その言葉は、本当に「自分の選択」だったのか
甘い蜜には毒がある、なんて言葉がある。
それはきっと、押し付けられるものじゃなくて、
自分から近づいてしまうもののことを言うんだと思う。
ハニートラップは、何も体だけじゃない。
言葉で仕掛けられるものの方が、ずっと多い。
「これでいいよ」
「自分もそれで変わった」
「大丈夫、安心していい」
そう言われると、不思議と心が軽くなる。
強く押されているわけじゃないのに、
どこか納得してしまう。
でもそれは、本当に“選んでいる”のだろうか。
情報が増えた今、
人はむしろ選べなくなっている。
調べれば調べるほど、どれも正しく見えて、
逆に決められなくなる。
そんなときに現れる
「これでいいよ」という言葉。
それは救いにもなるし、
同時に、罠にもなる。
なぜなら人は、迷っているときほど
“決めてほしい”から。
だから、甘い言葉に自分から近づく。
押されているわけじゃない。
自分で選んだように感じる。
でも実際は、
選択肢が減った中で選ばされているだけかもしれない。
これが、誘導の怖さだと思っている。
しかも厄介なのは、
悪意がなくても成立すること。
本人は本気で良いと思っているし、
助けているつもりで言っている。
だからこそ、疑いにくい。
他者を攻撃する存在が、noteにもいるんだと知った。
少しだけ驚いたけれど、同時にこうも思った。
――どこにでも“そういうもの”は混じるのだと。
場所が変わっても、
構造はあまり変わらないのかもしれない。
だからこそ、自分が何を見るかは選びたい。
すべてに反応する必要はないと思っている。
中央にあるのは、たぶん「自分で歩く道」なんだと思う。
誰もが成功しているわけでもない。
誰もが失敗しているわけでもない。
ただ、そこにあるのは、
無名というレッテルでもなく、
優劣でもなく――
それぞれが、自分なりの道を敷いているという事実だけだ。
それが、最高峰かどうかなんて分からない。
でも少なくとも、その人にとっては
そこが“自分の道”なんだと思う。
だからこそ、どう歩むかは人の自由だし、
本来は、誰かに決めてもらうものでもない。
応援と支配の境界線も、たぶんここにある。
応援は、選択肢を増やす。
支配は、選択肢を減らす。
誘導はその中間で、
気づかないうちに、選択肢を見えなくする。
甘い言葉に惹かれる自分を否定するつもりはない。
ただ、そのときに
それが本当に自分の選択だったのかだけは、少しだけ見ていたい。
もし、こういう考え方や視点が
どこかで引っかかるものがあったなら。
またどこかで、続きを書いているかもしれない。
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ここまで歩いていただき、ありがとうございます。
もし何か感じていただけたなら、その想いをそっと置いていっていただけると嬉しいです。