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子ども達の未来に、人生を使うと決めたママの挑戦|TSG出身起業家インタビュー

国内最大級のビジコン・TOKYO STARTUP GATEWAY(TSG)出身の起業家に、等身大のご自身を語っていただくインタビューメディア・TSG STORIES。

公式noteでは、TSG STORIESで公開されている起業家のロングインタビューをダイジェストで公開しています。第一回の今井さんに続き、今回ご紹介するのはTSG2023で最優秀賞を受賞された小野衣子さんです。

今井さんが現役の大学生なら、小野さんは現役の「子育てママ」。最優秀賞を獲得したビジネスアイデア、子どもや家族と事業のバランス、そしてご自身のチャレンジに満ちた半生などをお話しいただきました!

(聞き手:TSG Marketing Team 鈴木 友里佳)。


プロフィール

小野衣子さん/2023ファイナリスト 最優秀賞 VxTech株式会社 代表
母子家庭で育ち、学費を工面するため夜間大学へ進学。在学中、ワーキング・ホリデー制度を利用してカナダで就労経験を積む。卒業後は上海で新規開拓営業を担当。株式会社アドウェイズ、株式会社マイクロアドで海外事業立ち上げを経験し、AIスタートアップを経て独立。2023年にAI防犯アプリ「SASENAI」を開発するVxTech株式会社を設立する。


※本noteは、インタビュー全編のダイジェスト版になります。全ての内容をご覧になりたい方は記事の最後にあるTSG STORIESをご覧ください。


最優秀賞のビジネスアイデア「SASENAI」

 本日はよろしくお願いします。最初に自己紹介をお願いします。

VxTechで代表をしています、小野衣子です。

AIなどのテクノロジーを使って犯罪を未然に防ぐことにチャレンジしている会社です。プロダクトは「SASENAI(サセナイ)」というアプリを作っています。主に小さな子どもたちの登下校の時間帯を、子どもたちに代わってテクノロジーが「危ないかな、危なくないかな」を判断して、プロアクティブに危険回避をしていくシステムを開発しています。

▼VxTech株式会社HP



ー  TSGには2023年に出場されて最優秀賞を受賞されています。おめでとうございます。その時から同じアイデアでやられていますよね。

そうですね。そこから全く変わっていないです。1つ変わったとすれば、一番初めに応募した時はサービス名が違いました。目の「アイ」に「ベル」で「アイベル」という名前をつけていました。

選考が進む中で事業の深掘りをどんどんしていくんですけど、サービス名をどうしようと考えている時に「させない」という言葉が降ってきた感じで。「あ、させないじゃん」ってしっくりきて、途中で名前を変えて選考を進めました。


ー TSGは深掘りさせられるコンテストなので、その中で心境の変化もあったと思います。受賞してからこの2年間で、変化や進捗はありますか。

まず選考を通じて自分への問いとして「独りよがりじゃないか」というのが大きな理由の1つでした。社会の役に立つからやろうというより、自分は必要だと思うけれど本当に受け入れてもらえるのか、その答えを出すためにチャレンジしようという形でした。

受賞させていただいたことは自信を持つべきところだと思ったんですけど、そこから今まで手厚くアクセラレーションしていただいていたのが、今度は一人で全部考えなきゃいけない。せっかく機会をいただいたので形にしなきゃいけない、というところで、いよいよ自信を持ってやらなきゃいけない部分と、不安だなと思う部分が心境の変化としてあったと思います。

ー  事業の質もあると思いますが、今挑戦されていることはありますか。

チャレンジしかないです。私は新卒から17年間マーケティング一筋で、事業者の0→1の部分をやらせてもらうことも多く、支援活動はしてきました。でも、いざ自分でやっていくとなると、マーケはできても、防犯やテクノロジーは自分の畑と違う。

いかに仲間を集めるか、自分ができないことは本当にできないので「お願いします」と誰かに頼ること。この辺りは今も自分にとってチャレンジだと思います。


 どんな方が現れて手伝ってくださったのですか?

元々TSGにチャレンジする時に、前職が研究開発をする会社だったので、そこで一緒に仕事をしていたエンジニアの方にアイデアを壁打ちして「実現可能性ありそうじゃないか」ということで応募しました。 

事業化のフェーズになって、実際にコミットして一緒にやっていくとなると、人・物・金がないスタートアップでは対価もお支払いできないし、でも手伝ってもらわなきゃいけない。仲間探しは苦労しました。TSGの同期の川上さんに正直に状況を話したら、心よく手伝うと言ってくれて、今はできる範囲でお手伝いいただいています。


逆境がすべて“ありがとう”に変わった瞬間

ー ではここでフリップを使って、今までのテンショングラフを書いていただきたいと思います。

はい、こんな感じです。山が5つあります。

人生における“テンション”をグラフ化する「テンショングラフ」。
ジェットコースターのような半生を送ってこられたことが伺えます。


ー 谷も結構たくさんありますね。最初から聞いてもいいですか。

生まれた時はすごく幸せだったと思います。兄弟は姉と兄がいて、年が8〜9歳違うので、末っ子で甘やかされて育って、毎日嬉しかったです。下がったのは両親の離婚です。3〜4歳くらいの時期で、そこからずっと闇、一番下に近いところにずっといたと思います。離婚もよく分からないし、「大好きな父さんと何で離れて暮らさなきゃいけないんだろう」と。悲しくて苦しい毎日でした。

でも小4の時に気づいたのは、毎日泣いていても何も変わらない、ということでした。幼いころによく読んだ白雪姫とかシンデレラは、はじめは辛い状況でも最後には王子様が現れてハッピーエンドですが、いくら悲劇のヒロインをしても誰も助けだしてはくれない。変われるのは自分しかいないと思ったのが小4で。そこから何か逆境に直面しても、嘆き悲しむよりも変えられることに力を注ぐようになりました。


ー そこからまた落ちたのはいつですか。

高校の時はやりたいこと(勉強、部活、バイト)をフルマックスでやって充実していたんですけど、受験勉強になった時に、家系で大学に行った人がいなくて、受験勉強の知識がゼロでした。

周りは塾に行き始めて「塾に行かないとダメなのかも。でもお金がかかる」と思って、塾のお金をバイトで稼ぐ、という不合理ななことをやっていました。なので続かず、とにかく大学は夜間に行って、入学金と学費を稼いで、とりあえず大卒のチケットだけ取れればいいと思って行ったんですけど、「これでいいのかな」と思っていたのがこの時です。


ー そこから20歳で上がっていますね。

大卒のチケットが欲しくて入ったけど、将来が見えてしまう、予測できてしまうことに恐ろしさを感じて、変えなきゃいけないと思いました。だからといって夢は何かと迷ったとき、シンプルに幼少期に好きだったディズニー映画を思い出して、「あ、英語が好きだな」と思いました。決して裕福ではない家で育ったので、英語で留学したいと思ってもできなかったけど、それを叶えようとカナダにワーキングホリデーで行きました。

決めてからバイトを詰め込みまくってお金を貯めて「この1年で英語を絶対に習得する」と覚悟して行きました。生活のために現地でのバイトが必要でしたが、当時は不況で仕事が見つからない。もう諦めて日本人ならすぐに働けるけど、全然英語を使わない寿司屋とかで働くしかないかと思ってた時に、カナダ人オーナーのアパレル店から「今すぐ来てくれ」と電話が来たんです。

日本だと自分は学費や生活のために「効率がいいか」だけを重視して仕事を探していたので、アパレルは正直選んだことがありませんでした。でも実際にアパレルの仕事をやってみて、仕事は条件や業種じゃなく、与えられた機会に感謝できるかで楽しくなると感じました。なので、就職した1社目でも、上海赴任の枠があって。新卒から上海行けんの?行くしかないだろう、と機会をつかみたい一心で第一から第三希望まで全部上海って書いたら、同期70人の中で私しか手を挙げてなくて、上海に行くことになったのがこの辺までですね。


 逆境でも(テンションが)上がる素質がある気がします。それは降ってくる感じなんですか?

いや、「ありがとう」という感じです。悩んでいた時は、自分というちっちゃい人間が考えるレベルの未来しか描けていなかった。それがつまらないなと思っていて、自分の想像を超えることが起きると「ありがたい」という感じです。


 スリルが好きとか、ぬるま湯がつまらないとか、そういう感じですかね。

カナダのアパレルのバイトが毎日楽しくて、ある日マネージャーに「インセンティブ制に変えるから、売り上げを上げなかったら時給下がる」と言われました。私以外みんなネイティブなのでコミュニケーションでは絶対に負ける。どうしようと思ったけど、ムートンブーツが流行っていた時期で、セールストークがうまくない自分のアドバンテージは何か考えて、「1秒でも早くお客さんに届けよう」と思いました。

サイズを聞いたら前後のサイズも一気に持って走るとか、笑顔とか、自分ができることを全部やってみたらさらに楽しくなって、ランキングを見たらネイティブの中で私が1位になったことがありました。

裕福じゃない家庭で、海外で生活するなんて夢のまた夢。そんな私が、まさかネイティブの中で1番になるなんて想像すらできなかった。でもこの出来事で「自分の可能性を自分で決めちゃいけない」と思えたんですよね。ハプニングがあっても「あ、来た。これ乗り越えたら次に行けるじゃん」というテンションに変わっていった。


起業を後押しした「夫の一言」とは?

ー ありがとうございます。その次の闇ゾーンですね。

20代を中国に捧げて。円安が進んで生活が楽じゃなくなってきたので日本に帰ったんですけれども。日本での仕事のキャリアがない中で頑張ろうと思ったんですけど、残念ながら周りの人にセクハラなことをされることがあったんですよね。それがすごくショックでやさぐれてしまって。


ー そこから上がるのはどういうきっかけで?

前職の人工知能の研究開発の会社で、当時は珍しく副業OKだったので、自分のマーケの仕事もしながらフリーになったのがきっかけです。じわじわ独立して上がってきた感じです。



 その後、TSGの前にも下がっていますね。

出産があって。コンサルの仕事も順調で安定期に入っていたんですけど、その時に衝撃的な事件があって。

某芸能事務所の加害問題のニュースを見た時に、全然私とは関係ないんですけど、血の気が引くというか。あ、こんなことがまだあったのかって。自分の身近であったかのように悲しかったんですよね。性加害の問題について夫に毎日のように言っていたんですよ。

そしたら夫に「なんで君はそんな誰でもできるマーケのコンサルなんてやってるの?それこそ君しかできないじゃないか」って。それでTSGを思い出して、「応募間に合うかな?」「よし、やろう」みたいな感じで、応募したことで徐々に上がった


 踏み出す時に後押ししてくれたのは、やはりご家族の支えですか。

1番は家族です。幼少期にいたずらをされた経験があって、娘が当時の自分と同じ4歳になった時に、急に怖くなったんですよね。彼女にはそんな思いをさせたくない、と。

防犯の絵本を買ったんですけど、そこには30年前と同じで「危ない人がいたら大声を出せ、逃げろ」と書いてあって。でも実体験として、怖い時は声が出ないし、足が止まって走れないんです。それを大人たちは今も子どもたちに教えている。こんなことを繰り返しちゃいけないと過去と向き合えたのが一つあります。

あと夫の「あなたしかできない」という声はすごく自分を押す力になりました。


子どもたちの未来に、人生を使うと決めた理由

 次は「起業を辞めよう」と思ったことはあるか、⚪︎×で答えていただきたいと思います。

TSG前か後でも全然違います。TSGには2023年に参加しているんですが、実は2016年にメールアドレス登録をしていてですね。「いつかするぞ、いつかするぞ」ってアイデアが浮かんではダメだ、をひたすら繰り返してました。⚪︎どころじゃない、◎です。でも2023年にやるぞって決めてからは、それしかないって思ったというので×です。


ー 初めてお伺いしました。事業があったというよりは、起業が先にあったんですか?

そうですね。妄想は好きだったので、思い浮かんだことを事業化していきたいな、いつかは。起業をしたいというよりかは、やりたいことをやりたいな、でもなんだろうやりたいことって、という感じでした。


 TSGの後はやりたいことが具現化してきたので、突っ走っていけたということですね。起業してみて、理想とのギャップやカルチャーショックはありましたか?

TSGのアイデアの起業の前に、事業化という意味では独立しているんですけれども、スタートアップではなければならないのではないかというのはあり方としては自分が構えてしまったところはあったと思っていて。

スタートアップならエクイティ調達をして、大きく突き抜けなきゃいけない、と思っていたんですが、アクセラレーションなどで先輩起業家とお話しする機会をいただいて「あ、選択肢って無数なんだ」と。スタートアップだからこうじゃなきゃいけないというのは全くないし、自分が自分のやりたいことを考えてやっていくのは、ネガティブな意味ではなく、もっと広く考えていいんだなと思いました。


ー お子様もいらっしゃいますが、パートナーにはどのように起業のことをお話ししましたか。

ビジネスモデルや製品の特徴などの細かいところは家族に話すことはなくて、私のエネルギーや疑問を感じるところ、前に進む力がどこでモチベーション上がるのかなど、夫は近くで見てきてくれいるので、そういう私を客観的に見ている中で、やらなきゃいけないことを代弁してくれたのかなと思います。

子ども達に関しても、TSGのコンテストに子どもたちも来ていて、母親がステージに立っていることは彼女たちにとっても初めてのことで、「お母さんが特別に何か頑張ってる」「あんな緊張した顔してる」と言葉にしなくても感じてくれたみたいで。今でも「お母さんは頑張った」と言ってくれることがあって、自分の心の支えになっています


ー これまでもいろいろ決意をされたり、新しいチャレンジをされてると思いますが、 反対されたことはありますか?

反対というよりかは、いい意味で「難しいことだから、自分でやるのではなく、それをやりたい事業会社に入って、会社の中でやる手段もあるのでは」という声はありました。否定ではなく、ぜひ実現してほしいからの手段としてアドバイスとしていただくことはあります。


 起業してからのパートナーや周りの人との関係の変化はありますか?

起業する前は子どもが小さかったんですけれども、コンテストで姿を見てくれた子ども達は、保育園などで「お母さんが頑張ってる」と話してくれているみたいで、恥ずかしさもありながら誇りに思えるというか。

もっと頑張ろうと思えているというのは、生き方の一つとして起業というのは子どもたちに我慢させていることもあるけれど、この子達の未来のためにやろうと決意したところもあったので、そこはしっかり背中を見せていきたいです。


 普段の母親としての生活もあると思いますが、起業活動とそのほかの活動の割合はどうですか?

ちゃんとマネジメントできているかわからないですが、夫と作業分担をしっかりとしています。「仕事だから子ども達に不便な思いをさせる」のは、ただの言い訳だと思うので。お迎えも定時を終えたら行き、子どもと一緒にいる時はスマホを見ない。一緒にいる時は子どもの面倒をみるというよりもなんならと一緒に遊ぶ。預けている時は子どもたちも頑張っているから自分も頑張ろう、と切り替えています。


ー では最後に、これからの挑戦を一言で。

子どもたちが笑顔で過ごせる当たり前の未来を作る」。どの大人も「子ども達が笑顔でいることは、あるべき姿だ」と言うと思いますが、残念ですが現実に犯罪被害やいじめに遭う子供はゼロではありません。それを私たちは理解していて、それを今までのやり方では限界があることを大人が認めなきゃいけないこともあると思っていて。

そのできない部分を私たちVxTechの力で当たり前にしていきたいと思っていて、子どもが「怖い人がいるから叫びなさい」と怖がりながら身を守るのではなく、子ども達が何も考えずに無邪気に遊んで汗だくになって帰ってこられる世界をつくるのが私のチャレンジです。


ー ぜひその未来を作っていって欲しいです。では、これから挑戦しようとする人にメッセージを。

おこがましいなそんな…。「何かできるかな」「何かやりたいな」と思えること自体がめちゃくちゃ素敵だと思います。大人になるとというとアレですけれども、子供の時にいっぱい考えた、どうしたら空って飛べるかな、どうしたらどこでもドアって開発できるかなとか、子供の純粋な気持ちは忘れるというか、こんなの言ったら恥ずかしいかなとか、どうせうまくいかないよなっていう大人気取りの自分が、自分自身の芽生えてくる芽を摘んでしまうことがあると思うんです。少なくとも私はずっとそうでした。

でも、土壌がなければ芽さえ生えてこないと思うんです。なので、その土壌を持っている自分が本当に素敵だと思います。自分自身を応援してあげてください

※インタビューのフル版では、小野さんが影響を受けた書籍や意識している人物、ルーティーンなどより深いお話を公開しています。ぜひご覧ください!

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