくる。
スマホが生活を崩すことは、確かにある
スマホの使い方を心配すること自体は、間違っていない。
夜遅くまで動画やSNSを見続ければ、就寝時間は遅くなる。
通知が来るたびに画面を確認し、眠りが浅くなることもある。
朝起きられなくなり、昼夜が逆転する。
日中の活動量が減り、勉強や家族との会話に使う時間も少なくなる。
公的な睡眠指針でも、ゲームやSNSによる就寝時刻の先延ばしは、翌日の眠気や疲労を強め、朝の登校時刻に起きられなくなる睡眠・覚醒リズムの問題につながる可能性があるとされている。電子機器の利用について家庭内でルールをつくることや、寝室へ持ち込まないことも対策として挙げられている。
問題のあるSNS利用は、睡眠時間の減少や就寝時刻の遅れと関連することも報告されている。スマホの利用を何も制限せず、「本人が好きなだけ使えばよい」とすることが、いつでも子どものためになるわけではない。
利用時間を整える。
夜間は端末を寝室の外へ置く。
危険な投稿や課金を確認する。
現実の生活を圧迫している使い方には、きちんと線を引く。
これは必要な場合がある。
しかし、スマホに問題があることと、スマホを取り上げれば不登校が解決することは、同じではない。
原因なのか、結果なのか
学校へ行っていたころから、夜中までゲームを続けていた。
何度やめようとしてもやめられない。
睡眠や食事よりもゲームを優先する。
遅刻や欠席が増えても、利用を止められない。
そのような流れであれば、ネットやゲームの利用が生活を崩し、登校を難しくしている可能性を考える必要がある。
一方で、学校へ行けなくなったあとに、スマホの時間が増える子もいる。
学校へ行かないため、時間が余る。
友達と会えなくなり、オンラインだけがつながりになる。
不安や自己嫌悪を考えないため、動画を流し続ける。
夜になると翌朝が怖くなり、眠らないためにゲームをする。
学校で失っていた達成感を、ゲームの中で得ていることもある。
公的なネット・ゲーム依存に関する研修資料でも、「ネットやゲームの利用が先にあり、不登校へ至った場合」と、「不登校になったあとでネットやゲームの利用が増えた場合」は区別されている。後者では、利用行動だけを修正しても効果が出にくく、環境、人間関係、学習面を含む支援が必要だとされている。
つまり、
スマホが原因で学校へ行けない子もいる。
学校へ行けない苦しさを、スマホでしのいでいる子もいる。
両方が絡み合っている子もいる。
どれなのかを確かめる前に、端末だけを取り上げるのは、治療ではなく、目に見える行動を消しているだけかもしれない。
スマホを取り上げた翌朝に起きること
スマホを取り上げれば、その夜は早く眠るかもしれない。
翌朝、退屈になって学校へ行く子も、まったくいないとは言わない。
生活の乱れが大きな要因だった子なら、利用制限が一つのきっかけになることもある。
しかし、学校へ行けなかった理由が別のところにあれば、状況はそう簡単には動かない。
友人関係で傷ついている。
授業についていけない。
先生との関係に強い緊張がある。
教室の音や人の多さに耐えられない。
不安や気分の落ち込みがある。
身体の調子が悪い。
こうした問題は、スマホを取り上げても残る。
朝になれば、学校は昨日と同じ場所にある。
わからない授業も、会いたくない相手も、怖い教室も、そのままである。
スマホだけがなくなる。
子どもの側から見れば、学校へ行けない理由は何も変わっていないのに、家で苦しさをしのぐ手段だけを奪われたことになる。
その状態で、
「もう家にいてもすることがないでしょう」
「だったら学校へ行きなさい」
と言われれば、子どもはどう感じるだろう。
助けてもらったとは、感じにくいと思う。
家で笑っていることは、元気の証明ではない
不登校の子どもが、スマホを見て笑っている。
これは、親の心をかなり揺らす。
朝は具合が悪いと言っていた。
学校の話になると泣いた。
それなのに、昼には動画を見て笑っている。
仮病だったのか。
自分に都合のよいことだけしているのか。
そう思いたくなるのも無理はない。
しかし、人は苦しいときでも笑う。
不安がある人も、好きな動画なら楽しめる。
学校には行けなくても、自宅で一人ならゲームができる。
求められる力が違うからである。
学校では、決められた時刻に動く。
多くの人の中で過ごす。
指示を聞く。
周囲の速さに合わせる。
失敗を見られる。
自分がどう思われているかを気にする。
スマホは、自分で見るものを選べる。
嫌なら閉じられる。
疲れたら中断できる。
会話を始める時刻も、返事をする時刻も、ある程度自分で決められる。
学校で必要な力と、スマホを操作する力は同じではない。
スマホを使えているから学校へ行けるはずだ、とは言えない。
スマホは、最後に残ったつながりかもしれない
不登校になると、子どもの人間関係は急に狭くなる。
毎日会っていた友達に会わなくなる。
部活動から離れる。
先生とも話さなくなる。
外出する理由もなくなる。
そんな子にとって、オンラインの友達やゲーム仲間が、最後に残った社会とのつながりになっている場合がある。
SNSやオンライン上の交流には、いじめ、有害な情報、比較による落ち込み、睡眠への影響など、確かな危険がある。一方で、公的な心理学上の助言でも、子どもが親には話しにくいことを話せる場所や、支えになる交流がオンライン上に存在する可能性が認められている。全面的な放任ではなく、対話と見守り、年齢に応じた制限が重視されている。
スマホを取り上げることは、端末を一台取り上げるだけではない。
その子が誰かとつながっていた道まで切ることがある。
もちろん、そのつながりが安全とは限らない。
相手が誰なのか。
どのような場所へアクセスしているのか。
傷つけられていないか。
課金や危険なやり取りはないか。
確認は必要である。
ただし、
「オンラインの関係だから価値がない」
と決めつけるべきではない。
大人にはただのゲームに見えても、子どもにとっては、自分がまだ誰かに必要とされる場所かもしれない。
長時間使っているだけで、「依存」と決めない
スマホを何時間使ったかは、わかりやすい。
スクリーンタイムを見れば、数字が出る。
八時間。
十時間。
十二時間。
その数字を見れば、親は驚く。
ただ、利用時間が長いという事実だけで、その子の状態をすべて説明することはできない。
ゲーム障害は、単に長時間遊んでいることではなく、利用を自分で制御できないこと、ほかの活動より優先すること、生活上の不利益が起きても続けることなどが重要な特徴とされている。
学校へ行かず、ほかにすることがないため利用時間が増えている子と、生活全体が壊れてもやめられない子は、同じではない。
まず見たいのは、時間だけではない。
いつから増えたのか。
何をしているのか。
何を避けるために使っているのか。
使ったあと、少し元気になるのか、さらに消耗するのか。
やめるように言われたとき、どのような反応があるのか。
食事、睡眠、入浴、学習、人との関係が、どこまで失われているのか。
数字は入口にはなる。
しかし、診断にも、原因の説明にもならない。
取り上げる必要がある場面もある
私は、どのような場合でもスマホを取り上げてはいけないとは思わない。
明らかな危険がある場合には、大人が止めなければならない。
深夜までの利用によって、睡眠がほとんど取れていない。
高額な課金を繰り返している。
知らない相手と危険なやり取りをしている。
いじめや脅迫を受けている。
自分や他人を傷つける情報へ強く影響されている。
家族への暴力を伴い、端末の管理ができない。
こうした場合には、安全を優先する必要がある。
ただし、それでも、
「学校へ行かない罰として没収する」
ことと、
「安全や健康を守るために利用環境を変える」
ことは分けたほうがよい。
理由を説明する。
いつまでなのかを伝える。
何を改善すれば見直すのかを決める。
連絡手段を完全に断たない。
必要なら専門機関へ相談する。
取り上げること自体を、支援の完了にしない。
大切なのは、端末を奪ったかどうかではなく、その後の生活をどうつくるかである。
端末を取り上げても、空いた時間は埋まらない
スマホを一日八時間使っていた子からスマホを取り上げれば、八時間が空く。
大人は、その時間に勉強したり、運動したり、学校へ行ったりしてほしいと思う。
しかし、時間が空けば、自動的に望ましい行動が始まるわけではない。
何をすればよいかわからず、布団の中で過ごすかもしれない。
不安なことを考える時間が増えるかもしれない。
家族への怒りだけが強くなるかもしれない。
依存行動への対応についての公的資料でも、対象を安易に否定したり、短期決着を図ったりするのではなく、新しい生活の形や成功体験をつくる中長期的な支援が重要だとされている。
減らすなら、代わりに何を増やすのかを考える必要がある。
日中に外へ出る時間。
安心して話せる相手。
短い学習。
一緒に食事をする時間。
本人が興味を持てる活動。
昼間に楽しめる余暇。
睡眠指針でも、夜間の余暇を一方的に減らすだけでは、ストレスや気分の落ち込みにつながる可能性があるため、日中に別の余暇活動を確保する工夫が示されている。
「使うな」だけでは、生活は再建されない。
まず整えるなら、睡眠からでよい
スマホの利用を見直すとき、すべてを一度に禁止する必要はない。
まず、夜の使い方から整える。
就寝時刻を決める。
寝る少し前には、刺激の強い動画やゲームを終える。
充電場所を寝室の外にする。
朝はカーテンを開け、日光を浴びる。
昼間に少し身体を動かす。
親も食事中はスマホを置く。
家族全体のルールとして扱う。
公的な助言でも、家庭内のメディア計画、端末を使わない場所や時間、保護者自身が利用の手本を示すことなどが推奨されている。
子どもだけを管理対象にすると、
「親はいつでも見ているのに、なぜ自分だけ」
という不満が生まれる。
生活を立て直すなら、大人も少し変わる。
そのほうが、ルールは罰ではなくなる。
ルールは、親が勝つためのものではない
スマホの話になると、親子は勝負になりやすい。
隠れて使った。
約束を破った。
パスワードを変えた。
取り返そうとした。
親は、ここで譲ったら負けだと思う。
子どもは、ここで渡したらすべて支配されると思う。
こうなると、学校の問題より、スマホをめぐる戦いのほうが大きくなる。
親が端末の管理権を持つことと、親が子どもとの勝負に勝つことは同じではない。
決めるべきなのは、
親が何時間にしたいかだけではない。
睡眠をどれくらい確保するか。
家族の食事をどう守るか。
誰かを傷つける使い方をしないこと。
課金をどう管理するか。
学校や学習に必要な利用はどうするか。
友達との連絡をどこまで残すか。
守れなかったとき、どう見直すか。
本人の言い分を聞きながら、大人が最終的な責任を持つ。
これがルールである。
子どもの言うことをすべて認めることでもない。
大人の結論を従わせることでもない。
生活を守るために、一緒に扱い方を考えることである。
スマホを登校の交換条件にしない
「学校へ行ったら返す」
「勉強したら使ってよい」
「休むならスマホは禁止」
こうした条件は、わかりやすい。
学校へ行く行動を増やしたいという意図もわかる。
ただ、スマホが唯一の人間関係や安心になっている子には、強すぎる条件になることがある。
学校へ行けない日は、友達とも連絡できない。
苦しい日は、楽しみもすべて失う。
休むことが罰になる。
その結果、体調が悪くても言えなくなるかもしれない。
無理に登校し、家に帰って崩れるかもしれない。
大人に隠れて使うことだけが上手になるかもしれない。
学校へ行くかどうかと、スマホを安全に使うことは、分けて考えたほうがよい。
登校できない日にも、生活上のルールは守る。
登校できた日でも、夜中まで使ってよいわけではない。
学校への出席を、端末を取り戻すための取引にしない。
学校へ戻ることは、親からご褒美をもらうためではなく、本人が自分の生活を取り戻すためにある。
学校へ行けない日にも、学びはつくれる
スマホを取り上げて机へ座らせても、学習が始まるとは限らない。
どこからわからないのか。
どのくらい集中できるのか。
文章を読む力が残っているのか。
計算のどこで止まるのか。
それを見ずに、
「スマホをやめれば勉強できる」
と考えるのは乱暴である。
学習につまずいて学校へ行けなくなった子もいる。
授業がわからない自分を見せたくなくて、教室を避けている子もいる。
その子からスマホを奪っても、わからない問題は解けるようにならない。
学校へ行けない日にも、学びはつくれる。
一問だけ解く。
短い文章を読む。
興味のある動画から言葉を広げる。
オンライン教材を使う。
会話の中で、考えていることを整理する。
スマホも、使い方によっては学習や相談の入口になる。
端末を敵にするのではなく、生活を壊す使い方と、可能性を広げる使い方を分ける。
私は、そのほうが教育的だと思う。
見るべきなのは、スマホの奥にいる子どもである
スマホを取り上げる前に、確かめたいことがある。
使う時間が増えたのは、不登校の前か、あとか。
夜、何時まで使っているのか。
何を見ているのか。
誰とつながっているのか。
使っている間、どのような表情をしているのか。
使ったあと、元気になるのか、荒れるのか。
学校では、何が苦しかったのか。
学習の遅れはないか。
眠れない理由は、スマホだけなのか。
端末がなくなったとき、代わりになる活動やつながりがあるのか。
ここを見ずに、
「スマホが悪い」
と決めると、問題は簡単に見える。
簡単に見える分だけ、子どもの状態は見えなくなる。
スマホを取り上げれば、画面は消える。
部屋も静かになる。
けれども、子どもの中にある不安や恥ずかしさ、孤立、学習のつまずきまで消えるわけではない。
スマホがなくても過ごせる一日をつくる
最終的には、スマホ以外にも居場所があるほうがよい。
オンラインだけでなく、現実の人ともつながれる。
動画を見なくても、少し時間を過ごせる。
ゲーム以外にも、できたと思えることがある。
夜になれば眠り、朝になれば起きられる。
学びを完全には手放さない。
それは大切である。
ただ、その状態は、スマホを手から奪った瞬間に完成するものではない。
小さな生活を一つずつつくる。
昼間に起きる。
一緒に食事をする。
短い散歩をする。
少しだけ勉強を見る。
学校とつながる方法を考える。
必要なら別の場所で学ぶ。
困ったときに話せる相手をつくる。
そうしたものが増えるにつれて、スマホだけに頼らなくてよくなる。
目標は、子どもを端末から引き離すことではない。
スマホがなくても安心して過ごせる時間を、その子の生活の中に取り戻すことだ。
スマホを取り上げれば、子どもは学校へ行くのか。
行く子も、いるかもしれない。
しかし、それだけで行ける子なら、もともとの問題は比較的限られていたのだろう。
行けない子には、まだ別の理由がある。
その理由を見ずに、取り上げ方だけを強くしてはいけない。
見るべきなのは、子どもの手にあるスマホではない。
そのスマホの奥で、何とか自分を保とうとしている子どもである。
