藤川流のフシギ骨董品店
第一章
「これ、は……」
骨董店を父親から継いで、早五年。
藤川流は、仕事も軌道に乗り、順風満帆の毎日だった。
依頼も本当に時折ではあるが舞い込み、なじみのお客も増えたのだが、冗談ではないと思ったのは今日が初めてだった。
藤川の手元には、今しがた開いたばかりの木箱があった。
赤い血が手についたのかと、瞬間的に思う。
手を指先から手のひらまで、よく確認した。
人の血が仕事中に付着したのでは、たまらない。
念入りに点検して、藤川はようやく何の異常もないことを確認した。
木箱の外見は相当に古く、かなりの時間を感じさせる。
布団のように白布が敷かれており、中にしまいこまれたものを守っていた。
藤川は微かに震える指先を”それ”に近づけた。
気安く触りたいとは思わない。
ただ、仕事柄、どうしても手にしなければいけなかった。
木箱の中にしまいこまれたもの――それは。
――人魚のミイラ。
考えるのも怖いほどだった。
薄っすらと視線を”それ”に向け、頭の中に叩き込んだ知識と合致するものを探す。
今、眼前にある”それ”と合致するもの。
それは、他ならない人魚のミイラだった。
見る者を震え上がらせるかのような、苦悶に満ちた表情。
顔を引っ掻くように頬近くに添えられた大きな手。
右手は現存しているものの、左手はどこにも見当たらない。
腕の下には痩せたあばら骨が見えており、生々しさと不気味さがひどい形で共存している。
下半身は鱗に覆われ、足の代わりに魚のような半身が尾びれへと続いている。
時がたっても艶やかさを失わないその半身は、どこか見てはいけないほの暗さと禁忌を放っており、見た者の時を止めてしまうかのようだった。
上半身はさすがに干からびているものの、まさしく、本で見た人魚のミイラそのものだった。
藤川は開けた木箱の中身に、眩暈がしそうだった。
確か、依頼人の話では古い人形と聞かされていたはずだ。
それが、なぜこうなったのか。
藤川は急いで店のパソコンに駆け寄り、依頼を記録した帳簿ファイルを画面上から呼びだす。
三週間前の日付の欄に、依頼の品についての記載がある。
三月十五日 午後三時 依頼品:古い市松人形 個数:一点
顧客名:佐藤 松見
依頼人から、二週間前に電話連絡を藤川は受けていた。
急な交通事故にあい、帰らぬ人となった訃報の連絡だった。
現在は葬儀も終わり、娘の松葉が依頼主となっている。
現在の依頼主が店に送ってくれた品が、件の人魚のミイラだが、どうやら情報が混戦していることに藤川は戸惑った。
以前の依頼人が他のものを送る気だったか、嘘をついたか、それとも遺産相続の際に、依頼が深く関わるような事態になってしまったとか。
藤川は様々なことに考えをめぐらせるが、少しもヒントを得られないままだった。
藤川は困惑し、帳簿を見つめる。
これから先、どうしようかと迷っていた。
再び、人魚のミイラのそばに行くと、藤川は木箱の底近くに沈んだ一枚の書付を見つける。
慎重に手袋をつけたまま、その書付を箱から取り出す。
書付を広げて、内容を読んでみた。
『形代は、真の願いのみ聞き入れるものである。
ただし対価なく願う者には容赦せず。
真の願いは対価を捧げることによって成就せり。
対価を捧げぬ者は形代によりて報いを受けぬ』
荒々しい墨跡で先のようなことが書いてある。
戸惑いを見せていた藤川の表情に戦慄が走る。
――願いを叶える人魚のミイラ。
冗談じゃない。
こんなものは売りものにもならない。
呪われた、いわくつきの品じゃないか。
人魚のミイラの苦悶の表情が、途端に忌まわしい叫びを上げているようにも見えてきた。
書付を頭から信じて願ったりなどしたら、魂さえ取られそうだと藤川は思った。
昔に読んだ、ある知識が脳裏をかすめる。
――猿の手さま。
ある家には、代々、猿の左腕だけが伝わっており、その手に願えば、願いはすべて叶っていく。
ただし、叶えてくれる願いは三つだけ。
しかも、願いを叶える度に、とてつもなく手痛い代償を取られるという話だ。
だが、この話には実はオリジナルの物語があり、それがイギリスの作家、W・W・ジェイコブズが1902年に発表した『猿の手』という怪談である。
この怪談は世界中で手を加えた話が出回り、日本でも舞台設定や人名を変えた話で伝わっている。
願いを叶える人魚のミイラは、これらの話をどこか思い起こさせる。
猿の手さまに願えば、望みは叶えられる。
だが、その代わりに手痛い代償を取られることになる。
藤川は、前の依頼人について考えた。
彼が急死したこと、それは何かしら、この人魚のミイラに関わることなのではないだろうか。
まさか、依頼人自身が身を滅ぼすような大きな願いを人魚のミイラにしてしまったとか……。
そこまで考えて、藤川の背筋に寒気が走る。
この骨董品に触れることは、良くないものを引き寄せてしまうのではないか。
藤川は散々迷ったが、まずは以前の依頼人である佐藤松見の家へ連絡することが大切だと考えた。
彼には今も生きている妻がおり、家の電話番号にかければ、必ず出てくれるはずである。
妻がなんでも知っているとは限らないが、人魚のミイラに関して、何らかの情報を持っている可能性がある。
藤川はパソコンのそばに置いてある店の電話に手を伸ばし、佐藤松見の妻へと電話をかけた。
じりじりしたような気持ちで誰かが受話器を取ってくれることを待っていると、高齢の女性の声で「はい、佐藤です」と聞こえた。
藤川は、ぱっと気持ちが幾分晴れたように感じた。
「もしもし、佐藤さんですか? 私、藤川骨董品店の藤川流と申します。いつも、お世話になっております」
「はいはい。骨董品店の方ね。夫より聞いていましたよ。なんでも、藤川さんは良い目を持っているとか。頼りにしていい人だって言っていましたね」
「佐藤さんが、そんなことを? ありがとうございます。嬉しいお言葉をいただき、大変光栄です。
あの、恐れ入りますが、お電話口の方は佐藤松見さんの奥様でよろしいでしょうか」
「はいはい、そうですよ。何かありましたかねぇ?」
「それがですね、送っていただいた箱の中身なのですが、以前の依頼人、佐藤松見さんが依頼していた品物と違いまして――。
佐藤松見さんは、生前に古いお菊人形を依頼していて、こちらでも記録を取ってあります。
大変失礼に聞こえるかもしれませんが、送ってもらった箱の中に人魚のミイラが入っておりましてね、こちらは、依頼された品物ではないものを送られたということで、よろしいでしょうか?」
しばらくの間、妻の返答が途絶える。
藤川は戸惑いを深めたが、声をかけようと口を開きかけたときだった。
「あの、こちらの品は――」
「いえね、その人魚のミイラを藤川さんのところに依頼したと松見は申していましてね」
妻の言葉に藤川は驚いた。
電話口にいる相手に重ねて問いかける。
「すみません、少し話が見えないのですが、佐藤松見さんは人魚のミイラを私のところに依頼したのですか? その件はこちらでも、確認できていないのですが」
「ああ、そうだったんですね。いえね、松見も具体的に言い出せなかったとは言っておりましたよ。
骨董品とは言え、呪いがかけられたようで気味が悪いし、いわくつきの品と判断されれば、藤川さんのところでも引き取ってもらえないのではないかって」
「ああ……ああ、そういうことだったのですか」
藤川は、やっと事情を把握し、手元で素早くメモを取った。
「つまり、佐藤松見さんが、お菊人形を依頼したのは嘘――
いや、言い出しにくかったということでしょうか」
「……そういうことでしょうね。松見も少し頑固で気難しいところがありましてね。季節によって穏やかなときと頑固になるときと、交互に性格が入れ変わるようなときがありまして。
人魚のミイラに関しても、その品物を大切に思うときと憎く思うときと、二つの考えが松見の中に存在しているように感じました」
「なるほど、そういうことでしたか」
藤川は相槌を打ち、依頼人の妻の話に聞き入った。
けれども、妻は急に大きなため息をつき、悲しそうな声で言った。
「でもね、藤川さん。松見が藤川さんのところで依頼をしてすぐに、松見は交通事故にあってしまった。悲しいことですよ。本当に。
あの人魚のミイラを手放さなければ、もう少しの間、松見も生きることができたのかしらって。
今さら言っても仕方のないことですけれどね。
ええ。
本当は、人魚のミイラも松見のそばを離れたくはなかったのかもしれません」
「それは……」
藤川は言いかけて、その後を言うのを止めた。
代わりに、ごく事務的なセリフばかりが口をついて出てきてしまう。
「様々な事情につきまして、話していただき、ありがとうございます。
今回の依頼はこのまま進めさせていただきますが、しばらく時間がかかることを、あらかじめご了承ください。
鑑定が終わりましたら、再度お電話させていただきます」
「そうですか。藤川さん、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。はい、失礼いたします」
電話が切れて、藤川は片手をぐっと握りしめた。
依頼を引き受けたものの、言い知れない重圧のようなものが彼の心を占めていた。
言葉にはできない予感。
それが彼の心を苦しめ、のしかかっていた。
第二章
藤川骨董店のドアベルが微かに鳴った。
客が一人、店内へと入ってくる。
初老の男性で、いかにも骨董品には興味があるように見えた。
藤川は笑顔とともに客を迎え入れる。
「いらっしゃいませ。何かお探しであれば、遠慮なく申しつけてください」
客は手に袋を持ち、藤川に示すように見せた。
「ああ、ご主人。少しね、見てもらいたいものがあるのだが、よろしいかね」
袋を開け、中から茶色にくすんだ銅銭を数枚、客が取り出してみせた。
「寛永通宝だよ。この前、親から継いだ蔵を片付けていたら出てきてね。
どうせ、大した値はつかないだろうと思ったが、何枚かあるものでね。
どうしたものだろうかと、ここに持ってきた次第だよ」
「わかりました。少し見せてください」
藤川は手袋をつけ、銅銭をそっとつまんで持ち上げた。
しばらくの間、銅銭を見つめてはいたが、その目つきが急に変わる。
客に嬉しそうに声をかけた。
「これは――『古寛永』です。お聞きになったことはございませんか?」
「……普通の寛永通宝ではないのかい?」
客が少し首を傾げ、藤川は言った。
「ええ。普通の寛永通宝は江戸時代に大量に鋳造されたもので、値はほとんどの場合つきません。ですが、これはちがいます」
藤川は銅銭の表面を示す。
ある一字が普通の寛永通宝と異なっているからである。
「よく見てください。寛永通宝に旧字で書かれている『寶(宝)』の字。
この字の『貝』の下の部分が『ス』に見えるのが古寛永。
新寛永では『ハ』のように記されています。
寛永通宝は寛永13年の1636年から本格的に鋳造が始まり、万治2年の1659年までのものは古寛永と呼ばれます。幕末まで長期にわたり鋳造されましたが、種類が多く、質や重量等にかなりの差異が見られます。古寛永は現在では流通が少なく、現存数も限られているのです」
「なるほど。寛永通宝にも、そんな違いがあるのだね」
客の方も浮き立つような声音で言う。
「それで、額の方はおいくら? 少し値が付くのかい?」
「いえ、値が付くも何も、保存状態も悪くはありませんし、これならば十万はくだらないでしょう」
「じゅっ、十万だって?」
客が大きな声を上げる。
藤川がうなずいた。
遅れてやって来た嬉しさとともに、客がゆっくりと持ち込んだ品へと視線を向ける。
「驚いたよ、そんな値がつくなんて。骨董品も馬鹿にはできないな。
ご先祖様が蔵にしまいこんだものが……いやぁ、こんな結果になるなんて」
「思わぬところに宝があった、ということですね。なんだか嬉しくなりますね」
「ああ、本当に」
客はそう言うと、会計を手早く済ませ、藤川に向けて言う。
「今日はありがとう。ここへ来て、本当に良かったよ」
「こちらこそ。お売りしたいものがあれば、ぜひ、またいらしてください」
客は軽く会釈すると、店のドアより帰って行った。
藤川はその後ろ姿に礼をし、ふと心の底が温かくなるのを感じた。
その日も仕事をこなしている間に勤務時間は素早く過ぎていき、店を閉めた後に、藤川はある場所へと向かっていた。
それは、現在の依頼人である佐藤松葉のところである。
当然、人魚のミイラについて尋ねなくてはならなかった。短期間に依頼人が変わっているため、本当に依頼の品はこれで正しいのか、確認する必要があった。
藤川は車を近くの駐車場に停め、携帯を取り出して住所を確認した。
彼女の住所を見て知ってはいたが、木造の、今では珍しいアパートの二階に彼女は住んでいた。
決意を固め、藤川はアパートの呼び鈴を押す。
少しやつれてはいるが、現在の依頼人である佐藤松葉がドアの奥に姿を見せた。
彼女は、そっと軽く藤川に微笑んだ。
「藤川さん、お待ちしていました」
松葉はそう言うと、室内へと藤川を上げた。
藤川は会釈をした後に玄関口へと入る。
室内は片付いており、一人暮らしの女性が手入れを怠らずに住んでいることが見てとれた。
ただ、それも玄関から少し先まで、のことである。
藤川は息をのんだ。
部屋の奥は、異様な雰囲気に包まれている。
辺りには皿が散乱し、ある皿は割れたまま、ある皿はひび割れて床に落ちている。
辺りをただよう空気は、心なしか冷気が混じっており、書棚からは本が落ち、時計や空の花瓶が床を転がっている。
「これ、は……」
藤川は驚きに目を見開き、見たことを把握するだけで精一杯だった。
「おかしい、ですよね……」
なぜか少し涙ぐみながら、松葉は言う。
「最近、部屋の中でおかしな現象が立て続けに起きて、自分でも、どうしようもなくなっていたんです。
単に、この部屋が事故物件だったのかもしれない。
それとも――」
言葉をにごすように松葉が言うのを見て、藤川が言った。
「もしかして、それは……」
「ええ、そうなんです。
藤川さんもお気づきですよね」
松葉がうなずいた後に言った。
「人魚のミイラ。あの骨董品が、すべての災いのもと、なのかもしれません……。
わたし、もう本当に、どうしたら良いか――」
松葉が顔を両手の中にうずめる。
続いて、忍び泣くような声が聞こえた。
藤川は、泣き始めた彼女をなだめるように、声をかけた。
「落ち着いてください。人魚のミイラが起こしたという現象について、もう少しくわしく教えてくれませんか」
「ええ、わかりました。でも……」
パリン。
軽い音が聞こえて、藤川は音のした方へと視線を向ける。
そこには、真新しい皿が床に落ちて割れていた。
「きゃああああぁぁぁっっ」
松葉は蒼白な顔つきで叫び声を上げた。
藤川に向き直り、割れた皿を指さしながら言う。
「やっぱり! 全部、全部、あの人魚のミイラのせいですよ。藤川さん! あの人魚のミイラを遺産として引き継いでから、全てが始まったんです!怖い……。怖い怖い怖いっ! 藤川さん、あの人魚のミイラを早く売り払ってください! そうでなければ、わたしはずっと、このまま人魚のミイラに呪い殺されるんです!」
まさか、そんなはずは。
そう藤川は言いかけた。
だが次の瞬間、藤川の目の前で、一枚の皿が宙を舞った。
皿は舞ったまま、松葉のそばに落ち、パリンと音を立てて割れた。
藤川は、その様子に一瞬で恐怖に包まれた。
見えない力。
おかしな力。
異常な力。
それらが、この部屋を包み、呪われた品の持ち主を苦しめ、取り殺そうとしている。
「うぅっ……!」
藤川は激しい頭痛におそわれ、片手で頭を押さえた。
今は仕事中だ。
倒れることなどできない。
そう思っていても、今では急な吐き気すら覚える。
どうなっているんだ。
これは、本当に呪いなのか――。
突然、藤川の視界がマーブル模様のように、混沌とした、一体化した色彩の渦へと変化する。
はっきりと意識をつなぎとめることすら難しい。
藤川は落ち着かせるように、何度も荒く呼吸をくり返した。
耳元に何者かの囁き声が聞こえる。
――捧げよ。
願いを叶えんとする者。対価を捧げよ。
捧げること能わずとき、そのときは――
藤川の意識はもう、その囁きの続きを聞くことはなかった。
すべてが混沌とした渦を描き、藤川の意識を朦朧とさせ、泥のように深い意識の奥へと突き落とし、覚醒は風のように消え去った。
すべてが大きな闇のように彼を取り巻き、呑み込んでいった――。
第三章
……さん、藤川さん……。
どこからか声が聞こえる。
藤川は何度か目をしばたたかせる。
暗い視界は、まぶしい光に慣れることができないでいる。
「……藤川さん! 伯父さん!」
かなりの至近距離から声が投じられる。藤川は、ようやく目を開け、声が発せられた辺りに視線を向ける。
そこには、見慣れた親戚の子が椅子に座って、心配そうに藤川を見つめていた。
ぐったりと全身が重く、腕や足を動かすにも、普段の何倍もの努力を要する。
消毒液の匂いが鼻をくすぐる。
どうやら、藤川がいるのは病院の一室であり、白い天井と清浄な空気、清潔なベッドシーツがその証拠だった。
あの後、佐藤松葉の前で倒れ、病院へ運ばれたのだろう。
初めて心霊現象を直視したとは言え、客である松葉に迷惑をかけたことに、忸怩とした思いを覚える。
「大丈夫ですか、伯父さん。体の方は――」
甥っ子の昴也が身を乗り出して言う。
「お客さんのところで倒れたって聞いて。お客さんも、さっきまでここにいたのですが、伯父さんのことを心配しながら帰ってしまいました」
「お客さん――佐藤松葉さんが? それは……」
体を持ち上げ、半身を起こそうとしたが、どうにも体がいうことを聞いてくれない。
藤川は顔をしかめた。
「ああ、まだ起きない方が良いです。
もう少し、休んでいた方が良いですよ」
「でも……」
「安心してください。僕は高校生でお店の経営はできないですが、手助けくらいはできますよ。言ってもらえれば、しばらくの間、お店を休業するように紙を貼っておきます」
「ああ、そうか……」
藤川は少しの間、言葉を探していたが、やがて、あきらめたような口調で言った。
「では、その仕事を頼もうかな。本当に悪いね。迷惑をかけて」
「伯父さん。こういうときは、もっと周りを頼りにすべきですよ」
昴也はすぐに携帯を取り出して、何やら検索している。デジタルネイティブ世代は、こういうところが恐ろしい。大方、店を休業するための例文をインターネットで探しているのだろう。
手早く携帯に何かを打ち込み、昴也が、ぱっと顔を輝かせて藤川を見た。
「もう、お店に貼る文書は印刷可能な状態にしておきました。あとは、コンビニに立ち寄って紙を印刷して、お店に貼るだけです」
「ありがとう、昴也。わざわざ、すまない」
「いいんです。こういうの、今はすぐにできる時代ですから」
にこっと笑う昴也に、藤川は大いに救われた。
現代は急速に技術が発展した時代で、テクノロジーのネガティブな側面がしばしば語られる。
だが、昴也のように、発展した技術を積極的に活用することで、生活を劇的に向上させることも可能なのだった。
それを今さらのように気づかせてくれた昴也は、藤川にとって非常に頼りになる存在だった。
「……ただ、今回ばかりは、仕事を全うできるのかどうか、良く分からないな。あまり恥ずかしいことは言いたくないが、今回持ち込まれた品物を鑑定するのは難しいかもしれない」
「……どういうことですか?」
昴也が不思議そうな顔をして訊いた。
「いや、呪いの人形だとか映画にもあるだろう。そういうものが現実にもあるとは、初めて知ったよ」
藤川は一旦、言葉を切った。
「佐藤松葉さんから持ち込まれた人魚のミイラ。あれは、誰も触っていけないものだ。触れば、必ず不幸にあう。松葉さんの部屋で、私は信じられない光景を見た」
「伯父さん……」
昴也は、とても心配そうな表情で藤川を見つめた。
その表情を見て、藤川は若い彼の期待を絶対に裏切ることはできないと思った。過去を思い出せば、なおさらだった。
今まで、昴也が藤川の骨董品店を度々訪れていたのは、どうしてか。それは、彼もまた、骨董品を強く愛しているからだった。
藤川は昴也を見て言った。
「冗談だよ。私も年を取ったかな。かなり言い過ぎた。今、言ったことは忘れてくれ。しばらくの間、何かお店にあれば、昴也に頼らせてもらうよ」
「はい! まかせてください!」
昴也が息せき切って言った。
どうやら、そう言われることを、ずっと待っていた様子だった。
「学校帰りにお店の手伝いしますよ。僕も骨董は大好きですから!」
昴也の思わぬ真剣な表情に、藤川は胸を突かれる思いだった。
彼のような存在がそばにいてくれるのは、天啓だとすら思った。
「ああ、ありがとう――」
藤川はゆっくりと微笑み、昴也の協力に感謝してもし尽せない思いだった。
だが、人魚のミイラを取り巻く事態は、藤川の思わぬ方向へと進んだ。
一日経った日の午後、店のメールアカウントを注視してくれている昴也が、藤川に連絡をしてきた。
彼のメールによれば、なんと佐藤松葉の家で水道工事をした際に、動物のものか人間のものか特定できない骨が、床下に見つかったそうだ。
骨は脊髄の一部であり、いまだ持ち主の特定はできていない。
その上、松葉が住んでいるアパートの近くには、古い祠が建っている。
運悪くと言うか、近くに商業施設が建つ予定であり、祠の取り壊し作業が行われていた。
近隣住民の一部は反対していたが、建設は、その意思を無視したまま行われた。
すると、作業員が工事を進める中で怪我を負い、工事は一旦、中止することとなったという。
「これって、本当に人魚のミイラによる”呪い”ですか?」
昴也が送ったメールの最後には、そう書かれてあった。
藤川はその一文を読んで、どうすべきか迷ってしまった。
人魚のミイラ。それは災厄を振りまく、強力で危険な存在となっている。仕事だからとは言え、触れてしまった藤川さえも容赦なく巻き込んだ。
ただ、人魚のミイラは依頼人だけではなく、今では他の人達にも不幸をもたらしている。
いわれのない、不幸の連鎖。
そのことに、藤川は我慢がならなかった。
藤川は病院から退院の承諾をもらうと、すぐさま、工事が中断された祠へと向かった。
この件は、すでに町の噂ともなっており、『祠の神様の祟り』だと、まことしやかに言われていた。
話を聞く限りでは、近いうちに取材陣が押しかけるかもしれないとも噂されている。
藤川は交通量の多い道路を陸橋で渡り、祠へと近づいた。
祠の近くには、祈りを捧げる二人の学生の姿がある。
藤川が近づくと、二人は後ろをふり向いた。
二人の顔はよく似ており、どうも姉妹ではないかと藤川は思う。
「あの、すみませんが、少し尋ねたいことがあります――」
日頃であれば絶対に訊くことのない存在であろう姉妹に、藤川は自身の考えをまとめ、二人に伝えた。
第四章
藤川は、駐車場の精算機に近づいて、吐き出されたチケットを受け取った。
玄関口で気を失い、佐藤松葉には大変迷惑をかけている。緊急通報をかけてくれたのも松葉だった。依頼について尋ねる件が中途半端に終わったこともあり、お詫びもかねて、訪問の予約を取りつけていた。
藤川は、松葉の住んでいる部屋へ行くと、呼び鈴を鳴らした。
すぐさま、ガチャと音がしてドアが開く。
依然として、やつれた表情をしている松葉が、そこにいた。
「――ああ、藤川さん。この前は大変でしたね。心配していました」
「緊急通報をしてくれた上に、病室にまで来てくださったようで、ご迷惑をおかけしました。大変すみませんでした。あの後は、何か起こりましたか?」
「ああ、それが……」
松葉は落ち着かない様子で部屋の奥を見た。
「変な骨が床下から出てきてしまったでしょう? 今はビジネスホテルに宿泊しています。藤川さんが来るときだけ、ここにいるだけです。もう、この部屋で落ち着いて生活することができないものですから――」
「そうでしたか」
松葉は藤川をドアの中に招き入れ、藤川は玄関口に立ったままでいた。
視線を部屋の奥に向ける。部屋は片付き、前回のような荒れた様子は全くなかった。
ただ、一人でこの部屋にとどまるのは、相当辛いものがあるだろうと藤川は思う。
「ところで、松葉さん。近所の祠に何が起こったか、ご存じでしょうか」
「――祠、ですか?」
松葉が戸惑うように言った。
藤川の質問に対する意図を図りかねている様子だった。
「ああ、噂で聞いています。なんでも、工事中に作業員が怪我をして、工事が中断しているとか。やっぱり、あれも――」
松葉が怖々と言葉を切った後に言った。
「やっぱり、人魚のミイラのせいなんでしょうか。祠の神様が具体的に何なのか、わたしはよく知らないですが、確か水に関係する神様だったと――」
「そのことなんですが」
藤川は落ち着きはらったまま言った。
「工事の作業員に、何かを、あなたから渡していませんか? たとえば――飲食物なんかを」
松葉が一瞬、驚いたような顔をする。
だが、そのまま、わけが分からないといった表情で藤川に言った。
「藤川さん、何を言っているんですか? わたしは現在、ビジネスホテルに泊まって生活していると言いましたよね。祠を訪れるはずないですよ」
「そうとも言い切れないです」
厳しい口調で藤川は言った。
「あなたが、工事の作業員に飲食物を渡すのを見た人がいる。その後、作業員は日頃とちがう感覚におちいり、怪我をすることになった。
一方、作業員は『祠の祟り』を強く意識したために、怪我の直接の原因があなたであるとは思わない。
これが、どんな意味を持つか、わかりますか」
松葉は口をつぐんでいる。藤川は構わずに話し続けた。
「――松葉さん、正直に言ってください。
工事の作業員が怪我をしたこと。これは、あなたが仕組んだことだ。
それだけじゃない。骨が床下から出て来たこと。これも、あなたが仕組んだことだ。
さらに、私に見せた、この部屋で起こった心霊現象の数々。これらは全部あなたが思い描き、実行したことだ。
理由は単純です。私に送った人魚のミイラを普通ではない、いわくつきの品物に仕立て上げたかった。噂が噂を呼べば、人魚のミイラの価値は勢いよく跳ね上がる。あなたはそう考えて実行した。私を巻き込み、工事の作業員を巻きこんでも、計画は絶対にバレない。そう考えて進んで実行した。
そうでしょう、松葉さん」
松葉の視線が藤川の顔から落ち、ぼうっとした表情へとなる。物思いに沈んだような顔つきだった。
だが、それも一瞬で変わる。人を舐めたような悪人の顔つきへと。
「あーあ、何でバレちゃったのかなぁ……? どこで、藤川さんに気づかれちゃったんだろう。優しそうだから、騙されてくれると思ったのに」
肩に落ちた髪の毛先を、松葉は器用にくるくると指で巻き取った。
ちらっと藤川の方を嘲笑うように見る。
「もっとお金ほしかったのに」
「どういう意味ですか?」
藤川は抑えていた感情が心の中で荒れ狂うのを感じた。
松葉のこの態度。それも決して許容することはできなかった。
「どうって、そのままの意味だけど。あんな不気味で状態も悪いミイラ、高値で誰かに買い取ってほしかったのよ」
「そんな、そんなことのために――」
藤川は無理やり感情を抑えつけていたが、今回ばかりは、どうにも抑えることができなかった。
どうしても、松葉に伝えたい思いがあった。伝えなくてはならなかった。
「そんなことは、間違っていないでしょうか。呪いや祟り。これらを自由に操って、あなたの金銭欲に利用するなんて、そんなことは絶対におかしい。
あなたが受け継いだもの。受け継いだ骨董は、そんなことのためにあるんじゃない。お父さんが、あなたに骨董を引き継いだのは、そんなことをさせるためではありません。
そんな風に、お金のためだけに骨董品を"いわくつき"にして、利用するのはもう止めてください!」
松葉は藤川を見て、嘲笑うように言った。
「そんなことを言われて、引き下がる女だと思う? わたしのこと。
お皿を割ったのも、わたし。工事関係者が怪我するように仕組んだのも、わたし。全部、わたしがしたこと。
そうだ、藤川さんなら、願いに関する書付を偽造したのもわたしだって知っているよね。
どう? 涙ぐましい努力だと思わない?」
松葉は不敵に笑った。
「全部、人魚のミイラの”いわくつき”な部分を高めるためよ。それさえできれば、あとはどうだっていいの。
全部仕組んで、高く売れるかなぁなんて思ったのにさ。
藤川さんのせいで、わたしの努力がぜーんぶ、水の泡」
くすっと笑いながら、松葉はなおも言葉を続けた。
「そもそも、あの人魚のミイラ。あれだってね、昔の日本人が外国の人を騙すためにつくりあげたもの。確か、江戸時代から大正時代くらいまでの間に。
――ああ、わたしだってね、それくらい事前に調べて知っているの。あなたが思っているより、馬鹿じゃないから。
人魚のミイラの上半身は布と紙でつくって、綿を詰める。生身の人間そっくりに見せる。
下半身は魚を使い、目を疑うような、本物そっくりの人魚のミイラをつくりあげる。
こんなに苦しそうな表情をしているのも、どうしてかわかる?
全ては、職人が、これは本物の人魚のミイラだと相手に信じ込ませるため。疑いの余地が全くないくらいにね。
昔から人間は、“いわくつき”のものに弱いし、こういうものにだまされやすい人は必ずいる。外国とか外国じゃないとか関係ない。
でもね、藤川さんを騙せなかったのは大ショックかな。こういう事態は予想外」
茶目っ気たっぷりに言う松葉を、藤川は冷たい目で見下ろした。
こんな感情を客に抱くのは初めてだった。
「あなたの言いたいことは、それだけですか? 今まで私は父の骨董品店を継いで仕事をしてきましたが、こんな嫌な気持ちになったことは初めてです。私も、お客様には誠意をもって仕事をしてきたつもりです。
それなのに、わざと“いわくつき”の品をつくりたかった? “いわくつき”の人魚のミイラを仕立て上げたかった? あなたの言うことには付き合いきれない。
骨董品というものは、情熱をかけて向き合っている人が世の中にたくさんいます。
僕は――僕は、骨董好きの甥っ子だけには、あなたのような人間の吐く言葉を聞かせたくない。絶対に」
ニヤッと松葉が嗤う。
藤川の言う言葉も、松葉にとっては、さっと流れる微風の動きにしかならなかった。
「いきなり、何で正義の味方みたいなことを言うの? 藤川さんったら。
さっきも言ったでしょう? この人魚のミイラはね、最初から外国の人を騙すためだけにつくられたって。それを鑑定して金額までつけるのが、あなたの仕事。
そう言う意味では、あなたもわたしも、どっちも同じなのよ。同じ穴の貉って言うの?
ねぇ? そういう因果な商売なのよ。わたしのしたことも、あなたの仕事も。正義の味方面してもね、あなたは結局、人魚のミイラをつくった人と同じなの」
松葉は虫の羽根を残酷に千切るように、藤川の言うことを一つ一つ否定した。
彼女には、何も伝えることができないし、何も伝わることがないと藤川は思う。
この人には、何もわからない。人間の感情や思いなど何も――。
「私には、あなたの言うことは何も理解できません。今後も理解できることはないと思います」
「えぇ、そう? わかってくれなくて残念。でも、あなたがどう言おうともね、現在の依頼主は、このわたし。
だから、今回ばかりは高値で買い取ってもらうのは止めようかな?
その代わり、定価で買い取ってもらうことにしましょう。本当は、もっと“イロ”をつけて買い取ってほしいけど……」
まだ言っている。藤川は松葉の言うことに怒りが湧いて仕方がなかった。
けれども、その怒りを松葉に叩きつけるのは藤川ではない。
彼女を罰することは、藤川にはできないのだ。
突然、足音が背後から聞こえて、呼び鈴が鳴らされる。ドアを叩く音がする。
次いで、室内に響くような声が聞こえた。
「佐藤松葉さん、ご在宅ですか! 警察です」
「まさか、何で――」
松葉の瞳の瞳孔。それが急激に開いた。人間のものではなく、ガラス玉のような、つくりものめいた瞳へと変化していく。
途端に、松葉の体がガタガタと震え始めた。
「警察? 何で……!? まさか、藤川さん、あなたが――」
「そうですよ。事前に私が警察に全てを伝え、警察が来るのをお待ちしていました」
藤川はドアノブに手をかけ、ドアを開ける。にっこりと松葉に微笑んで言った。
「全部、仕組みました。あなたを罰するために。正義の味方面した、この私が――」
警察が松葉の家に入りこみ、松葉に事情を説明する。任意同行ではあるものの、目撃証言に防犯カメラの映像、作業員の証言と、物的証拠は明らかに松葉にとって不利だった。
松葉は、うろたえて暴れ、最後は警察によって取り押さえられていた。それでも、うわごとのように話すのを止めない。誰も話を聞いてくれない松葉の姿が哀れだった。
彼女の口元が、人魚のミイラのように苦しみに満ちたものとなる。
「――ちょっと、なんであたしが! ねえっ、こんなことになるはずじゃなかったのよ! なんで、どうして!! 離して、離してよ……」
全てが終わり、藤川は店内で人魚のミイラがおさめられている木箱を開けた。
苦悶の表情も、今となっては少しも恐ろしくなく、むしろ、おかしいことに微笑ましさすら感じてくる。
以前の所有者が、この品を大切に思う気持ちと憎く思う気持ちがあったというのも納得である。
不思議な来歴を持つ品となってしまったうえ、所有者は結局、佐藤松見の妻へとなってしまった。しかも、妻の意向により、人魚のミイラはお祓いをして管理してくれる寺へと引き取られる予定である。
藤川は人魚のミイラにそっと微笑み、偽の書付を引き抜いて、木箱のふたを閉めた。
悲しい来歴を持った品ではあるが、今後は人を騙したりすることは決してない。そのことを思うと、藤川は急に気持ちが楽になり、心が、ぱっと晴れやかなものになった。
二度と、こんなことがないように願って止まない。
藤川は思った。
この願いだけは叶ってほしい。何の対価もなく、この願いだけは。
そう思って藤川は木箱のふたに片手を置き、人魚のミイラが、もう二度と不幸をもたらさない未来へと思いを馳せた――。
〈了〉
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