映画『フォードvsフェラーリ』が描かなかった「1960年代の光と影」
映画のネタバレ? (史実にネタバレも何もあったもんじゃ・・・)

1. 導入:映画としての完成度と「予習」の有無
2020年1月の鑑賞時の印象。
史実を知っているからこそ楽しめる部分と、知らない観客への配慮。
映画観てきた。(2020年1月)
一応、史実の復習はしないで行ったけど、やっぱり「この後こうなる」というのは思い出しちゃうもんだね。
逆に知らないで観る人は情報量についていけてるんだろうか。
映画としてまとまりは良かった。
ルマンはF1ほどには詳しくないので、記憶もあいまい。
1990年ごろに一通りの歴史を本で読んだとは思うけど。中学の記憶だからなぁ。
2. 「アメリカ人勝者」という定義の揺らぎ(史実との対比)
シェルビーが「唯一の勝者」とされた演出への違和感。
フィル・ヒルやマステン・グレゴリーの存在。
「アメリカ車での勝利」という物語上の制約についての考察。
キャロル・シェルビーは1958年と59年にF1に参戦。駆ったのはマセラティとアストン・マーティン。その59年にルマンでロイ・サリヴァドーリと組んで勝利。
彼のことを「アメリカ人で(当時)唯一のルマン勝者」と言っていたが、前年にフィル・ヒルが勝ってるんだよな。アメリカ国籍だけどフェラーリで勝ったから除外なのか。この時点でアメ車が勝ってないことは事実。
(そして、1966-1969年フォードの4連覇以外にアメ車の総合優勝は無い)
まあ、ケンが走れず、フォードもリタイヤした1965年のルマンでは、アメリカのノースアメリカンレーシングからエントリーしたフェラーリが、アメリカ人マステン・グレゴリーのドライブで勝っているんだけど。
(2004年のルマンで、日本のチーム郷のアウディが荒聖治のドライブで勝ったみたいなもの)
その後、フォード4連覇のなかでダン・ガーニーとA.J.フォイトのアメリカ人コンビが優勝している。
3. 時代背景:死が隣り合わせだったモータースポーツ
ピーターとフィル・レミントンの会話の深掘り。
単なる耐火スーツの話ではなく、「設計者の誠実さ」を問う重み。
スチュアート・ルイス-エバンスやフォン・トリップスの悲劇に見る、当時の安全意識。
ブレーキのトラブルでクラッシュして火災、というのが重要な伏線だったりするけど、息子がフィル・レミントン(車の設計者/実在)に「体に火がついたことある?」と聞くシーンがある。
「設計する人はドライバーのことを真剣に考えてるの?」という意味合いで聞いているんだよね。「耐火スーツを着ている」とか「車から出られれば大丈夫」という話を聞きたいんじゃない。
1958年のF1モロッコGPでスチュアート・ルイス-エバンスが焼死した話とか、子どもでも知ってることだったんだろうな。当時なら。屋根の無いフォーミュラカーでも、ドライバーが自分で脱出できなかったら燃えてしまうということ。
4. 脇役たちの肖像:その後の運命とF1への繋がり
スロットカーのシーンから広がる当時のスター選手たち。
バンディーニ、スカルフィオッティ、そして翌年の王者デニス・フルム。
映画では描ききれない「ライバルたちのその後」がもたらす切なさ。
このケンの息子ピーターが、レース好きなのはいろいろ描かれている。
スロットカーで遊びながら「フェラーリのフォン・トリップスが〜」みたいな実況が当時だな、と思う。
ウォルフガング・フォン・トリップス伯爵は、ドイツ人のF1ドライバー。
1961年にフェラーリでチーム内チャンピオン争いを繰り広げたが、モンツァのイタリアGPで事故死してタイトルが獲れなかった。
(ドイツ人がF1のチャンピオンになるのは、34年後のミハエル・シューマッハーまで待つことになる。)
ただ、このスロットカーのシーン、ピーターの指の動きと車の動きが合ってないのが気になって仕方がない。
ケン・マイルズもそうだけど、争ってるフェラーリのドライバーもその後の運命を知っていると・・・事故死者も多い。
ロレンツォ・バンディーニは1967年にF1モナコGPで事故死。
当時のイタリア人ヒーローがフェラーリで死んだということで国内の非難が集中し、その後エンツォ・フェラーリはイタリア人ドライバーを採用しなくなった。
現在は毎年印象深いドライバーに与えられる「バンディーニ賞」という名前で残っている。
ルドヴィコ・スカルフィオッティも1968年にヒルクライムで死んでいる。
ケン・マイルスとコンビを組んだのはデニス・フルム。
この映画の中ではコンビの割に全然目立たないが、翌1967年のF1チャンピオンになっている。
5. 映像作品の系譜と時代設定
『栄光のル・マン』『グラン・プリ』との時系列的な位置関係。
劇中の日本語実況など、映画的演出へのツッコミ。
「マクラーレン」がまだドライバーの名前だった時代。
映画が作られた時代順に考えてしまうけど、この話は1966年までが舞台。
「栄光のルマン」はフォード4連覇の後の1970年が舞台になるので、実はこの話より後になる。
「グラン・プリ」は1965年を舞台にしているので被っている。
ホンダのF1が1964〜1968年。
劇中のルマン実況席で日本語が聞こえるのは、日本の放送局も来ていたからという話にしているんだろうが、まあそんな事実はなかったよね。
ブルース・マクラーレンがフォードのドライバーとして出てくるが、「マクラーレン」というと「車」が走っているような錯覚がある。レーシングコンストラクターとしてのマクラーレンカーズもこの頃立ち上がってるけど。
6. 悲劇のゴールとケン・マイルズの最期
3台並走ゴールの解釈(予選順位と走行距離のルール)。
映画のクライマックスと、そのわずか2ヶ月後の非情な結末。
フォードGT40の3台並んでのゴール。
ブルース・マクラーレンとクリス・エイモンのニュージーランド人コンビは、ケンよりも予選順位が下だったので、同時にゴールしたら後ろからスタートしたほうが速いことになる、という当時の解釈があった。フォードの上層部がケンを勝たせない意図があってそうしたのかは不明。
映画としてはそのゴールまでで十分だっただろうが、史実としてケン・マイルズはこのレースの2か月後にフォードのテスト走行中に事故死。フィクションなら「このエピソードいらない」と言われるところだが、ノンフィクションだからな・・・。
7. 結び:フォードとフェラーリ、そしてフィアットの奇妙な縁
1963年の買収交渉シーンの検証(アニエリの役職など)。
フィアット傘下入り(1969年/1988年)への流れ。
「もしフォードが買収していたら」というIFの考察と、現代のレッドブル・フォードへの繋がり。
フォードがフェラーリの買収交渉に行くマラネロのシーン。1963年のこと。
イタリアの記者がフィアットに駆け込んで、フィアット会長ジャンニ・アニエリに声をかけるシーンがある。
フォードがフェラーリを買収しようとするのをフィアットが直前で阻止した、という流れだが。ここでフィアットが出てこなかったら、その後のフェラーリは無かった。
アニエリは御曹司だが、1963年に社長になったばかり。会長になるのは1966年なので、この買収劇当時は社長だった。
実際にフィアットがフェラーリを傘下にしたのはエンツォ・フェラーリが死去した1988年の後。
ジャンニ・アニエリは2003年1月に死去。
この年のフェラーリF1の型式は、ジャンニ・アニエリに感謝と敬意を表し、
"2003-GA"とイニシャルが付けられた。
ところでこの時本当にフォードがフェラーリを傘下にしていたら歴史はどうなっていただろうか?
ルマンはこの映画の通りキャロル・シェルビーに丸投げ。
F1はコスワースに出資して、フォード・コスワースとして名機DFVに名を残す。
そして2026年のレッドブルパワートレインズにもフォードが。
結構至るところで「お金」は出しているけれども。
