コードのジョーク、入不二哲学と。
この辺のAIなるものの基本的な考え方として書いたコードと入不二哲学のAny-nessが自分の中で繋がる話の面白さを自分なりに伝えたくて以下に残しておこうと思う。ちなみに僕はコードは書いたことのない素人です。pythonのコードに以下のような記述がある。
digits = load_digits()
X, y = digits.data, digits.target
X_train, X_test, y_train, y_test = train_test_split(X, y, test_size=0.2, random_state=42)
この記述の最後random_state=42は、「どの問題をテスト用に選ぶかをランダムに決めるが、毎回同じ結果になるように固定する」という意味です。これがないと実行するたびに精度が微妙に変わってしまいます。」というものだそうで(claudeとやり取りしたものの向こうからの説明)
普通のサイコロを振ると、毎回違う目が出ます。コンピューターの「ランダム」も同じで、毎回違う結果を出す。ただコンピューターのランダムは実は完全にランダムではなく、最初に「種(たね)」となる数字を与えると、そこから決まった順番で数字を生成します。
同じ種を与えれば毎回同じ「ランダムな結果」が出ます。random_state=42 の 42 がその「種」の数字です。
42 という数字自体に特別な意味はなく、何番でも構いません。「毎回同じ結果で再現できるようにしたい」という目的のための固定値です。」この数字が無いと毎回精度が変わる。
1 でも 100 でも 9999 でも、何の数字でも動作は同じです。
数字それ自体はプログラマが慣習的に使っている数字。ちなみにこの数字の由来としては、SF小説「銀河ヒッチハイク・ガイド」の中で「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」が 42 とされており、それがプログラマーの間でジョーク的に広まったと言われてるもの。
小説のジョークとしては「答えが出ても問いが分からなければ意味がない」というものだが、答えだけあって問いが不明というのは面白いですね。
ちょっと話は変わりますが、それはつまり逆説的に問いというのはカオスに対する手がかりやフックということか?と自分は考えていた。(事後的に認識した)
これはさらに面白くて、一つは答え(42)は乱数生成という無限のカオスに対してフックを掛けるための道具立てだったということ。
もう一つは作品内でも本筋の駆動装置として答え(42)を探す旅になっていること。
コードの技術的な仕組みとしての「何でも良さ」(種を固定してカオスを再現可能にすること)と、
ジョークとして慣習的に選ばれるという「何でも良さ」、さらに物語内の究極の問いの答えとして、設定上の必然的な「何でも良さ」
技術•文化•虚構の3つの層を、何でも良い「42」という数字が貫く仕方で発揮されている。
42という数字の「何でもよさ」と答えだけ先にあって問いが後から来る、あるいは永遠に来ない。答えだけ確定しているのに、それを成立させる問いが不在のまま浮いている状態の奇妙さがあって、さらに言えば、それにも関わらず慣習的に選ばれる「42」という特定の数字。この感覚と入不二哲学が何らか近しいものを感じているのかもしれないが、いかんせん感覚は感覚なので。
『何何何』をもう少し落ち着いて読もうと地道にノートに書きながら(ほぼ写経に近い)書いてあることの意味と図のイメージを馴染ませている。「現にー何かー実は」と手で書くと図のイメージが入ってくる。
何と言えば良いか、ある力場(フィールド)を設定して、何かしら記述する上でその背後に(あるいは一見して何もないように見えても)Any- nessが作用していることの凄みを感じていると言えば良いか。引き続き再読中。
