【反省】「伝えたいこと」ではなく「書きたいこと」ばかり書いてしまっていた
僕は今、京都でLaughterというコーヒーショップを運営しています。
いつか「書く」を仕事にしたい!という夢があり、約1年ほどnoteを書いてきました。
そして、「文章を書くことが好き!」ということもちょくちょく口にしていました。
そんな中、「書くことに興味があるなら読んでみたらいいよ」と紹介されたのがこちらのnote
【「書く」を仕事にできる人はココが違う!】
— 竹村俊助 | 株式会社WORDS代表 (@tshun423) January 10, 2020
①「書きたい」人というより「伝えたい」人である
②「自分」ではなく「他者」に興味がある
③「執筆」以前に「取材」に力を入れている
④「自分のため」ではなく「他者のため」に書いている
⑤なにより世界をおもしろがり、仕事を楽しんでいる
もうグサグサと刺さるものばかりで…大変勉強になりました。
特に感じたのは、自分の文章には「伝えたい!」という思いが足りていたか?と。
もちろん、一人でも多くの方に届けたいと思いながら一つ一つの記事を書いてきました。
しかし、それは「自分が面白いと思ったことを、自分らしく面白く伝えたい」との思いでした。
よく、「書きたいんだけど、発信することがない」という悩みを聞きます。そういう人は、ほとんどの場合、自分のことを発信しようとしすぎています。自分の中にネタを探そうとしても大したものは見つかりません。そうではなく、外を見て、歩きまわって、人と話して、ネタを集めようとするべきなのです。
「発信できない」と言う人のほとんどは、自分のことを書こうとしています。でも、自分の中には何もありません。そういうときほど、外を見なくてはいけないのです。
外に目を向けてみれば、おもしろいこと、伝えたいことが見つかるはずです。そのなかで自分の「フィルター」に引っかかったものを「書く」のも立派なアウトプットです。
noteのネタに困ったとき、自分の深掘りを始めていたのが今の僕です。
最近起こったこと、過去を振り返って…
自分の引き出しから引っ張り出そうとしていました。
「書きたい」という思いは悪くないのですが、そこに需要がなければ、どうしても自己満足の世界に陥りがちです。「そうは言っても文章で自己表現したい」という人は、作家やエッセイストを目指す道はありますが、狭き門であることを覚悟しなければいけません。
もちろん好き勝手に書いて楽しむことを否定しているわけではありません。ぼくも書くことでストレス発散をすることもあります。ただ「仕事にする」ということになると、また話は変わってくるのです。
先日、生誕10000日目に10000字ぴったりのnoteを書いてみました。
自分の人生を深堀りした内容で、「10000日目に10000字ぴったり」というところが面白がられて読んでもらえるかな…と思っていましたが、思いのほか閲覧数は伸びていません。
この記事こそ「書きたい」と「伝えたい」の違いを学ばせてもらったものでした。
まだ何者でもない僕が、自分の人生を綴っただけで読んでもらえるほど甘くはない。一人でも多くの方に文章を届けるためには、「自分らしく」という自己満足に陥らないようにすることが一つポイントだなと。
「書く姿勢」がまだまだ甘かった…
ただ、竹村さんは最後にこう綴っています。
人工知能が発達していくと、書くこともいずれはコンピュータがやるようになるかもしれません。すでにシンプルな記事はAIによって作成できます。音声認識がより発達すれば、「書く」ということをしなくても「話す」だけで記事ができあがるかもしれません。
そういう時代に、ライターや編集者の価値とは何なのでしょうか?
ぼくは最終的に「生き方」になると思います。「どういう生き方をして、どういうことを考え、どういうことを感じたのか?」それが書く仕事をする人の価値になると思うのです。
書くことを仕事にしたいのであれば、文章の技術を磨くことも大切かもしれませんが、それよりも世界をおもしろがること、楽しく生きることのほうが大切なのかもしれません。
ここで一つ勇気をもらいました。最終的には「生き方」なんだと。
世界を面白がり、泥臭く文章を書き続ける。
中々すぐに「伝える」文章にはならないかもしれませんが、この姿勢だけは貫いていこうと思います。
「書く」を仕事にするために。
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