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【日本史10】大正史備忘録47(復興政府対立・虎ノ門事件・難波大助・第2次山本権兵衛内閣総辞職・清浦奎吾・清浦内閣・政友本党)

大正時代の学習を深めていきます。

①復興政府で山本権兵衛や政友会閣僚と後藤新平や犬養毅の対立が起こった。後藤新平は復興計画の予算が大きく削減された事で不満を抱いて犬養毅とともに普通選挙の即時導入を訴えていた。

②後藤新平は内務大臣の権限で政友会に属さない人物を各地の知事に任命したところ政友会出身の閣僚の反発を受けた。

③1923年(大正12年)12月27日に裕仁親王(昭和天皇)が乗った自動車が帝国議会に向かう最中で銃撃された。

これが虎ノ門事件である。襲撃犯の難破大助は衆議院議員で庚申倶楽部に属する難破作之進の息子だった。

④アナーキズムの影響を受けて亀戸事件や甘粕事件を契機に国家権力のトップである皇室を敵視していた。難破作之進は事件翌日に議員辞職して難破大助は大逆罪が適用されて裁判を経て1924年(大正13年)に死刑執行された。

⑤裕仁親王は無傷だった。事件の責任をとって山本権兵衛内閣は総辞職した。次の首相を元老の西園寺公望は貴族院議長の清浦奎吾を提案した。元老の松方正義も同意した。

⑥1924年(大正13年)1月7日に清浦内閣(23代目)が発足した。内務大臣の水野錬太郎、大蔵大臣は勝田主計、司法大臣の鈴木喜三郎など貴族院の議員が多かった。衆議院議員の閣僚はいなかった。

⑦国民の多くは清浦内閣を超然内閣の再来とした。革新倶楽部と憲政会は内閣を批判した。政友会では意見が分かれた。

政友会総裁の高橋是清は清浦内閣を批判した。床次竹二郎たちは内閣を支持した。

⑧床次竹二郎と中橋徳五郎や元田肇たちと政友本党を結成した。
政友会に残留する衆議院議員は129人だったが政友本党に移った議員は149人と過半数を占めた。

政友本党は衆議院の第一党となった。

■参考文献 『1冊でわかる大正時代』 大石学 河出書房新社

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