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物語の欠片 象牙色の城郭篇 15

-カリン-

 気配を感じて顔を上げると、そこにセダムが立っていた。
 カリンはペンを置いて挨拶をする。時刻はひる過ぎである。リリィはもう帰ったのだろうか。
 「申し訳ありません。お邪魔ではありませんでしたか?」
 「いえ。今朝、ジニア様から急ぐ必要はなくなったと伺いましたから。」
 「ええ、私も今そのお話を伺って安心したところでした。ジニア様には本当に良くしていただいておりますので。」
 昨日ジニアから聞いたところによると、リリィが挨拶にと連れて来たセダムはすぐに考古学室に興味を持ち、予定の時間を大幅に超えて考古学室の説明を聞いたのだという。これまでの出土品の目録や調査結果も真剣に眺めていたそうだ。そしてその後も、こうして時間ができるたびに挨拶がてら考古学室へ立ち寄り、ジニアと話をしていく。ジニアがセダムの生い立ちに同情を示したのも無理はないと思った。
 「どうかなさいましたか?」
 「カリン殿の今朝の様子が気になりまして、少し寄ってみました。あ、母には図書室に寄りたいと言って先に帰ってもらったので大丈夫です。」
 思いがけない答えにカリンは笑顔を作るのも忘れてセダムの顔を見返した。
 「…有難うございます。でも、わたくしは御覧の通りもう大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。」
 「それは良かった。」
 「リリィ様に嘘をついてしまわれて、大丈夫でしょうか。」
 「大丈夫です。図書室へも寄って来ました。嘘ではありません。」
 セダムは人懐っこい微笑を浮かべた。初めて会った時よりもやや親しげな表情だ。対応は大人びているが、やはりまだ十三歳の少年なのだと思う。
 「あのあと、リリィ様に叱られたりはしませんでしたか?」
 「ええ。母は暫くの間機嫌が悪かったのですが、法務局に到着するなり忘れてしまったようです。何よりも私の官吏への登用が重要なようで…。」
 「医局へいらっしゃるのですね?」
 「はい。その予定です。慣例通り官吏補とするのか、正式な官吏とするのかでまだ揉めていて。私としてはどちらでも構わないのですが。それよりも、早く働き始めて皆様のお役に立ちたいのです。」
 「ご立派なお心がけですね。」
 「私の存在が、誰かの役に立つなどとは思いませんでしたから。」
 似ている…。カリンはそう思った。
 子供の頃の自分も、薬師としての自分の能力が誰かの役に立つことが嬉しかった。マカニの族長が、自分を子供扱いせずにその能力を認めてくれたことで、どれだけ救われたことか。
 変わった子だ。魔物の子だ。そう言われても、自分を必要としてくれる人が居る。そう思うと、生きていることを許される気がした。
 セダムも、自分が捨てられたという傷を、人の役に立つことで埋めようとしているのかもしれない。
 またしても感傷に呑み込まれそうになる。
 自分がセダムに感じているのは同情ではなく同調だ。しかし同情も同調も、いずれにせよセダムにとっては良いことではない。もっと公正な眼で見なければ。公正な眼で見ても、セダムは素直で芯が強く、勤勉な少年だ。
 アオイ…。
 今度はセダムを過去のアオイと比較してしまいそうな自分を慌てて否定する。どうもセダムのことを考えると、上手く自分の感情を制御することができなかった。
 「カリン殿、大丈夫ですか?やはりお加減があまりよろしくないのでは…。」
 「いえ。申し訳ありません。つい自分の子供時代を考えてしまって…。」
 話してはいけないと思いつつ、カリンはそう口にしていた。
 セダムはリリィからカリンの話を聞いている筈である。このままではセダムは板挟みになってしまう。案の定セダムの顔が曇る。
 ユウガオの言葉が頭を掠めた。
 『同じ轍を踏むなよ。』
 セダムにリリィを悪く言わせてはいけない。
 何とか取り繕おうと口を開きかけた時、考古学室の扉が叩かれた。そこに意外な顔を見つけてカリンは思わず立ち上がる。
 「レン。どうして?」
 考古学室に居た全員が、突然現れた翼を持つマカニ族の姿に釘付けになった。
 「ああ良かった、カリン。まだここに居たんだね。…突然失礼いたしました。マカニ族のレンと申します。」
 レンはジニアに挨拶するとカリンの所へ歩いてきた。カリンの隣にセダムが立っているのを見ると、話の途中で割り込む失礼断ってカリンに向き直る。
 「カリン。アルカンの森が燃えてる。」
 あまりのことに声が出ない。
 「出られる?」
 黙って頷いたカリンの代わりにセダムがレンに向かって尋ねた。
 「それは本当ですか?…申し訳ありません。私はセダムと申します。カリン殿には色々と教えていただいていて…。そして、あの、私も森には思い入れがあるものですからつい…。」
 「いえ、こちらこそお話し中に突然割り込んでしまい、申し訳ありませんでした。急ぎの要件故、ご容赦ください。アルカンの森が燃えているのは本当です。私は今マカニから飛んで参りましたが途中で上空を通りました。まだ火の手はそれほど大きくはありませんでしたが、黒煙が充満していました。今頃アグィーラの戦士たちとマカニ族の戦士たちが協力して消火に当たっている筈です。」
 そこまで聞いて漸く、カリンの身体が動いた。
 アルカンの森へ行かなければならない。おそらく中の森は森の主の結界で無事だろう。いや、そうであってほしい。外の森は時間をかければカリンの力で元に戻すことができる。しかし、中の森は…森の主の広場は…自信が無かった。
 「セダム様、申し訳ありません。お話の続きはまたいずれ。私は森へ行かなければなりません。」
 「ええ構いません。どうか森を、よろしくお願いします。お気をつけて。」

 階段を駆け上がると、カリンは中庭へとレンの手を引いた。
 「ここから飛んで。咎められたら私が責任を持つ。」
 頷いて羽ばたいたレンはあっという間に城壁の高さを越えた。おそらく城の人間にも城下町に住む人間にも目撃されただろうが、今は気にしてなどいられない。少しでも早くアルカンの森へ行きたかった。
 飛びながらレンに状況を聞く。アグィーラの見張りも火事には気がついていたようだが、カリンは地下室に籠もっていたので騒ぎに気がつかなかったのだ。レンが来てくれて良かった。気がついたとしても、馬では時間がかかる。族長とシヴァの判断に心から感謝をした。
 少し飛ぶとカリンの目にも、遠く燃えている森が目に入った。
 「ここからだと、さっきとあまり状況が変わったようには見えない。ということは火の勢いを押さえられていると、いい方に考えたいね。」
 「そうだと良いのだけれど…。」
 「これまでにアルカンの森で火が出たことは?」
 「無いわ。基本的に潤っている森ですもの。自然に発火するとは考え難い。」
 「それじゃあ人為的なもの?」
 「故意か偶然かは分からないけれど…。例えばこの間の考古学室の小火のように置き忘れた角灯が原因とか。」
 火…。
 そういえばまた火だ。
 そして、傷つけられた木と森。
 全部、繋がっているのだろうか。
 夢は?あの、厩舎裏の木が見せてくれた映像は?
 「今色々考えても仕方がない。とりあえずアルカンの森の入口で降りるよ。」
 思わずレンに掴まる手に力が入っていたのか、レンに諭される。
 その通りだと思ったので、カリンはレンの背中で大きく深呼吸をした。その鼻孔を微かに煙の香りが刺激する。
 アルカンの森の上空にちらつく影は、マカニ族の戦士たちだろうか。地上の戦士たちの姿はまだ目に入らなかった。

 真っ先に目に入ったのはシヴァの紅い翼だった。
 アルカンの森の手前で降りると言ったレンは、シヴァを目指して飛んだ。レンの動きを読んでいたのだろう。アグィーラ城から一番近い森の入口の上空にシヴァは居た。
 そこまで来ると地上で動いているアグィーラの戦士たちの姿も良く見えた。どうやら延焼を防ぐために燃えている木の周辺の木を倒して回っているらしい。
 マカニの戦士たちは、上空から水や砂を撒いていた。
 「シヴァさん、状況はどう?」
 「早かったな。状況は悪くはない。俺たちが来た時にあった炎は鎮まり始めている。しかし、煙が凄いな。」
 「木が湿っているからよ。」
 「そうなのか?」
 「湿った木を燃やすと煙が沢山出るの。やっぱり、自然発生的な火事とは思えない。」
 「さすがにカリンは詳しいな。風下だったこともあって、アグィーラ側の鎮火を優先した。中の様子はよく分からないが、降りても安全だと思う。」
 「有難う。中へ入ってみるわ。」
 「あまり無茶はするなよ。」
 「レンが居るから大丈夫。」
 「分かっているだろうが、今も消火中だ。頭から水や砂を被るのは覚悟しておいてくれ。」
 「分かった。」
 「レン、二人で大丈夫か?」
 「魔物が居るわけじゃないしね。火が相手じゃ、何人居ても変わらない。中の森の入口まで辿り着けなかったら一度戻ってくるよ。」
 「そうしてくれ。頼んだぞ。」
 カリンはマカニへ行くまで、戦医として戦士の任務に同行したり、共に訓練したりしていた。カリンとレンが地上に降りると、数名の戦士たちが声をかけてくる。それに応えながら森の入口に立った。
 煙で視界が利かない。アルカンの森の主の霧の結界とは違い、カリンを拒絶する煙だった。
 意を決して奥へと歩みを進める。
 煙を吸い込まないよう、口元に布をあてがい、頭の後ろで縛る。アグィーラの戦士たちは主に森の外側で作業をしているので中心部には誰も居なかった。
 通い慣れた道が知らない道に見える。いつもは明るい森が、煙のせいで薄暗かった。自然と足が速くなる。最終的に、カリンは駆けだしていた。レンはそんなカリンをいさめることはせず、黙ってついてきた。
 ふっと空気が変わる。
 同じように視界が利かないが、これはいつも感じている気配だ。
 「主様…。」
 思わず声が漏れる。
 これは森の主の結界だ。
 結界が生きているということは、森の主は無事だということだ。いや、そう信じたかった。
 カリンは夢中で駆けた。
 そしていつものように結界を抜け、そこには、森の主の広場へ続く小さな広場があった。
 カリンは小さく息を呑んだ。
 足を止めたカリンに、レンが勢い余ってぶつかる。
 一本だけ、枯れている木があった。
 あの、ピンク色の花をつける木だった。
 先日見た花は、最後の力を振り絞ったものだったのだろうか。
 しかしその姿に嫌な予感が拭えず、カリンは再び駆け足でその木の横を通り過ぎ、森の主の広場へ続くトンネルを抜けた。


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