物語の欠片 象牙色の城郭篇 8
-レン-
マカニの村の在る嶺と向かいの峰の間には深い谷がある。それ故その二つを繋ぐ大吊り橋は橋の途中に支柱が建てられない。両方の峰の突端に大きな主塔を立て、主綱で繋ぐ。主綱の両端は主塔ではなくその先の強固な岩盤に固定される。主塔を軸とし、この力の均衡で橋桁の重さを支えるのだ。主綱の長さ、撓みは厳密に計算されていた。主綱からは更にロープが吊るされ、桁とその上に並べられる板に直接固定される。
昨日、この主塔の建設が終わったと報告があった。しかし、作業に危険が伴うのはこの先だった。地面に塔を建設するよりも、何も無い空間に橋を渡していく作業の方が難易度が高い。翼を持たない他の種族であれば不可能か、相当の危険を強いられる。
翼を持つマカニ族であっても、重い資材を持ちながら飛び、空中で作業をするには高い技術が必要だった。
「今日は主塔の最終確認を行います。問題が無いようでしたら明日、主綱を渡す作業に取り掛かる予定です。」
土木師長であるレンギョウがレンたちの方を振り返って説明する。朝の打ち合わせの後、族長とシヴァと三人で橋の建設現場の視察に来た。明日以降の作業は多くの人出を必要とするため、戦士たちのほとんどが参加することになる。必要な人員の見極めが必要だった。
主綱は綱と言っても橋を支える物なので相当の太さと強度を有している。重量もかなりありそうだった。
「凄く立派な主塔になったね。」
レンの言葉にレンギョウは少し得意げに、そうだろう、と返事をする。
「今回大吊り橋が落ちた時、両側の主塔は根元から折れていた。つまり主塔そのものが雪の重さに耐えられなかったんだ。だから今回は主塔の設計から見直した。」
「さすが。」
「明日は、レンがアグィーラから戻り次第作業を開始する。」
シヴァが言うとレンギョウは頷いた。レンは今日の午後マカニを発ってアグィーラへ行き、明日の朝カリンと一緒に戻ってくる予定になっていた。シヴァとレンギョウが細かい打合せを始めたのを聞きながら、レンもこの先の予定に思いを馳せた。これからしばらくは戦士たちの主な仕事は橋の建設の手伝いになるだろう。橋桁を渡す時にはもしかしたら総動員かも知れない。マカニに土木師は十人程度しかいないため、大きな建築物には戦士たちの手伝いが欠かせないのだ。そしてこれは間違いなくここ百年くらいの間では一番大きな建築物だろう。貴重な機会だ。
「レンギョウ、他の皆も聞いてくれ。先ずはここまでご苦労だった。これからは、シヴァやレンとより一層連携して進めてくれ。大役だが、無理せぬようにな。皆の安全が第一だ。時間はかかっても構わぬ。慎重に作業を進めるように。」
族長の良く通る声が谷に響く。土木師たちは神妙な顔で声を揃えて返事をした。
ヨシュアの家に着いた時点で嫌な予感がした。
そして、その予感は夕方カリンが帰ってきて的中した。
「僕もアグィーラに残ろうかな…というのは冗談だよ。いや、そうしたい気持ちは山々なんだけど、明日から橋の建設が本格化するんだ。僕がマカニを空けるわけにはいかない。」
「ごめんなさい。」
「謝らなくてもいいけどさ。…それにしても、よくそんなに次から次におかしなことが起こるよね。城で何が起きているんだろう?」
カリンははっとしたような表情になった。
「お城だけじゃないの。そうだ、忘れていたわ。あのね、アグィーラの城下町の街路樹におかしな傷がついているのですって。今日こそディルさんに話を聞こうと思っていたのに…。」
レンは、自分でも呆れた顔をしているだろうことが分かった。それが可笑しくて笑う。笑ったついでに立ち上がった。
「いいよ。もう一度城へ行こう。僕も一緒に行く。ついでにローゼルにでも会って来ようかなあ。」
ヨシュアも、仕方が無いなというような笑顔で二人を送り出してくれた。
「夕飯作って待ってるからな。あまり遅くならないように。」
はあい、と二人で子供のように返事をする。
日が長くなったのでまだ外はほんのり明るい。城壁のせいで陽が沈むのは見えなかったが、空は綺麗なピンク色に染まっていた。
「アグィーラの空も綺麗だね。」
「そうね。空も、それから大地も、本当は繋がっているのよ。」
「それを切り取るのは人間、か。」
「何かに意味を与えたがるのも人間。」
「あれから夢は?」
「一度も見てない。」
「それは良かった。…でも、それを良かったで終わらせられないのがカリン。」
「ふふ。その通りだわ。」
「問題は問題だと認識した時に初めて問題になる。気がつかないのが一番楽だ。」
「本当にそうね。でも…止められないの。」
「カリンを責めているんじゃないよ。問題は問題だと分からないと解決できない。」
「レン?」
「僕だって少しは成長するんだよ。」
「レンはいつだって成長してるわ。成長していないのは私の方。」
「それは元々先を行きすぎているからだ。…さて、じゃあ、僕はローゼルの所に行ってるから話が終わったら迎えに来てよ。」
王室の居住棟の入口でカリンと別れて奥へと進む。進みながら、そういえば王室もそろそろ夕食の時間なのではないかと気がついた。一瞬執事室へ戻ろうかと足を止めたところで名前を呼ばれる。
「こんなところで何をしている?」
「丁度良かった。君に会いに来たんだ。」
「俺に?…暇つぶしか。カリンは例の考古学室の件に関わることにしたんだろう?」
「それだけじゃないみたいだよ。今、執事室に行ってる。」
「執事室?…まあいい、折角だから外で話をしないか?」
「あはは。ローゼル、余程城の中が苦手なんだね。いいよ。中庭へ行こうか。」
中庭でローゼルと話をする時に使うベンチはいつも決まっていた。図書室の前のベンチだ。理由は以前カリンがよく出入りしていた図書室に近いというだけではない。二人とも戦士だからだろうか。無意識に一番安全そうな場所を選んでしまうのだ。図書室の前のベンチの背はほぼ図書室に面している。後ろから誰かに狙われる可能性が低い。そして、そこからは中庭全体が良く見渡せた。
「で?カリンは執事室に一体何をしに行ったんだ?」
「ディルさんに傷ついた木のことを聞くって言ってたよ。」
「ああ、あのおかしな噂話のことか。確かにカリンは気にしそうな話だ。」
「うん。きっと癒して回る気じゃないのかなあ。…城でもおかしなことが続いているんだって?ローゼルは大丈夫なの?」
「幸い王室に被害はまだない。」
「まだ、ね。」
「そう。まだ、だ。」
「ローゼルのことだから僕が気をつけろというまでもなく気をつけてるんだろうけど、無理しないようにね。君はすぐひとりで抱え込むから。」
「…それを伝えに来たのか?」
「どうだろう。ふと久しぶりに君に会いたくなっただけだよ。」
「ありがとう。」
「どうしたしまして。」
陽は沈んでしまったらしく、空は既に薄暗い。しかし図書室にも回廊にも明かりが灯っていて互いの顔は良く見えた。
「カリンは中庭が城の中で一番好きだって言ってた。ローゼルは?」
「俺は、訓練場かな。」
「あはは。ローゼルらしい。」
「一番落ち着くんだ。」
「そうだね、僕も結局弓と向き合ってる時が一番落ち着く。」
「…なあ。」
「何?」
「近々、カリンとの契約を解消しようかと思うんだ。」
レンは驚きすぎてすぐに声が出なかった。こんな時イベリスならレンを揶揄うのだろうが、ローゼルは真面目な顔でレンを見詰めている。
「もう、大丈夫なの?」
おかしな訊き方になった。
「大丈夫と言えば大丈夫だ。しかしレンが知りたいことはそういうことではないだろう?」
「うん。ごめん、僕の質問の仕方が変だった。多分、ローゼルがカリンを想う気持ちが変わったとは思わないんだ。だからきっと、ローゼルの中で気持ちの整理がついたということだよね?」
「お前とカリンが一緒になったことを理解するのに一年かかった。そして、自分がレフアと一緒になったことを理解するのには…三年要した。何とも不甲斐ないな。」
「ローゼルは真面目なんだよ。」
「お前も真面目だよ。」
「ローゼルほどじゃないと思う。ところで、契約が無くても自ら望んでレフアと一緒に居られるようになったと考えていいのかな。ローゼルひとりが無理するという訳ではなく。」
「ああ。なんというか、今のレフアに対する気持ちは、姫であったレフアに対する気持ちとも、カリンに対する気持ちとも違う。初めて抱く気持ちだと思う。つまり、かけがえのない家族として守らなければならない相手だと感じるんだ。家族と言っても父とは違う。同じ気持ちは、子でもできない限り持つことはないだろう。」
「ふうん。恋というものを飛ばして、いきなり愛になっちゃったんだね。」
「なんだそれは。」
「シヴァさんて憶えてるだろう?その妻で、カリンと仲のいいマオさんていう人が居るんだけど、その人の名言。…まあ、気にしなくていいよ。」
「…長く一緒に居るということはそれだけである種の感情を生むのだということがよく分かった。」
「ほらやっぱり真面目だ。ローゼルはそうやって、ひとつひとつ納得しないと前に進めないんだよ。僕は無理やりでも前には進む。」
「なるほどな。それはよく分かる気がする。」
「とりあえずローゼルが苦しまないなら良かった。契約解消っていったって、元が口約束だからね。カリンとイベリスに伝えるくらいでいいんじゃない?イベリスには伝えておこうか。会いに行くのも大変だろう?」
「いや、自分の口から直接伝えたい。」
「そうか。ローゼルの気の済むようにするといい。一番大切なのはローゼルの気持ちだ。…あ、そういえばそろそろ夕食じゃないのかな。」
「普段も、陽が暮れて初めて時間に気がついて戻ることも多いんだ。またかと思われているくらいだろう。」
「それなら良かった。でもそろそろ行った方が良さそうだね。つきあってくれてありがとう。話ができて良かったよ。」
「お前は…本当にそういうことをさらりと言えるんだな。」
「分かりやすいってイベリスにもよく笑われるよ。」
ローゼルもスグリの言うところの暗躍型だと思い、レンはひとりで可笑しくなる。自分の周りには何と暗躍型が多いのだ。
ローゼルは以前から、カリンとレフアのどちらかしか助けられないならばレフアを助けると言っていた。しかしそれは、レフアが姫であったからであり、カリンがそれを望むからであった。
それが、ローゼル自身、レフアを大切な人として守りたいと感じるようになったことは大きな一歩だと思う。おそらくローゼルの中ではどちらがより大切ということはなく、どちらも違った意味で大切な存在になったのだ。
ローゼルはほんの数年前まで、カリンと二人きりの人生を生きていたのだという。その人生の登場人物が増え、大切な人が増えた。そのことで新たに増える悩みはあるだろうが、それは良いことのようにレンには思えた。
自分もかつてそうだった。大切なものは全てマカニの中にあると思っていた。カリンに出会って人生が変わったのだ。
ひとりの友人として、ローゼルの選択を心から応援しよう。そう思いながら、レンは執事室の扉を開けた。
