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ベトナム日記Vol.4:50年前の日本がそこにある?ベトナムで見つけた「家族ファースト」という衝撃の幸福論

1. 導入:失われた「熱気」を求めて

夕暮れ時の街角に漂う煮炊きの匂い、路地に溢れる人々の笑い声、そして明日への根拠なき希望。ベトナムの街を歩いていると、ふと胸の奥が熱くなるような既視感に襲われることがあります。それは私たちが利便性や合理性と引き換えに、いつの間にかクローゼットの奥に押し込んでしまった「昭和の原風景」そのものです。

効率化を突き詰め、「個」の時間を守ることに汲々とする現代の日本。しかし、かつての私たちも、今のベトナムの人々が放つような剥き出しのエネルギーを持っていたはずです。なぜ今、私たちはベトナムの文化に触れるべきなのか。そこには、単なるノスタルジーを超えた、私たちが「真の豊かさ」を取り戻すためのヒントが隠されているからです。

2. 「仕事は手段、家族が目的」という潔い境界線

ベトナムを訪れてまず驚かされるのは、夕刻、定時を迎えた瞬間の凄まじい「引き潮」です。日本のように「仕事の区切りが良いところまで」と粘ったり、周囲の顔色を窺って「生活残業」に勤しんだりする姿はそこにはありません。彼らはまるで号砲が鳴ったかのように、一斉に家庭へと向かいます。

同僚との「ちょっと一杯」という付き合いよりも、彼らが優先するのは家族と共に囲む食卓です。仕事は人生を支える「手段」であり、家族との時間こそが人生の「目的」である。この境界線は、驚くほど鮮やかで潔いものです。

家庭サービスへの執着:彼らにとって、夕食を家族と囲むことは譲れない「聖域」のようなものです。

この徹底した公私の区別は、単なる自分勝手ではなく、自己の精神を守るための高度な防衛本能のようにも見えます。心の拠り所を100%家庭という「聖域」に置くことで、彼らは過酷な競争社会の中でも、折れない強さを保っているのです。効率という名の下に家族の時間を削り続けてきた私たちは、彼らの瞳に宿る屈託のない輝きを前に、自らの優先順位を問い直さざるを得ません。

3. 普段は飲まない、でも宴会は「100%」の衝撃

一方で、ベトナム人の人間関係は決してドライなだけではありません。普段は同僚と飲み歩かない彼らが、ひとたび「リエンホアン(宴会)」の場に集まれば、その豹変ぶりは圧巻です。

会場に響き渡る「Mot, Hai, Ba, Yo!(ハイ・バー・ヨー!)」という咆哮。40度を超える強いお酒「Rượu(ズオウ)」をショットグラスでなみなみと注ぎ合い、一気に飲み干す「Mot Tram Phan Tram(モッ・チャム・ファン・チャム/100%)」の応酬。それは「付き合い」という生ぬるい言葉では表現できない、魂のぶつかり合いです。

この過激なまでの儀式は、日本で形骸化し、単なるマナーと化した「飲み会」とは本質的に異なります。強烈な個性を持つ者同士が、酒という猛毒を共に飲み干すことで「俺たちは仲間だ」と刻印し合う。礼儀正しい連帯ではなく、野性的な連帯。個が強いからこそ、あそこまで極端な儀式を経て初めて、集団としての絆を形作ることができるのでしょう。この「個と集団」の爆発的なバランスこそが、社会を突き動かす熱量の正体なのです。

4. 一族の成功は「テト(旧正月)」に集約される

ベトナム人の情熱が一年で最も昂るのが「テト(旧正月)」です。年間を通じて祝祭日が少なく、休みが年間100日程度に限られている彼らにとって、テトは唯一無二の、文字通り命懸けの長期休暇です。

どれほど遠く離れた都市で働いていようとも、交通機関が麻痺するほどの大混雑に巻き込まれようとも、彼らは何が何でも実家へと帰ります。おじいさんやおばあさんを敬い、親戚一同が顔を揃えるための「民族大移動」。その熱量は、日本の現代的な正月風景とは比較になりません。

あの大混雑の中を帰省する姿は、まさに「50年前の日本」そのものです。

私たちが「成功」を年収や肩書きで測る一方で、彼らは「どれだけ一族を養い、健やかに集まれるか」に成功の定義を置いています。年長者を家の一番良い場所に座らせ、一族の繁栄を祈るその姿は、かつての日本が持っていた、しかし利便性の追求の中で失ってしまった美徳です。一族の繋がりという太い幹があるからこそ、彼らは変化の激しい時代を恐れずに生き抜けるのではないでしょうか。

結論:私たちがベトナムから学べる「豊かさ」の正体

ベトナムの文化が私たちに突きつけるのは、「私たちは、何のために豊かになろうとしてきたのか」という原初的な問いです。

定時退社の潔さ、宴会での爆発的な共鳴、そしてテトに懸ける一族の誇り。これらはすべて、人生の主導権を「仕事」ではなく「人との繋がり」に取り戻すための闘争のようにも見えます。私たちは効率化によって多くの時間を手に入れたはずですが、その時間を使って誰を幸せにしているのでしょうか。

かつての日本にあった熱気。それを「遅れたもの」として切り捨てた先に、今の私たちの孤独な豊かさがあるのだとしたら。

もし、今日が人生最後の日だとしたら。あなたは残された仕事を片付けますか、それとも、愛する人の待つ食卓へ急ぎますか?

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