思い返してみればツールだから
AIだって、できないものはできない。
最近、別のAIに少し仕事を頼んでいた。
せっかくだからPDFにしてもらおうと思って、
「PDFは?」
と聞いた。
すると、ちゃんとPDFが出てきた。
おお。
やるじゃないか。
そう思って開いてみた。
……違う。
いや、
違うんだよ。
俺が頼んでいたの、それじゃない。
「いや、腰痛予防ストレッチのスレッドじゃないの?」
そう聞くと、
「申し訳ありません。別のスレッドの内容と混同しておりました」
と。
まあ、AIだって間違える。
ここまではいい。
人間だって間違える。
むしろ一発で全部できると思っている方がおかしい。
だから、
「じゃあ、先程のやり取りから参照して」
と伝える。
これでいけるだろう。
そう思った。
ところが、
「どのテーマのテキストを再作成したいか教えていただけますか?」
と返ってくる。
…………。
いや。
だから。
さっきのやり取りを参照してくれって言ってるんだよ。
と思う。
さらに、
「ブログの原稿ですか?」
「介護技術の資料ですか?」
「ポケカのデッキ構成ですか?」
と選択肢まで出てくる。
いやいやいや。
そうじゃない。
そこを俺に聞き返すのか。
そして最後には、
「ご希望のテーマや『こういう内容で』というポイントを教えていただければ、すぐにしっかりと仕上げてお渡しします!」
と、とても丁寧に締めてくる。
謝罪は完璧。
言葉遣いも完璧。
配慮も完璧。
なのに、
話は一ミリも進んでいない。
なんだこれは。
と思う。
────────
でも、そこでふと思った。
これ、
人間と一緒じゃないか。
人間だって完璧ではない。
仕事を頼んだら、
「はい、分かりました」
と言ったくせに、全然違うものを持ってくる人もいる。
説明したら、
「なるほど」
と言ったくせに、次の日には忘れている人もいる。
何度説明しても、
「そこじゃないんだよなあ」
となることもある。
だから、
AIだから完璧でなければならない。
という考え方そのものが、少し違うのかもしれない。
────────
AIは便利だ。
とんでもなく便利だ。
文章を書かせる。
情報を整理する。
アイデアを出す。
画像を作る。
PDFにする。
資料をまとめる。
昔なら人間が何時間もかけていたことを、数分でやってしまう。
だからこそ、
「AIなら何でもできる」
と思ってしまう。
でも実際に使ってみると、
できないものは、できない。
何回説明しても駄目なものは駄目。
指示を細かくしてもズレるときはズレる。
逆に、こっちが適当に投げたものを妙に上手く拾ってくることもある。
この差が面白い。
────────
そしてAIには、かなり得手不得手がある。
文章が得意なAI。
画像が得意なAI。
検索が得意なAI。
資料作成が得意なAI。
長い会話の文脈を追うのが得意なAI。
短い指示に対して、素早く答えるのが得意なAI。
同じAIでも、モデルが違えば性格も違う。
だから、
「このAIが一番すごい」
という話でもない。
むしろ、
何をさせるかによって、使うAIを変えればいい。
料理人に大工仕事をさせる必要はない。
大工に寿司を握らせる必要もない。
AIだって同じだ。
得意な仕事を任せればいい。
────────
ただし、
「完璧な指示を出せばAIは完璧に動く」
とも思わない。
そんな完璧な指示なんて、そもそも人間側が出せない。
自分が何を求めているのか、最初から完全に言語化できる人なんてそういない。
俺だって文章を書くとき、
最初はよく分からない。
とりあえず思ったことを書く。
そこから、
「いや、ここじゃない」
「これは残したい」
「ここはもっと膨らませたい」
「この言い方は違う」
とやっていく。
AIとのやり取りも似たようなものだ。
やってみる。
違う。
直す。
またやってみる。
少し近づく。
また違う。
その繰り返し。
AIを使っているつもりが、
実は自分の考えを整理する作業にもなっている。
そういう意味では、AIとのやり取りそのものが一種の成長なのだと思う。
────────
そして、AIを使えば使うほど、
「このAIはここが強い」
「ここは弱い」
ということも分かってくる。
これは結構重要だ。
一つのAIに全部やらせなくてもいい。
文章はこっち。
資料はあっち。
画像は別。
調査はまた別。
最後に人間がまとめる。
それでいい。
むしろ、
AIを一人の万能な部下として考えるより、癖の違う職人を何人も雇っているくらいに考えた方がいい。
こいつは文章が上手い。
こいつは資料作りが上手い。
こいつは発想が面白い。
でも、こいつに長い話をさせると迷子になる。
そういう感じだ。
────────
そして最後に残るのが、
人間の手だ。
AIに文章を書かせた。
それで完成。
とはならない。
出てきたものを読んで、
「これは使える」
「これはいらない」
「ここは面白い」
「これは違う」
と判断する。
別のAIが作ったものから一部分だけ持ってくる。
順番を変える。
繋ぎ直す。
削る。
最後に自分の言葉を入れる。
結局、
切り貼りする人間が必要なのだ。
AIがどれだけ賢くなっても、
「何を残すか」
「何を捨てるか」
「何を信じるか」
を決める人間がいなければ、完成しない。
────────
だからAIは、
万能な魔法ではない。
完璧な存在でもない。
そして、
完璧な指示を出せる人間もいない。
AIも間違える。
人間も間違える。
AIにも得意不得意がある。
人間にも得意不得意がある。
だからこそ、
向いているものを選ぶ。
駄目なら別のものを使う。
それでも駄目なら人間がやる。
あるいは、
複数のAIから使えるところだけ拾って、人間が最後に繋ぐ。
それでいい。
むしろ、それが普通なのだと思う。
────────
AIに全部やらせようとするから、
「なんでできないんだ」
となる。
でも、
道具なのだから、できないことがあって当然だ。
包丁は料理ができても、車は運転できない。
ドライバーはネジを回せても、米は炊けない。
便利な道具ほど、
「何に使うか」
が大事になる。
AIも同じだ。
────────
まあ、それでも今回のように、
何回説明しても、
「では、どのテーマをご希望でしょうか?」
なんて聞かれたら、
「いや、そこを覚えてくれよ!」
とは思う。
思うけど、
そこで全部を否定するのも違う。
そいつにはそいつの得意分野があるのだろう。
俺には俺の得意分野がある。
そして、
別のAIには別の得意分野がある。
だから、
一つに全部を求める必要はない。
できないものは、できない。
それを分かった上で使う。
使いながら、
「こいつにはこれを頼もう」
と覚えていく。
結局AIも、
使い手次第なのだ。
そしてたぶん、
AIがどれだけ賢くなっても、
最後に
「ここ、違うんだよなあ」
と言って切り貼りしている人間は、
しばらく残るのだろう。
……まあ、
その人間も、
たまには盛大に間違えるんだけど。
そこまで含めて、
道具なのだと思う。
