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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 23 最終話

-カリン-

 ツツジから族長宛に書簡が届いたのと、マカニにイベリスが乗り込んできたのはほぼ同時だった。
 乗り込んでくる、という表現がしっくりくるくらいにイベリスは憤慨していた。どうやら定期的にやり取りをしている族長とパキラの書簡でレンの身に起こったことを知ったらしい。
 普段は診療所を経由してから訓練場へ上がるイベリスは、カリンの居る診療所を通り越し、先ずは訓練場まで上がった。そして、ひとしきりレンに苦言を呈した後で二人して診療所へ降りてきたのだった。
 イベリスは今、カエデの淹れてくれたお茶を飲んで、漸く少しだけ気を落ち着けたところだった。
「カリンもカリンだ。どうしてすぐに一報くれない?」
「私も翌日からアグィーラだったの」
「アグィーラで落ち合うこともできた。書簡で知らせてくれるだけだって随分違う」
「それはそうね。でも、そんなこと思いつきもしなかった」
「あぁ。どうせ俺はその程度の存在だよ」
 拗ねたような物言いだが、イベリスが本気で怒ってなどいないことは表情で知れた。本当は心配で駆けつけてきたのだろう。イベリスが憤慨しているのは、すぐに話してもらえなかった自分自身に対してかも知れなかった。
 そう思ったので、カリンは素直に謝った。レンもきっとそうだっただろう。
「今日の夜はとことん絡むからな。覚悟しておけよ」
 睨むイベリスの視線を、レンは苦笑いの表情で受け止めた。
「分かったよ。僕の身に起こったことは全部話すし、質問にも答える。でもさ、ひとつだけ言わせてもらうけど、君だって多分自分が怪我した時には近々会う予定がない限り連絡してこないんじゃない?」
「そんなの分かんねぇよ。今なら……するかもしれない……怪我してひとりで寝てるだけなんて退屈だからな」
 イベリスはそっぽを向いてカエデの淹れたお茶を飲み干した。「あぁ美味い」と素直な表情で呟くのが可笑しくて、カリンはくすりと笑いを漏らしそうになり、慌てて咳払いに変える。お詫びもこめて美味しいご飯を作るから買い物に付き合ってね、と言うと、イベリスはその日初めての太陽の笑顔を見せてくれた。

「仲直りは済んだか?」
 ツツジからの書簡が届いているからと呼ばれて族長の家を訪ねると、先ず第一声はそれだった。それで、イベリスはさすがに族長への挨拶は飛ばさなかったのだということを知る。カリンの隣で、イベリスが照れたような笑いを浮かべた。
 シヴァは先に到着していた。
 エリカはレンの報告にあったとおり、アグィーラ医局の分院になる条件に同意しなかったそうだ。アグィーラから医師の派遣を受けない代わりに、これからも堂々と勧誘はさせてもらう、と付け加えられていたという。エリカからの書簡を読んだツツジは、苦い表情を浮かべただろうか。いや、案外微笑んでいたかもしれない。
 カリンの脳裏に、あの時一瞬だけ口元が緩んだように見えたツツジの表情が浮かんだ。
 ワイの患者は自ら動き回れるくらいに回復して無事ワイへ戻った。それに対するエリカの評価には触れられていなかったが、カリンの協力に対して感謝する旨が、ツツジから族長への書簡には記されていたという。
「私はアグィーラの薬師でもあるので、協力するのは当たり前だと思うのですが……」
 カリンは自分の複雑な胸の内もあり、そう言葉にした。
「そなたと医局の関係性からするとそうであろう。しかし、ツツジ殿と私の関係においては、やはりマカニ族の力を借りているという思いもあるのではないだろうか」
「族長様は、直接ツツジ様とお話しされたことはありますか?」
「復興祭の晩餐会で、わざわざ私の席までご挨拶に来られた。そなたがマカニへ来ることが決まったすぐ後だったな」
「そうでしたか」
「その際にも、アグィーラ医局として恥ずかしい話だが、そなたを完全に手放してしまうことは惜しいのだと仰って頭を下げられた。そなたを医局に残したのはツツジ殿というより当時の王の意向が強かったとは思うが、ご立派な態度だと感じた。私としては、当時まだ種族間の交流が盛んでなかった中で種族を越えた婚姻を受け入れるという立場であったから、頭を下げなければならないのはこちらも同様だったと思われるが、寧ろ先に頭を下げられてしまった形だった」
「それは……なんというか……」
 今更ながらに、自分のしたことが周囲にも色々と影響を与えていたのだということを知る。自分の知らない所で、そうやってうまく国の中の整合性を取るように取り計らってくれていた人たちが居るのだ。
「そなたはそのままで良い」
 カリンの考えなど見とおしているだろう族長が優しく微笑む。
 この場合の「そのままで良い」というのは決して変わるなということではないのだろう。今までどおり、自分なりにもがいて、少しずつでも成長していくしかないのだ。
「しかし、ワイはまだまだ何かありそうですね」
 シヴァの言葉でカリンは現実に引き戻される。そうだ。自分と医局の問題よりも、もっと重要なことがある。此処はそれを話す場だった。
「ごめんなさい。つい自分のことを」
「いや、いいよ。カリンとアグィーラの関係も、マカニにとって大切なことだ。今回、そのおかげでレンはすぐにアグィーラの医療を享受できたんだ」
 シヴァもまた優しく笑ってそう言った。
「……そうだな。そう遠からず、エリカ殿と話をしなければならないだろう」
 族長の言葉は、シヴァに向けられたものだ。レンは報告の中で、エリカが族長が来ることを期待していたと言っていたと告げた。その意味することは、カリンは全くと言ってもいい程解らなかった。

「何も解ってないのよ」
 三人で夕陽を見にやって来たイヌワシの岩で、思わず呟いたカリンにイベリスがおどけて応える。
「カリンがなんにも解ってないなら、俺なんて頭がついてるだけ無駄だってことになる」
「大丈夫だよ。イベリスの頭には、よく動く口がついてる」
「おい、レン! お前、さっきまでの殊勝な態度は何処へ行った」
「それとこれとは話が別だろう?」
「うん。まあ、そうだな」
 イベリスは、へへへと笑う。
 カリンも思わず笑ってしまった。
 レンは怪我をしてから、人を乗せて飛ぶのはこれが初めての筈だ。今回はイヌワシの岩は断念するしかないと思っていたが、ちょうどいい距離だから試してみたいとレンが言い、先ずは体重の軽いカリンを乗せて飛んだ。
 そして往きは、レンを心配したシヴァがイベリスを乗せて並行で飛んでくれた。大丈夫そうなことが分かったので、帰りはレンが一往復半することになる。くれぐれも無理するなよ、と念を押してシヴァは戻って行った。
「怪我はもう痛まないのか?」
 イベリスはお戯けた表情を引っ込めて尋ねた。
「カリンの造った薬がよく効いてるから今は大丈夫。薬が切れたら痛むよ」
「おいおい。そんなんで俺を乗せて飛べるか?」
「まだ安静が必要なのは腕だけだからね。飛ぶのに腕はほとんど使わない」
「そうなのか」
「うん。腕が固定されてると少しだけバランスがとりにくいけど。あとは、振動が腕に伝わると少しだけ痛い」
「なるべく動かないようにする」
「あはは。大丈夫だよ、ありがとう。それよりほら、陽が暮れる」
 アルカン湖の向こうの地平線に、太陽の端がかかっている。空はだいだい色と、赤紫に似た濃いピンクと、ほんの僅かのあま色を複雑に混ぜ込んだ色彩をしていた。
 希望と不安、仕事が終わった安堵と一日の疲れ、楽しさと寂しさ、相反する様々の感情をないまぜにした心境にぴったりの色だ。
 濃紺の色彩は、そこにいつの間に忍び寄るのだろう。
 ふと気がつくと圧倒的に夜の色が強くなっており、レンの深い藍色の翼よりも濃い藍色の中に、ぽっかりと明るい月が浮かんでいた。
 その間、三人とも無言だった。
「……ずっと、闇の中に居たんだよ」
 レンがぽつりと呟くように言った。
「洞窟? みたいなところに居たんだろう?」
「うん。月の光すら届かない鍾乳洞。生き物も居ない」
「想像ができないな。俺は毎日採掘をする為に自分たちで掘った穴に入るけど、出口の解らないそんな場所に、たったひとりで閉じ込められるなんてな」
「採掘の穴よりも、ずっとずっと大きかったよ。ああ、でも最後に這うようにして進んだ道は狭かった」
「よく、戻って来たな」
「うん」
「良かった」
「うん」
「イヌワシの岩、忘れないって言っただろう?」
「僕が居なくなったって忘れないだろう?」
「おい」
「解ってる。あのね、僕はどうやら自分の生について執着が足りないんじゃないかと思うんだ。それは戦士としての身の置き方でもあるんだけど、でも、約束の力は信じてる」
「……ならいい」
 約束、か。
 カリンは二人の会話を聞きながら、子供の頃からの自分の行動のあれこれに思いを馳せていた。自分がしてきたことに対しての周囲の影響についてだ。様々な「常識」に反してきたし、破った規則もあっただろう。
 しかし、誰かとの約束は、可能な限り守って来たのではないだろうか。
 それも違う。できない約束はしてこなかったのだ。かたくなな程に。
 それは、自分の能力に自分で枷を掛けて、可能性を制限することになってはいなかっただろうか。
「静かだな」
 イベリスのその言葉が自分に向けられたものだと気がつくのに少し時間が掛かった。カリンが反応する前にレンが代わりに答える。
「カリンはここ暫く考え込んでるんだよ。自分が何も解ってないんじゃないかって」
「ああ、それでさっきの呟きに繋がるわけか」
「そうそう」
「あのね、私には目標が無いの」
「目標?」
 レンとイベリスが声を揃える。
「レンみたいに、弓で一番になるとかシヴァさんや族長様のようになりたいとか……イベリスだって、パキラ様を追い駆けるって決めたのでしょう? 私はこれまで、目の前に現れたり、誰かからもたらされた目標を元に行動していただけで、自分で目標を持ったことが無いのよ」
「薬師は?」
 イベリスが尋ねた。
「薬師にはなりたかったけれど、薬師になって何がやりたいのかって訊かれたら……ただ漠然と……。最初は遊びの延長だったんだもの。母が薬師で、私は植物が好きだった。だから自然と母の真似をし始めて……」
 母親の存在を脅かす程のことをしたにもかかわらず、自分にとってそれはどんな意味があったのだろう。しかし子供の頃、薬師を目指していなかったならば、今の自分が居なかったのも確かだ。
「カリンの言う他人からもたらされた目標って、例えば予知夢だったり国の問題だったりするわけだろう? 十分壮大だけどな」
「壮大だから良いというものでもないでしょう?」
「まあそれはそうだけど、いつの間にかその壮大なものに巻き込まれて、自分自身の人生について考える暇がなかったんじゃないか?」
「イベリス、いいこと言うね。そうだよ。これからゆっくり考えればいいんじゃないかな。さっき族長も言っていたじゃないか。そのままで良いって」
「うん……それでね、私は多分、自分の目標というより、誰かとの約束の方が真剣に取り組むのではないかと思って」
「それはまさに約束の力だね」
 レンが微笑む。
「そう」
「実は僕も此処でひとつ、二人に約束をしておこうと思ったんだ」
「レンが?」
「うん」
 それまで三人で岩に腰かけて空を眺めていたのだが、レンはひとり立ち上がり、月を背にして二人の方を見た。
「僕は戦士だから、危険に身を置くのが仕事だ。幾ら大切な人が居るからといって、そればかりを考えているわけにはいかない。だけど、今回みたいな危険な目に遭っても、自分の力の及ぶ限りは頑張って戻って来るから、信じて待っていてほしい。二人にそれを此処で約束する。そうすればこの先、このことが僕の力になる気がするんだ。それでも力が及ばない時は……仕方がないって許して欲しいな」
 月の影になって表情はあまり見えなかったが、レンは微笑んでいるようにカリンには感じられた。月の光を受けた翼を有したその姿があまりに美しくて、思わず涙が込み上げてきたが、カリンは必死でそれが零れるのを我慢した。
 イベリスも言葉が出てこないようで、ごくりと唾を飲み込む音だけが聞こえる。
 レンはそんな二人に向けて誘うように左手を差し出した。二人はそれにつられて立ち上がり、カリンが差し出された左手を取った。イベリスは自分の右手でカリンの空いている左手を取り、反対の手をレンの右肩にかける。
 上を向くと、明るい月が見えた。
「俺は、お前ら二人には隠しごとはしないって約束する。お前らに変な遠慮はしない。頼るべきところは頼る」
「頼るべきところ、っていうのが怪しいな」
「信じろよ」
「分かったよ」
「私は……」
 言うことも定まらぬまま口を出た言葉に、レンが言葉を重ねた。
「急がない」
「え?」
「カリンは、急ぎすぎなんじゃないかな。薬師だって、普通の人は本当はもう少しゆっくりと時間をかけてなって、その間に目標が定まってくるものなんだと思うよ。カリンは小さいうちにあっという間に薬師になってしまって、次々に頼られていたからそれが目的になってしまった。最近少しそれが落ち着いてきたから目標が定まらないように感じられているだけのような気がするけど」
「違いない。カリンが此処で約束すべきは『急がない』だな」
「急がない……」
「そう。僕たちへの約束も、ゆっくり考えればいい」
「決まったら呼んでくれよ。また三人で此処に来よう」
 なんだか可笑しくなって、カリンはくすくすと笑った。
 自分は何も解っていない。けれど、解らず暮らして行けることは、実はしあわせなことでもあるのかも知れない。
 それでも知りたくなるのが人間だ。それは人間が進歩していくためには仕方がない習性なのだろう。
 仕方がない?
 本当にそうだろうか。何故、人は進歩し続けなければならないのか。
 これこそ、焦らずじっくり考えなければならないことのように思えた。
「分かったわ。それじゃあ、私は今此処で二人に、急がないことを約束する。少し、ゆっくり考えてみるね」
 互いに笑顔を交わして再び空を見上げた三人に、月の光が降り注ぐ。
 それは、とても清らかな光のように感じられた。



-物語の欠片 翡翠色の昼下がり- 了

カリンとレンの物語は「韓紅の夕暮れ篇」に続く 


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