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中露の連携と日本の安全保障―「西側の優越」の終焉?*

*本稿は、月刊誌『東亜』(2024年11月号)に掲載されたものを、編集部の許可を経て転載したものです。転載にあわせ、内容を一部変更しています。

2022年2月に「限界なきパートナーシップ」を宣言した中露両国は、ロシアのウクライナ侵攻後も関係を継続的に強化している。中国はロシアのウクライナ侵攻に対する表立った支持を控えつつ、軍事転用可能な物資の供給を含む対露支援を行っている。両国はまた、日本周辺で艦艇の共同航行や爆撃機の共同飛行などの訓練を実施するなど、北東アジア地域での軍事的連携を強化している。

2024年8月に中国軍機が日本の領空を侵犯すると、その翌月に今度はロシア軍機が3度にわたり領空侵犯を行うという事案も発生した。かつては「離婚なき便宜的結婚」とも揶揄された中露の関係であるが、ロシアのウクライナ侵攻やそれに対する西側の対応を経て、今や「事実上の同盟関係」になったとの見方もある。

「吉田路線」と中ソの分断

戦後の歴史を振り返ってみれば、中国とロシア(ソ連)の関係は、日本の防衛・安保政策にも少なからぬ影響を及ぼしてきた。敗戦後、軽武装・経済優先という「吉田路線」を敷いた吉田茂は、米ソ間の全面戦争や日本に対する本格的な侵攻の可能性を低く見積もっていた。吉田の判断の背景には、日米安保条約の存在に加え、中ソ関係は「一枚岩」ではないとの見通しが存在した。吉田は優れた洞察力と戦前の長期にわたる中国在勤経験によりそのことを早期から見抜き、中ソの離間が可能であると信じていた。

共産陣営が一体化しなければ、米国を軸とした「ハブ・スポークス」型の同盟網が根を張るアジアにおいて、西側陣営の優位は揺らぐことはない。日本に対する軍事的な脅威を低く見積もることで誕生した「吉田路線」の前提には、こうした共産主義陣営に対する西側陣営の「力の優越」に対する見通しが存在したのである。

それゆえ1964年の中国の核実験成功後も、中国が軍事的な脅威となるという見方は日本政府の中で支配的にならなかった。例えば中国の核実験への対応を協議した外務省のある高官は、「中ソが結びついていれば恐怖心も強くなろうが、中ソが割れている」ことを理由に、過剰な反応を戒めていた(外務省政策企画室「第293回外交政策企画委員会記録」)。また佐藤栄作首相の助言者であった若泉敬・京都産業大学教授(当時)は、核実験の成功によってソ連に対する中国の自主性が強まる結果、両国の同盟関係はさらに弱体化すると予測していた(「中国の核武装と日本の安全保障」『中央公論』1966年2月)。

当時の中国が、ソ連のような核による非脆弱な報復能力を米国に対し独自に獲得する見込みは薄かった。さらに中ソ対立が続く限り、中国は米国のみならず、ソ連による核攻撃の可能性も考慮に入れなくてはならない。その結果、中国の核保有は、日本や西側陣営に対する現実的な脅威とは見做されなかったのである。

中ソ間の対立は、1972年の米中和解以降の日本の防衛政策のあり方にも色濃く影響を与えていた。1976年に発表された「防衛計画の大綱」は、日本に対する脅威を極めて限定的に捉えた「基盤的防衛力」構想を採用したことで知られる。その前提とする国際環境として挙げられていたのが、日米安保体制の維持に加え、米ソ間の核戦争および大規模な武力紛争の回避、米中関係の安定、朝鮮半島における現状維持、そして中ソ対立の存続であった。

米中和解は、ソ連と対立する中国を事実上西側陣営に引き込むことを意味した。実際に米中和解後の中国は、地域における米国の同盟網の存続を黙認し、日本の防衛力の強化でさえ「理解できる」との立場をとった。こうした状況が続く以上、たとえ米ソ間の対立が深まったとしても、西側に優位な情勢に変わりはない。実際、大綱はソ連のアフガン侵攻によってデタントが崩壊し、米ソ「新冷戦」が勃発しても変えられることはなかった。日本は最小の防衛コストで、冷戦の「勝利者」となったのである。

冷戦の崩壊と中露の接近


もっとも1980年代の半ばより、中ソの関係は徐々に改善が進んでいた。冷戦が終焉すると、関係を正常化した中露両国は1996年に「戦略的パートナーシップ」を、そして2001年には「中露善隣友好協力条約」をそれぞれ締結し、さらに2004年には陸上国境の完全確定に同意するなど、関係を強めた。2011年以降、両国の関係は「全面的戦略パートナーシップ」に転換し、その翌年には初の共同海軍演習も行われた。さらに2019年に両国の関係は「新時代の全面的戦略協力パートナーシップ」に格上げされ、欧米中心の国際秩序に対抗する姿勢を鮮明に打ち出すようになる。

それにも関わらず日本では、中ソ対立の歴史や両国の利害の不一致などから、中露が一枚岩になるという見方は広がらなかった。専門家の中には、中国の台頭を警戒するロシアに接近することで、日本が両国の間に「楔」を打ち込むことが可能との見方も存在した。こうした見方は、プーチン大統領と27回もの会合を重ねるなど、対露関係を重視した第二次安倍政権の外交にも少なからず影響を与えていたものと思われる。

こうした日本側の思惑にも関わらず、中露は軍事協力を含む連携を継続的に強化した。中露はまた、北朝鮮やイラン、および「グローバルサウス」の一部の国々を含む、西側主導の秩序に不満を抱く勢力にも接近している。その結果、西側陣営の力の優越という日本の安全保障政策を支えていた前提が、見直しを迫られている。岸田政権が掲げた「抜本的な防衛力の強化」の背景には、こうした国際的なパワーバランスの変化に対する見通しがあり、中露の接近はそうした変化を促す重要な要因となっているのである。

中朝露の接近と核をめぐる問題


日本にとってより切実な問題は、米中露の核戦力のバランスの動向である。2024年版の『防衛白書』によれば、中国は核戦力の近代化・多様化・拡大を目指しており、陸・海・空の核運搬手段に投資してその数を増やすとともに、核弾頭を増産している。白書はまた、中国の運用可能な核弾頭の保有数が、2023年5月時点で500発を超えており、2030年までに1,000発を超えて、2035年まで増加し続ける可能性について言及している。これにより、2030年代には米国とロシアに加え、中国を含めた核の「米中露三極時代」の到来を予測するものもいる。

こうした状況において、仮に核戦略においても中露および北朝鮮が連携した場合、核戦力における西側の優位はいっそう不確かなものになろう。特に米国の同盟国が核を持たないインド太平洋地域において、その影響は深刻である。日本はそうした状況に対する手立てを、今のところ何も持っていないのである。




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