反省文を書きまくっていた次男が教員になる
自由な次男は、宿題をやらない小学生だった。
ひどく面倒くさがりの彼は、漢字ドリルに取り組むのが嫌いだった。
漢字が書けないわけではなさそうで、むしろ漢字は得意だった。
が、すぐ覚えられる漢字をなぜ何度も書かなきゃいけないのか、納得がいかないようだった。
意味ないじゃないか。無駄じゃないか。そしてなにより面倒じゃないか。
と言って、やらない。
宿題をボイコットしている子がいると、先生もそれなりに対策を考えることになる。
当時の担任は若い男性で、次男はよく遊んでもらっていて大好きな先生だったが、さすがに先生も宿題対策を打ち出してきた。
学期末に、宿題をやらなかった回数を枚数に換算して作文を書かせる、という宣言がされた。
先生としては、作文は大変だからと言ってドリルをちゃんと仕上げてくることを期待していたのだろう。
が、次男は違った。
作文を選んだのだ。
意味ない作業を繰り返すより、作文のほうがラクだし楽しいと感じたらしい。
そうして、反省文やら意見文やらエッセイ的なものまで…たくさんの作文を書いた次男は、そんな学期末を繰り返しているうちに、いつのまにか作文がすっかり得意になり、すらすらと書けるようになった。
先生はドリルを強制せず作文で許してくれていたので、おそらく次男の作文を楽しんでくれていたのだろうと思う。
字を書いているからまぁいいか、と思ってくれたのかもしれない。
おかげで彼の作文力が育った。
漢字も、やや怪しいが結局困ることはなくここまできている。
次男の選択の自由を尊重してくれて、しかも思わぬところで文章力を鍛えてくれた先生には、感謝しかない。
その後も、自由な次男は、課せられた宿題をしっかりやっている姿を見ることはほとんどなかった。
要領がいいので、怒られるギリギリでちょろっとやってみたり回避したりと、適当にこなしていた。
おかげで成績は全然ダメだったが、数字が大好きな理系なのに文章を書くことに関しては今もわりと得意だと感じているようだ。
そんな彼が大学生になり、教員を目指している。
どんな宿題を出し、どんな先生になるのだろうか。
