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物語の欠片番外篇3 木蘭色の逡巡(後篇)

木蘭色の逡巡(前篇)の続きのお話

-イベリス-

 もう五年程一緒に暮らしているが、「父上」と素直に呼べるようになった今でも、父親パキラは相変わらず謎の存在だった。
 夕食後、イベリスは傍で本を読んでいる振りをしながらパキラを観察している。
 武術とは縁のなさそうなすらりとした肢体に細面の顔。そんなパキラを、この、王国最大の町にして治安の悪いポハクを治める族長らしく見せているのは、悪事を見逃さないと言わんばかりの鋭い眼光と、それに反して余裕を感じるやや皮肉っぽい口元だろうと思う。
 レンはイベリスとパキラの目元が似ていると言うが、イベリスには少しも似ているようには思えない。それどころか、一緒に暮らせば暮らす程、似ているところなど皆無なのではないかと思えてくるのだ。
「その本は、腕の力を鍛えるためのものなのか?」
 不意にパキラが、自分が読んでいた本から目も離さずに尋ねた。
「……御明察です」
 イベリスは分厚いだけが取り柄のようなその本を上げ下げし、パキラの皮肉に負けじと、にやりと笑いながら応える。
 そうするとパキラは、心底呆れたような表情で漸くイベリスの方を見るのだ。
「無理やり俺につき合う必要は無い。お前はお前の好きなことをすればいい。それとも、何か質問でもあるのか?」
「俺は俺の好きなようにしているつもりです。少しは真面目に本を読まなければならないという気持ちはあるのですが、つい……。父上にお訊きしたいことは山ほどありますが、何から訊いていいかすら判らない」
 イベリスがやや自嘲気味に笑うと、パキラは自らの手の中の本を閉じて立ち上がった。
「酒が足りないな」
「あ、俺がやります」
「いや、いい」
 夕食が終わるとパキラは使用人を帰してしまうので、この広い館にはイベリスとパキラ、そして数名の警護の者しか残らない。
 パキラはどこからか見慣れないラベルのついた葡萄酒を運んできて、手慣れた手つきでそれを開けた。イベリスに飲むかと尋ねもせず二つのグラスを赤い液体で満たすと、ひとつをイベリスに向かって差し出す。イベリスは礼を言ってそれを受け取った。
「その表紙の石……」
 パキラは自分の分のグラスを持って気に入りの椅子に座り直すと、グラスを傾けただけの乾杯の合図をし、イベリスが横に置いた分厚い本を顎で指した。
「金緑石……ですか?」
「そう。それは、俺が初めてシュンランの所へ持ち込んだ石だ」
 突然始まった話に頭がついてゆかず、イベリスは返事ができなかった。代わりにグラスに口をつける。目は、大きく見開いていた筈だ。驚きは伝わっただろう。
 パキラは口元にうっすらと笑みを浮かべている。
「聞きたくないか?」
「いえ、是非聞かせて下さい」
 むしろそれは、ずっと聞きたくて訊けずにいたことだ。
 二人の間を、ポハクの夜の涼しい風が通り抜けた。

 パキラはポハクの町の市場に、目の見えない石売りが居ることに気がついていた。しかしパキラは当時、個人的に石売りの所へ石を持ち込むことはなく、すべて商人会を通していた。自分で石を買うことも無いから、ただそういう存在が居ると認識していただけだ。
 そんなある日、偶々近くを歩いていた採掘師の集団が、良からぬ算段をしているのを耳にする。目の見えぬ石売りに、高価な石だと偽って二束三文の石を買い取らせようという、どこにでもありそうな話だった。
 気になったパキラは後をつけた。
 少し離れて様子を窺っていると、どうやら採掘師たちの目論見は外れ、石は買い取れないと返事をしたらしい。
 自分たちの取って来た石にケチをつけるのかと凄む男たちにも動じず、石売りの女は、資金力のない個人の石売り故、自分の気に入る石以外は買い取れないのだと繰り返していた。
 しばらくすると男たちは諦めたのか、悪態を吐きながら去って行った。
 そのまま放っておいても良かったのだが、パキラは魔が差して女に声をかけた。
「凄いな。どうやって石を見分けた?」
 女は僅かに驚いた表情を浮かべたが、見えない眼で真っ直ぐにパキラを見据えて答えた。
「眼が見えない分、他の感覚が発達します。私の場合、触れれば大体の石のことは解ります」
 その日は、少しだけ世間話をして別れた。
 その数日後、パキラはポハクでも希少な金緑石を掘り当てた。これは、採掘師として属していた集団のノルマの外の話だった。羨む仲間たちには、記念にしばらく自分で保管しておくと言って持ち帰ったが、ふと、あの石売りのことを思い出した。
「この石が何だか判るか?」
 パキラの手渡した石をしばらく触っていた女は首を横に振った。
「私がこれまで触れたことのない石です。ですが、とても良い石であることは解ります。とてもではありませんが私に扱える石ではありません」
「これは、金緑石という石だ」
「名前は存じ上げております。とても希少な石ですね。やはり私が扱えるようなものではありません」
 相変わらずこちらを真っ直ぐに見据えるその水晶のような眼に映る自分の姿を見て、パキラは不思議な心持になった。
「すまない。貴女を試すつもりはなかったんだ。ただ、純粋に見てもらいたかった……あ、見るというのはつまり……」
 女はそこで、初めて笑顔を見せた。
「大丈夫です。貴方のことは疑ってはおりません」
「そうか。しかし、貴女は俺にはまだ触れてはいない。人間のことは、触れずとも解るのか?」
「ふふ。そうですね。人の場合は声というか、気配というか、近づいて来た時に、たいてい解ります」
「凄いな」
「そうやって……生きてきました」

「何というか、生きるということを突きつけられた瞬間だった」
 パキラの表情はあくまでも穏やかだ。それ以上でも以下でもない。昔を懐かしんでいるようでも、哀しんでいるようでもなかった。
「その石は、どうしたんですか?」
 本当に訊きたいことはそれではなかったが、イベリスはそう尋ねた。いつもそうだ。本当に訊きたいことは、結局いつも尋ねられずにいる。
「しばらくは俺がそのまま持っていた。シュンランと一緒に居ることが多くなって、時折二人で眺めたりもしたな。しかし、俺が族長の娘婿になると決まり、シュンランと別れなければならなくなった時に売ってしまった。石のままシュンランに渡したらそのまま持ち続けていただろうが、それは余りにも哀れだった。だから売って、その金を当面の資金として渡したんだ。そういうものは頑なに受け取らないシュンランが、その時は素直に受け取った」
 それは、二人で心中することもできず、ポハクを出てゆくこともできずにいた時期の、二人の未来のために取り得る最後の手段だったのだろう。
 パキラが淡々と話せば話すほど、イベリスの中にはやりきれない思いが募った。
 パキラと母親が想いを通わせていたと知った時から、ひとつだけ、イベリスが考え続けてきたことがある。今ならば、それをパキラに伝えられるような気がした。いや、今しかないように思えた。パキラがこの先、こんな風に母親の話をしてくれることがあるかどうかも判らない。
「あの……」
 こんな時に、あれだけ鍛えあげて来た道化の仮面が出てこないことを心底恨めしく思いながら、イベリスは思い詰めた表情をしているであろう自分を意識しながら言葉を絞り出した。
 パキラはそんなイベリスを見てくつくつと笑う。
「今更何を……という感じだな」
「違います。あの、ずっと考えていたことがあるんです」
「ほう」
「母は眼が見えない分、耳が良かった」
「そうだったな」
「俺には信じられないくらい良かったんです」
 パキラが先を促すようにイベリスの顔を見て、空になっていた二人のグラスを葡萄酒で満たした。
「父上が族長になる直前、母と夜の町で再会した時、母はその気になれば父上が母に気がつく前に逃げられたはずです。静まり返ったポハクの夜に、父上の足音を聞き間違えるとは思えない」
「……なるほど」
「母はむしろ、待っていたのではないでしょうか。だから、頻繁に夜中に出歩いていた」
「少なくともそのためだけではないだろう。実際、俺と出会う前から夜に出歩くことはあったらしい」
「父上にそれを話したことも憶えていた。だから、いつか父上が母と会いたいと思った時には夜に出かけてくるのではないかと、そう期待して……最初俺が考えていたのとは真逆で、父上が偶々出くわした母に声をかけたのではなく、母がそれを待っていたのではないかと……」
「落ち着け」
「は?」
「まずはそれでも飲んだらどうだ」
 パキラが愉快そうな表情でイベリスの手元のグラスを指す。イベリスは素直にそれを飲み干した。その時初めて、とても上等な葡萄酒であることが分かった。
「きちんと乾杯しよう」
 空いたばかりのグラスが再び満たされ、それでその瓶は空になった。
 パキラは、乾杯、と言い、自分のグラスをイベリスのグラスに重ねる。
 澄んだ音が、静かな室内に響いた。
 何が何だか分からないイベリスは、パキラの顔を見つめた。自分は何かおかしなことを言っただろうか。
「お前も随分頭が回るようになったな。まずはそのことに乾杯だ」
「……揶揄からかわないでください」
「揶揄ってなどいない」
 ああ愉快だ、とパキラは笑った。
 それはいつもの皮肉な笑みとは少し異なる顔で、イベリスは一瞬だけ母親が見ていたパキラを見たような気がした。
「何が愉快なのですか?」
「お前と、このような話をしていることがだ。数年前までは、思いもよらなかったことだろう?」
「ええ、それは、その通りです」
「すぐに本当のことを話して、お前が俺に懐いてしまったら、サフィニアが放っておかないだろうと思ったのだ。だから、お前がひとりで生きていけるようになるまで、話さないことに決めた」
「ああ……」
 それはそうかもしれない。やはり、パキラは意図的にイベリスを遠ざけていたのだ。
「しかし、そうこうしているうちに思った以上に絡まってしまって、自分ではほどくことができなくなった。レン殿やカリン殿やエンジュの力を借りなければ、解けなかった。呆れた読みの甘さだ」
「そんなことは……」
「……お互い、だったんだよ」
「え?」
「お前の言うとおり、シュンランはおそらく俺を待っていた。哀れなことだ。待つ方が圧倒的に苦しい。俺はあの時……族長になる直前だった。これが最後の機会だと思って、シュンランが相変わらず夜中に出歩いている可能性に賭けて、外遊を半日早く切り上げて戻って来たのだ。会えなければ会えないでしまいだと思った。しかし……シュンランはそこに居た」
 いつもならば勢い良く酒を煽るパキラが、今日は味わうように少しずつグラスの葡萄酒を口に含んでいる。イベリスには、時間がゆっくりと流れているように感じられた。いや、もしかしたら時間は昔に向かって緩やかに戻り始めたのではないか。そんな淡い期待のようなものが浮遊していた。
 このまま、二人とも今の記憶を持って、母の居る時代に戻れたならば……
 それでも、何も変わらないのかもしれない。
 相変わらず族長が絶対の時代で、当時の族長に逆らったとして、三人で生きてゆけるだろうか。マカニへ行けばあるいは……しかしマカニも当時の族長は先代の時代だ。
「何も……できない」
 イベリスは思わず声に出して呟いていた。パキラは何に対して、とは訊き返さなかった。
「俺も何もできなかった。一夜を共にした後は、もう町で見かけても互いに声をかけないと約束した。まさかお前が生まれるとは……少なくとも俺は考えていなかった」
 五歳のイベリスを連れた母親を見かけた時には驚いたことだろう。パキラはその後、約束を破って母親に会いに来たのだ。
 ふ、とパキラの表情が緩む。
「……とはいえ、望まれない子ではなかったから安心しろ」
 イベリスは何と返してよいか分からずパキラの顔を見つめた。
「お前が居たらシュンランは他の男と一緒になる事は無いだろうと思ったのだ。だから引き取ることを考えた。以前も話したように、最初は母子共々の予定だった。まあ、俺の考えが浅はかだったのだが……そう……結局、あのまま放っておいた方が、皆、しあわせだったのかも知れぬな」
「そんな……父上は……父上には息子は不要ですか?」
 精いっぱいお戯た表情を作ったが、成功していたかは分からない。むしろパキラの方が自然な笑みを浮かべていた。
「あのままシュンランと暮らしていても、お前が俺の息子であることには変わりはない。遠くから、見ていれば良かったのだ」
「俺は……」
 そうだ。自分はどうだったのだろう。自分はパキラの子だと知らない方がしあわせだっただろうか。ずっとあのまま、母親と二人で……
「それでは俺に父親が居ないままでした」
「母親と引き換えにしてまで、お前に父親は必要だったか? しかも、面倒な族長という父親だ」
「……」
 気の利いた言葉が浮かばない自分が情けなかった。茶化す言葉ならば幾らでも思い浮かぶのに。本気で考えれば考えるほど言葉が出てこない。
 レンならば、こんな時何と答えるだろうか。
 レンなら……
「まあしかし、今更こんなことを考えても仕方がない。今在る現実は変わらない。シュンランは死んでしまった。お前は……十数年も苦しんだ後で俺と和解して、まだたかだか五年ほどしか一緒に暮らしていない。今がしあわせなのかも解らんが、これからせいぜい思うように生きろ。もう一度言うが、俺の真似をする必要も、俺に気を遣う必要もない。お前はお前の好きなようにしろ」
 ああ、パキラは結局これが言いたかったのだ。 
 懐かしくて思い出話をしたわけではない。
 イベリスが自分の後を追い始めたことに気がついたパキラは、これまでの経緯をしっかり話すことで、イベリスにもう一度きちんと考える材料を与えたのだろう。
 そして遅ればせながら、レンもきっと、どうにもできない過去ではなく今を見ろと言うだろうな、とぼんやり思った。
 今は……
「昔の確執はもう忘れました。忘れちゃいけないのかもしれないけど、俺は単純なんです。少なくとも今、俺は父上と一緒に居られて良かったと思っています。母が生きていればもっと良かったけれど、どちらかを選ぶようなことはできません。それに、俺はたぶん、今はしあわせです。父上を知らなかった未来と比較はできませんが……あっ……」
「どうした?」
「いや、そういえば俺があのまま成長して、族長の息子だって知られないままだったら、金の化身にはならなかったんでしょうか。採掘の才能は変わらないはずだから噂は聞こえてくると思います。少なくとも族長に任命してもらわなきゃなれないわけだから……父上はもし、その状況で誰かを選ばなければならないとなったらどうしました?」
 素直な疑問が口をついて出て、イベリスは漸く呪縛から解放されたように気持ちが楽になった。
「まずは採掘工の元締めであるラバテラにめぼしい奴はいないかと訊いただろうが、『族長の息子』という贔屓目ひいきめを除いてもお前の名前が候補として挙がって来たかどうかだな」
「ああ、そうか。そもそも俺が今回化身の候補になったのは『族長の息子』という下地があったからでもあるのか……うーん。それは何とも情けないな」
「情けなく思う必要はない。お前自身は何も変わらないんだ。他の奴の眼が変わる、というだけの話だ。自分に自信を持て」
「そういうところが、俺はまだまだ……」
 大きく溜息を吐くイベリスを、パキラは愉快そうに眺め、葡萄酒の最後のひと口を飲み干した。
「いつもの調子に戻ったな。さて、これは空いてしまった。今度はお前の番だ。酒を取ってこい」
「あ、父上」
「今度は何だ?」
「先ほどの葡萄酒は特別なものですか? とても上等なものだったような……」
「ああ、お前も舌が肥えてるじゃないか。そう、あれは、俺が族長になった時に当時の王から祝いにといただいたものだ。その時は祝う気にもなれなくて、そのままずっと飲まずに居たが、そろそろ開けてもいいかなと思ってな」
「王室の……祝いの……そういうことは最初に教えてくださいよ。最後の一杯以外はろくに味わわずに飲んでしまいました」
「お前は王室の祝いの席には沢山出てるだろうが」
「それより上等だったような」
「そうかもしれんな。何せ大勢に振舞うものとは違う」
「ああやっぱり……」
「無くなったもののことは考えるな。さっさと新しいものを持ってこい」
 パキラもすっかりいつもの皮肉っぽい笑みに戻り、再び本を手に取った。
 長らく飲まずにいた祝いの酒を飲めるようになったということは、パキラの気持ちも、少しずつは軽くなっているのだろうか。
 少しは自分も、役に立っているのだろうか。
 母は……
 金色の馬に乗った母は、父のことを恨んでなどいなかったに違いない。むしろ、しあわせだったのではないだろうか。
『金色の馬に乗れば苦しみの無い世界に行けるのよ』幼いイベリスにそう語った母親の顔は、確かにしあわせそうだった。
 族長の息子であるイベリスの秘密をひとりで抱えている母親は、苦しかったのかもしれない。イベリスをパキラに託し、昔パキラから聞いた金色の馬の話を思い出しながら砂漠へ向かって歩いて行った母は、少なくとも絶望してはいなかった。だからあの夜、おやすみといった顔は、あんなにも穏やかだったのだ。
 自分が生まれて来なければ、母の苦しみは少なかっただろうか。
 そう考えはじめて、先ほどのパキラの言葉の意味が理解できた。
『望まれない子ではなかったから安心しろ』
 ああ……また先手を打たれた。
 しかし悪い気分ではなかった。ひとりで厨房の奥の棚を物色しながら、イベリスは声を出して笑った。
「父上には敵わないよなあ」
 自分が思うとおりに生きることがパキラの望みならば、母親の望みは自分がパキラの助けになることなのかもしれない。だからイベリスをパキラに託した。母親はパキラの傍に居られなかった。パキラの助けになることは、生きて傍に居ることのできる自分にしかできないではないか。
 そう。自分は決して望まれない子だったわけではない。母親の僅かな希望を背負って生まれてきたのだ。
 そして今、自分はパキラと共にここに居る。
 目についた中で一番上等そうな葡萄酒の瓶を掴み、イベリスはパキラの元へ駆け出した。
 父親に呆れた顔をされたら、「あらためていい酒の飲み直しです」と満面の笑顔で返してやろう。
 自分と父親との生活は、まだまだ続くのだから。



Iberis by KaoRu IsjDha


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