物語の欠片 鶯色の芽吹篇 25 最終話
-カリン-
「俺の手柄だって言われてもなあ」
手元のグラスをくるくると回しながら、釈然としない表情でイベリスが呟く。夕食の後、パキラが族長と二人で話をしたいと言うので、残りの三人はイベリスの部屋へ移動してきたのだった。
カメリアが族長と会いたかった理由は、単にフィン湖がポハク族とマカニ族の協定に支配された土地だからであり、その場で族長の了承を取りつけるとともに、あわよくばそのまま屍蝋の入った柩をアグィーラまで運んでもらおうと思っていたからだと族長は説明していたが、それ以外に族長への興味があるのではないかとカリンは思う。確かにラプラヤには屍蝋を良い状態で保つことができるような水の豊かな場所は少ないかも知れないが、カメリア程の財力があれば水そのものを得ることは難しくないだろうから、無理してフィン湖に隠す必要はない。寧ろアグィーラとの辺境近くに隠してオアシスで見つけたと嘘でも言った方が、マカニ族の許可を得なくても良くなり、簡単である。実際、今回族長を巻き込んだおかげで、屍蝋の提供はカメリアだけの手柄にはならず、アグィーラに恩を売ろうとした試み自体は失敗している。それどころか、族長がアグィーラを訪れたことでシェフレラは全てを理解し、カメリアに対する心象は悪くなったと思って良いだろう。法務局長であり司法を司るシェフレラがそれ以上カメリアの罪を追及せず、駝鳥の骨を突き返すことをしなかったのは、マカニの族長の顔に免じてだろうと思われる。シェフレラへの心象を犠牲にして余りある何かを、カメリアは得た筈だ。
パキラはそれを、「俺との一蓮托生」と表現した。イベリスが駝鳥の部屋に向かって鉱脈を探し始めた時点で、カメリアの完璧な計画は狂ったのだ。屍蝋があの部屋に置いておけるままであったならば、辺境の民から屍蝋を買い取ってそのままアグィーラに引き渡せた筈なのだから。しかしそれができなくなった時点で、カメリアがどう介入してもシェフレラを完全に騙すことは不可能だっただろう。仕方なく茶番を演じることで、アグィーラに対する自らの印象……というよりはポハク族の印象を悪くすることを選んだ。カメリアがパキラの娘であるならば尚更だ。とはいえ、それだけだというのもカリンには納得がいかずに、イベリスと同じようにグラスを見詰めながら思わず溜息を漏らした。
二人の様子を見て、レンが肩を揺らして笑った。
「二人ともどうしたの? 問題は解決したんだよ。イベリスなんて、パキラ様に褒められていたじゃないか。『偶然とはいえ、よくやった』って」
「褒め言葉かなあ」
「あ、そういえば族長が言ってたよ」
「何をだよ」
「イベリス殿にはそういうところがある、って」
「そういうところ?」
「うん。無意識に良いものを引き当ててしまう力。だから、そんなイベリスに友人として選んでもらえたことは誇りに思うべきだってさ」
「へええ。族長殿が、そんなことを」
イベリスは少しだけ気を持ち直したかのように、葡萄酒の栓を勢いよく抜いた。
「あ、そういえばさ、イベリスは族長と二人で僕たちを待っている間、何を話してたの?」
「ああ。主に石の話」
「石?」
「そう。初めて石を見出した時のこととか、俺が今まで見つけた中で一番美しいと思った石は何かとか、石の気配を感じてから、見つけて実際に触れた後で感じるところは違うのかとか、なんか新鮮だったな。父上も元は採掘工だからさ、敢えてそんな話はしないんだ」
「族長はそれに対して何か言ってた?」
「マカニ族は空を飛ぶ種族だから、地中のことには疎くて、とても学びになったって。あの族長殿にそんな風に言われて、なんだか誇らしかったよ」
「ふうん。そうか。確かにね」
「凄いよな。自分の種族に関係ないところを学ぼうとするその姿勢」
「ああ、そう、それが僕には欠けていると思ったばかりなんだった」
「なんだよ、お前も反省してるんじゃないか」
「一緒にしないでよ。君たちは相変わらず今回の問題そのものに引きずられているみたいだけど、僕は今回の出来事からの教訓について考えてるんだ」
この優等生め、とレンの肩に拳を押し当てるイベリスを眺めながら、カリンはもう一度溜息を吐いた。 レンの言うとおりだ。問題は解決した。しかも今回はカリンが居なくとも解決した問題で、カリンが知ると知らざるとに関わらず、解は全て族長とパキラの中に在るのだ。
「カリンは何を悩んでるんだよ」
イベリスがカリンのグラスに葡萄酒を注ぎながら尋ねた。
「カメリアさん」
「あ? カメリア?」
「そう。カメリアさんが族長様に会いたかった理由ってなんだろうなと思って」
「嫉妬か?」
そう言われてカリンは目を丸くした。嫉妬? そのカリンの顔を見て、イベリスは白い歯を見せて笑った。
「冗談……でもないけど、選択肢其の一」と言ってイベリスは右手の人差し指を立てた。「カリンへの嫌がらせ。つまりさ、ヨシュア殿のところへ現れたのと一緒さ。カリンの大切な人に絡もうとしているわけだ」
カメリアがヨシュアのところへ現れたと聞いた時、確かにカリンは不安を感じた。カリンのことを大切に思っていても、カリンが関わるような問題からはなるべく距離を置いて自分の暮らしを保っているヨシュアを、巻き込んでしまうのではないかと恐れたからだ。カメリアが族長に同じことをしたとしてもカリンは不安にはならない。カリンが言葉にできないこの不快な感情を、人は嫉妬と呼ぶのだろうか? かといってカリンはカメリアが羨ましいわけではない。しかし、族長の前でいつもとは異なる表情で柔らかく笑うカメリアを見て苦い気持ちを感じたのも事実だ。
「ちょっと待ってよ。カリンは、自分が好きな対象を好きな人が他に居たら、身を引いてしまうような人だよ? それがどうして対象が族長の時だけ嫉妬するのさ。僕の立つ瀬がない」
これにはイベリスが声を出して笑った。なかなか笑いの止まらないイベリスにレンが呆れたように溜息を吐くと、イベリスは息も絶え絶えな様子で口を開いた。
「ああ、腹が捩れる。これは楽しいな。今度はレンが族長殿に嫉妬してやがる。しかも、自分でそれを言うなよ」
「ちっとも楽しくないよ」
「あの、ごめんなさい。私も、私自身でよく分からなくて……」
漸く笑いの止まったイベリスが、謝るカリンの頭をぽんぽんと叩いた。
「カリンのそれは恋愛って訳じゃなくてさ、自分の父親を、知らない子に取られるような、そういう、なんていうか、小さな子供みたいな嫉妬だ」
カリンもレンも、同時に首を傾げたと思う。が、カリンが相変わらず混乱しているのに対して、レンは少し経つとくつくつと笑い始めた。
「分かる……かも知れない」
「だろ?」
「ねえ、私は分からないわ。どういうこと?」
カリンが尚も問うと、イベリスが優しい表情になって答えてくれた。
「カリンは子供の頃、親に甘えて来なかっただろう? だからヨシュア殿とマカニの族長殿の存在が、本来の親みたいなもんなんだよ。俺たちの前ではしっかり者のカリンが、二人の前では未だに小さな子供に戻っちまう。失われた子供時代を取り戻すかのように、さ」それから不意に顔を顰めて付け加える。「カメリアはそれも全部分かってやがるんだ。だから嫌がらせしてる。さっき選択肢其の一って言ったけど、絶対にそれに違いない」
「ちなみに他にどんな選択肢があったのさ」
「お。聞きたいか?」
すぐ近くに居るレンとイベリスの声が遠くに聞こえた。
族長のことは無論大好きで、心から信頼している。しかしそれと同時に、自分を救い上げてくれた族長の為に、何かをしたいと思っていた。それなのに、自分は未だにこんなにも族長に依存しているのか。カメリアにつけこまれる程に。
ぎゅうと握った掌に自分の爪が食い込んで、カリンははっとする。
いけない、これは「憎しみ」という感情だ。イベリスの言うところの嫉妬を、おそらく超えている。リリィやカンナに悪意を向けられた時には感じなかったこの感情を、何故、カメリアには感じてしまうのか。
久しぶりに母を思い出した。自分が当時母親に対して感じていたのは、もしかして憎しみだったのだろうか。カリンの憎しみが、両親を死に追いやってしまったのだろうか。
「カリン?」
レンとイベリスの驚いたような声に、自分の両目から涙が溢れていることに気がついた。
「あれ? どうしたんだろう。ごめんなさい」
「いや、俺の方こそ悪かった。嫉妬なんて言われるの、嫌だったか?」
「違うの。ごめんなさい。自分でも、よく分からない……」
イベリスが悪いわけではない。イベリスを傷つけたくないのに、涙が止まらなかった。涙を堪えようとすると喉が詰まって、言葉が出てこない。
レンが再びくつくつと肩を揺らした。
「イベリスまで動揺してどうするんだよ。二人で心中でもするつもり? だから二人きりにはできないんだよ。僕はさ、カメリアさんこそが嫉妬しているんだと思うけどな」
驚いて涙が止まった。カリンはイベリスと一瞬顔を見合わせてから、レンへと視線を移す。レンはそんな二人を穏やかな笑顔で見返した。
「以前カメリアさんが、パキラ様を尊敬しているって言ったじゃないか。あれ、僕は本音だと思う。賢い彼女がサフィニア様の味方をしているのは、なんらか利益があるか、あるいは同情と考えるのが妥当だ。本当は、パキラ様のことが好きなんだと思うよ。だからイベリスには意地悪くしたくなるし、族長にも興味があるんじゃないかな。どうしたらあんな風にパキラ様と心を通わせることができるのか」
「無い無い無い無い!」
「そうかなあ。イベリスも以前言っていたじゃないか。パキラ様が自分に一番似ているのはカメリアさんだって言ったことがショックだったって。姉弟間でだって嫉妬はあるんだよ」
イベリスはぐっと声を詰まらせた。レンは続ける。
「嫉妬って怖いよね。憧れと嫉妬の間にあるものって何だろう。似ているのに、明らかに違う。嫉妬が必ずしも悪かっていったら、そうでもない気もするんだけど」
嫉妬することが必ずしも悪くない、と聞いて、カリンは少しだけ落ち着いた。そうなのかも知れない。嫉妬は、成長の過程なのかも知れなかった。
「憧れは、自分もその人みたいになりたいということだけれど、嫉妬は、別にその人のようにはなりたくなくはないけれど、その人を越えたいって思うことなのかしら?」
「ああ、なるほど。きっかけはどちらの感情でも良いけれど、その先、自分がどう行動するかが大切なんだね」
憧れてそのままで終わるのか、嫉妬して憎しみのような感情だけで終えるのか、それらをバネにして自分が成長するのか。
「とりあえず、嫉妬の相手を貶めることだけはしないことだな。相手を落とすんじゃなくて、自分が成長するんだ」
イベリスも漸く納得したように杯を干した。
「族長様。少し寄り道をしても構いませんか? できれば族長様もご一緒に」
ポハクからの帰り道、カリンはレンの隣を飛ぶ族長に声をかけた。
「え、もしかしてイヌワシの岩に寄るの?」
レンが驚きの声をあげ、族長はいつもの穏やかな声で「構わぬよ」と答えた。族長とパキラも、それからカリンたち三人も、夜遅くまで話をしたので朝はゆっくりだった。朝食兼昼食のようなものをご馳走になってからパキラの館を後にして、特に急ぐわけでもなくゆったりとマカニへと向かっている最中だった。天候も穏やかで、アルカンの森も、アルカン湖も静かに太陽の光を受けて輝いている。カリンはそっと西側の、フィン湖のあるあたりに視線を向けたが、勿論この距離からでは何も見えない。
「レンにとって特別な場所ではないのか?」
「いえ……いや、僕にとっては特別な場所ですが、別に僕だけの場所ではないので……それに、族長とその場所へ立つことは、僕にとっても新鮮だとは思います」
「そうだな。私にも、そのような場所がある」
族長が優しく笑って言うので、カリンもレンも、族長にとってのその場所が何処なのかは尋ねることができなかった。
事前に相談もせず、レンには申し訳なかったが、カリンはどうしても族長と共にイヌワシの岩を訪れてみたかったのだった。レンが居ない時に族長と二人で来ることもできただろうが、それよりは三人で此処に立ちたかった。今、この機会に。
しかし、では此処へ来て何がしたいのかといえば、特に無いのだった。ただ、この場所に三人で立ちたかったのだ。族長も、最初は戸惑っていたレンすらも、きっとカリンの気持ちを理解してくれていて、特に意図を尋ねては来なかった。こんな風に二人に甘えられる自分が信じられなかった。
黙ったまま、イヌワシの岩の首の辺りに立ち、今来た方向を眺めていた。アルカン湖、アルカンの森、その先にはアグィーラの城郭。更に先のフエゴは見えないが、東には潤っているエルアグアの森が、アルカンの森と地続きのように見え、対照的に西側のラプラヤは乾いていて、遠くからでも砂に煙っているように見える。
ついにアグィーラの上空を飛んだのだと、昨夜族長が教えてくれた。これでアグィーラ王国の空を制覇だと囃すイベリスの言葉に、パキラも「祝杯だな」とグラスを傾けたが、カリンはなんとなく、族長の中の「果たしていないもの」がまたひとつ減ってしまった気がして、うっすらと恐怖を覚えた。
「良い、眺めだな」
暫くして族長が言った。
「はい。申し訳ありません。ただ、この景色を族長様と一緒に眺めたくて」
「礼を言おう」
「いえ、お礼を申し上げるのは私の方です」
「いや。私も、そなたらと見ることができて良かった」
今此処で堪える涙は、胸の奥の涙の湖を深くしてしまうものだろうか。それとも、この美しい景色に涙は溶けて、湖の水をも減らしてくれるだろうか。
今回ことあるごとに自分のことを「風来坊」と称していた族長は、今回のことを機に自分の在り方を変えようとしているのかも知れない。そのことが、族長自身にとっても良い方向ならば良いのだが、おそらく族長は自分のことなど考えてはいないのだ。それを思うと、カリンはどうにも胸が締めつけられてしまう。自分が族長に甘えることで、依存することで、族長を引き留めようとしてしまう自分に嫌悪を覚えながらも、そうすることを止められなかった。「王でも悩んでいいのだ」幼いカリンのその言葉で現上皇は救われたのだという。けれど、きっと族長は同じ言葉では救われない。そもそもカリンが族長を救おうと意図することが烏滸がましい。それでも、カリンは、どうしても族長に何かを返したいのだった。たとえそれが族長の望むことではなかったとしても……? 族長の幸せとは、一体何なのだろう。特に幸せになりたいと望んでいない人に幸せを感じてほしいと願うことは偽善? それとも自己満足? ひとりにしてほしい、と、族長は望んでいるのだろうか。いや、それすらも望んでいない?
「新鮮です」
レンが言う。
「新鮮か」
「はい。なんだか、いたずらの現場を見つかった子供みたいで」
「此処で、やましいことを考えていたわけでもないであろう」
「そうなのですが、此処に来ると僕は、虚勢が張れなくなる。習慣とは恐ろしいものですね。でもまあ、族長には全てお見通しでしょうから、此処に居ようが村の中に居ようが変わらないのですが」
ああ、そうか。レンはそんな場所に、自分を入れてくれていたのだな、とカリンは今更ながらに思う。私にもそのような場所がある、と族長は言った。族長のその場所は、今、族長ひとりのものなのだろうか。そこは、深い深い湖の底? そこから族長を引き上げることは、実は族長にとって幸せでは無いのかも知れない。自分でなくとも良い。いつか、その場所に、族長に寄り添ってくれる誰かが一緒に居たならば。
今自分にできることは、せいぜいできるだけ族長のことを気にかけていること、くらいなのかも知れない。
カリンの思考が幾ら掻き乱されても、今日のイヌワシの岩から見る景色はひたすらに穏やかで、この先決して悪いようにはしない、と言ってくれているかのように感じられたのだった。族長も、レンも、同じように感じていてくれたならば良いな、とカリンは大きく深呼吸をした。
-物語の欠片 鶯色の芽吹篇- 了
カリンとレンの物語は「萌葱色の葉脈篇」に続く
