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【日本史10】大正史備忘録25(パリ講和会議・ロイドジョージ・クレマンソー・ウィルソン・オルランド・西園寺公望・牧野伸顕・14カ条の平和原則・ドイツ賠償金・二十一カ条の要求・国際連盟発足・ヴェルサイユ条約)

大正時代の学習を深めていきます。

①第1次世界大戦の戦後処理の話し合いのためにフランスの首都パリで戦勝国の代表たちが集結した。1919年(大正8年)1月18日から会議が開かれた。これがパリ講和会議である。

②協商国のイギリス、フランス、アメリカ、途中で協商国に転じたイタリア、日本の5カ国が会議を主導した。敗戦国のドイツや他の中央同盟諸国は呼ばれずに会議後に事後的に承認を求められた。ロシアのソヴィエト政権は呼ばれなかった。

③主なメンバーはイギリス首相のロイドジョージ、フランス首相のクレマンソー、アメリカ大統領のウィルソン、イタリア首相のオルランドたちがいた。日本からは原敬ではなく元首相で政友会の前総裁の西園寺公望が全権大使として派遣された。

④西園寺公望は青年期にフランスに留学しており外交経験に優れておりクレマンソーと知り合いであった。西園寺の次席として実務を担ったのは元外務大臣の牧野伸顕である。

⑤娘婿で外交官の吉田茂や貴族院議員の近衛文麿、松岡洋右など
後に日本の政界で有力者となる面々も参加していた。

⑥ウィルソンは14カ条の平和原則という提言を発表していた。国家間の秘密外交の禁止、大戦後の軍縮、民族自決、国際連盟の設立などであった。一連の方針はパリ講和会議を通して国際社会に受け入れられた。

⑦ロイドジョージとクレマンソーはドイツに巨額賠償金を請求した。ドイツへの賠償金は完済に数十年かかるほど巨額であってドイツ国民の生活は圧迫した。この不調から英仏を敵視するナチスが1930年代に台頭した。

⑧西園寺公望たちはヨーロッパ諸国の問題には干渉しなかった。ただし二十一カ条の要求で中華民国から獲得した山東半島の旧ドイツ租借地の権益と旧ドイツ領の南洋諸島の領有を国際的に承認するように要求した。

⑨パリ講和会議に参加していた中華民国の代表は二十一カ条の要求は脅迫として不服を申し出た。アメリカはこれを支持した。

日本は要求が受け入れないならば講和条約に調印しないと主張した。

⑩アメリカは最終的に日本の山東半島の権益を持つ事を認めた。国際連盟の設立を早急に進めたかったからである。

⑪1920年(大正9年)1月に国際連盟が発足した。旧ドイツ領の南洋諸島で赤道以北の島々は日本、赤道以南の島々はイギリスの自治領のニュージーランドとオーストラリアが委任統治をする事が決まった。国際連盟から管理を委託された。

⑫パリ講和会議は約半年行われて1919年(大正8年)6月28日に設立した講和条約はパリ近郊のヴェルサイユで調印されたのでヴェルサイユ条約と云う。

■参考文献 『1冊でわかる大正時代』 大石学 河出書房新社

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