昭和の世界恐慌、冷害(米不作・米農家の困窮)、身売り、2.26事件:令和の日本に似た状況?



今から約100年前の昭和初期、世界恐慌の余波が日本の農村を直撃した。

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米が売れず、家族の食うや食わずの日々が続く。
東北の田んぼでは、必死に働いても生活は楽にならなかった。



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1934年〜1935年(昭和9年〜昭和10年)にも、青森県・岩手県・宮城県を中心とする東北地方で大凶作が発生した。昭和8年(1933年)から大雪となり、さらに昭和9年7月末から冷害により大凶作となった。このため東北6県の作付け面積の96%が被害を受け、収量は平年作の約6割にとどまった[1]
この大凶作は昭和恐慌と重なったため、都市部の大失業と所得減少、都市住民の帰農による人口圧力などによって農村経済は疲弊、農家の家計は窮乏化し、東北地方や長野県などでは、若い女性身売りが起こり、欠食児童が続出し、二・二六事件の背景にもなった[8]。これは、世界恐慌からはじまるブロック経済の進展などもあいまって、満州事変から始まる15年戦争につながる背景ともなった。

そんなとき、1934年は冷害で米が足りなくなり、政府はあわてて外国から米を輸入する。
だが翌年は逆に豊作。
市場にあふれる米は値崩れし、農家の収入は底を打った。
昨日まで「食べ物が足りない」と言っていたのに、今度は「売ってもお金にならない」という皮肉な運命が待っていた。

追い詰められた農家は、娘を奉公や遊郭に売ることでしか家を保てなかった。
泣きながら送り出す親と、幼い弟妹に「元気で」と言い残して去る姉。
その姿は、村のあちこちで繰り返された。
一方、若い男たちには行く当ても仕事もなく、頼れるのは軍隊だけ。
制服を着れば飯に困らない。
それは「男は軍隊へ」という時代の合言葉でもあった。

こうした農村の惨状を目にして育った陸軍の青年将校たちは、「政治家や財閥が国を食い物にしているから農村がこんなに苦しいのだ」と憤りを募らせていった。
そして昭和11年2月26日、ついに彼らは銃を手に立ち上がる。腐敗した政権を倒し、天皇を中心とした新しい日本をつくるのだ、と。

雪の東京に銃声が響いた。これが「二・二六事件」。
その背後には、東北の田んぼで泣きながら送り出された娘たちや、軍隊へと吸い込まれていった男たちの影が色濃く横たわっていた。


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雪の田んぼの物語

昭和十年の秋。
稲はたわわに実ったはずだった。
けれど、村の米蔵には余った米が積まれ、買い手はつかず、値はどんどん下がっていった。
父の重蔵は頭を抱え、母は囲炉裏の前でため息ばかりをついていた。

長女のはるは十六歳。
幼い弟妹を背負って田んぼに出ていたが、ある晩、父に呼び出され、目を伏せて告げられた。

「…町へ出て働いてくれ。親として心苦しいが…」

それは奉公でもあり、身売りでもあった。
はるは泣かなかった。
ただ、弟妹の寝顔を見つめながら、小さな声で「元気で」と繰り返した。

長男の勇吉は十八歳。
村では仕事がなく、父の手伝いをしても家計の助けにはならない。
やがて徴兵検査が来て、彼は迷うことなく軍隊に入った。

「兵隊なら三度の飯に困らねぇ」

そう言って、母に笑顔を見せたが、その目には不安が揺れていた。

村のあちこちで、同じようなことが起きていた。
姉が町へ売られ、兄が軍服を着て消えていく。
残された両親と幼い子どもたちが、荒れた田んぼを黙々と耕す。

東京に出ていた青年将校たちも、この現実を知っていた。
彼らの心には怒りと正義感が渦巻いていた。

「なぜ、国を動かす政治家や財閥は、東北の農民を救おうとしないのか」
「この国を立て直さねばならない」

昭和十一年二月二十六日。雪の東京。
彼らは銃を手に、政府中枢を襲撃した。
腐敗を一掃し、天皇のもとで新しい日本を築くと信じて。

だが、事件は鎮圧され、多くの将校が処刑された。
東北の村では、相変わらず雪の下で米が売れず、はるの姿は帰らず、勇吉からの便りも届かない。

白い雪原に立ち尽くす母は、手を合わせながらつぶやいた。
「どうして、私らばかりがこうなんだろうねぇ…」


勇吉の軍靴

勇吉が入隊したのは、まだ雪の残る春だった。
軍靴を渡され、角刈りにされた頭を撫でると、村を出てきた自分が別の人間になったように感じた。

「起立!気をつけ!」

号令が飛ぶ。
腹が鳴っても、誰も気づかぬ顔で動作を揃える。
軍隊は飯にありつけるだけでなく、秩序と誇りを与えてくれる場所のはずだった。

だが夜、寝床に横になると、村のことが思い浮かぶ。
あの時、涙をこらえて去っていった姉・はるの背中。
母の手の荒れたひび割れ。父の深い皺の刻まれた顔。

「俺が立派な兵隊になれば、村も良くなるのか…?」


そんな問いが頭を離れなかった。

ある晩、同郷の先輩兵が小声で言った。

「お前も聞いてるだろう。東京じゃ、俺らの将校様が立ち上がろうとしてる。腐った政治家をぶっ倒すんだと」



勇吉の胸が熱くなった。

「本当に…俺たちの村が救われるのか?」
「さあな。ただ、今のままじゃ、娘は売られ、男は飢えるだけだ」

その言葉は勇吉の心に深く刺さった。
軍服を着た自分は、ただ飯を食わせてもらうためにここにいるのではないのかもしれない。
姉や母や村のために、自分も何かを背負わされているのかもしれない。

やがて昭和十一年二月二十六日。
雪の東京で銃声が響いたとき、勇吉は遠い駐屯地でその報を聞いた。
胸の奥で、何かがざわめいた。

「…俺も、あの雪の中に立ちたかった」

だが事件は鎮圧され、反乱を起こした将校たちは次々と処刑された。
勇吉はただ拳を握りしめるしかなかった。

夜、兵舎の隅でつぶやいた。

「姉ちゃん、俺は何をすればよかったんだろうな」

雪の闇に消えた声は、誰にも届かなかった。


はるの紅い着物

はるが村を出たのは、まだ雪が残る春先だった。
母が荷造りした布包みを胸に抱え、父に連れられて町へ出た。
汽車に乗せられる前、弟妹たちが小さな手を振っていた。
その光景が瞼に焼きついて離れなかった。

行き先は遊郭だった。
表向きは「奉公」だと聞かされていたが、そこに待っていたのは紅い着物と、濃い白粉の匂いだった。

「今日からあんたは“はる奴”だよ」


女将の言葉にうなずきながら、はるは心の中でつぶやいた。

――私はまだ十六なのに。

夜ごと客に笑顔を見せ、酒を注ぐ。
体を求められるたびに、村の雪原や田んぼを思い出す。
あの冷たい風の中で泥だらけになって稲を刈っていた日々のほうが、どれほど幸せだったか。

時折、弟妹の顔が浮かんだ。

「姉ちゃんがいなくても、元気でいるだろうか」
「勇吉兄ちゃんは、ちゃんと飯を食べているだろうか」

ある晩、客の男たちがひそひそ話をしていた。

「聞いたか、東京じゃ将校が動いたらしいぞ。政治家をやっつけるんだと」


はるの胸がざわついた。
勇吉の顔が浮かぶ。
軍服を着た弟が、そのどこかにいるのではないか、と。

けれど事件はあっけなく鎮圧されたと聞かされた。

「結局、世の中なんて変わらねぇさ」


客の一人が吐き捨てるように言った。

はるは俯いたまま、紅い着物の裾を強く握りしめた。

「弟は…あの子だけは、こんな世界に飲み込まれませんように」

涙は落とさなかった。ただ夜の闇の奥に、小さく祈るしかなかった。


雪に埋もれる家

重蔵と妻のとくは、村に残された。
かつては稲穂の波がきらめく田んぼも、今は雪に閉ざされ、風ばかりが吹き抜けていく。

長女のはるを町へ送り出した日のことを、重蔵は忘れられなかった。
汽車が走り出すと、はるは小さな窓から身を乗り出し、必死に手を振っていた。
父として目をそらすしかなかった。

「すまねぇなぁ…」


何度繰り返しても、その言葉は娘に届かない。

長男の勇吉も軍服を着て村を去った。
「兵隊になれば飯に困らねぇ」と笑った顔が、かえって痛々しかった。
とくは毎晩、囲炉裏のそばで縫い物をしながら、息子の安否を祈った。

残された田んぼを耕す二人の手は、年ごとに荒れていった。
米の値は下がり、売っても銭にならない。
村のあちこちで娘が消え、若者が姿を消した。
夜道に立つのは年寄りと幼子ばかり。

ある日、隣の家のじいさまがつぶやいた。

「この国はおかしくなってる。村が干からびてんのに、都会の連中は腹いっぱい食ってる」


重蔵は黙ってうなずいた。
怒りをぶつける相手もいない。
ただ、歯を食いしばるしかなかった。

昭和十一年の二月。
雪の東京で銃声が響いたという噂が村に届いた。

「将校が立ち上がったらしい」


誰かがそう言ったとき、とくの胸がざわめいた。
――勇吉が、そこにいるのではないか。

けれど事件は鎮圧され、世の中は何も変わらなかった。
とくは夜空を見上げ、両手を合わせた。

「どうか、子どもらだけは生き抜かせてください」

雪原に風が吹き抜け、遠くの山々が白くかすんでいた。
家族の声はどこへも届かず、ただ雪に埋もれていった。


エピローグ ― 雪の下に眠る声

昭和十年代の東北の村。
そこには一つの家族があった。

姉のはるは、弟妹の笑顔を胸に町へ消えた。
紅い着物に包まれながらも、祈り続けたのは家族の無事だった。
弟の勇吉は、軍服を着て銃を握った。
腹を満たすために入った軍隊で、やがて「国を変えねば」という熱に飲み込まれていった。
父と母は、雪の下に眠る田んぼを耕しながら、ただ子どもたちを思い続けた。
寒風にさらされたその祈りは、どこへも届かなかった。

やがて二・二六事件の銃声が東京に鳴り響いたとき、遠く離れた村の家族の声なき叫びもまた、その雪に溶け込んでいた。

時代は彼らを選ばなかった。
けれど、彼らの痛みと祈りがあったことを、雪原だけは知っている。
白く果てしない雪の下に、売られた娘の涙も、軍隊へ行った息子の嘆きも、親の震える祈りも、静かに眠っている。

そして今もなお、その雪は溶けぬまま、時代の記憶を抱きしめている。

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