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物語の欠片 1

-カリン-

 遠くに空を飛ぶ鳥のような影が見えた。母親に連れられて山道をゆくカリンは、自分の馬の上からそれをうっとりと眺める。
 マカニ族の住む村は王国の北、エルビエント山脈の奥深くにある。少数民族であるマカニ族は、人工の翼で空を飛ぶ不思議な技術を持っている。薬草を扱うカリンたちは、エルビエントの森にしか生えない薬草を求めて定期的にマカニ族の村を訪れていたが、カリンは村が近づくにつれて見えて来るマカニ族の空を飛ぶ姿を眺めるのが大好きだった。
 エルビエント山脈は夏でも涼しく、冬には深い雪に閉ざされる。緑が豊かで湖もあり風光明媚な地方だが、観光で訪れる者は少なかった。旅人といえばカリンたちのように森の恵みを求める者か、もしくはマカニへ商売に訪れる者、そして、手先が器用なマカニ族の作る布や工芸品を買いつける者たちがほとんどだった。それでもそうした者たちのために宿や馬を預かる厩舎などの施設は充実しており、旅をするのに不便はなかった。
 カリンが暮らしている家は王国の中央、王都アグィーラの城下町の程近くにある。薬草を育てる畑を持つ都合上、城下町の中ではなく城門の外に広い土地を持っていた。それでもマカニに比べれば緑は少なく人工的で、豊かなマカニの東の森やエルビエントの他の森たちもまたカリンには魅力的なものだった。数箇月に一度のこの旅をいつも楽しみにしていた。
 そしてその日、カリンは上空を舞うマカニ族の中に、いつもと違う姿があることに気がついた。他のマカニ族よりも明らかに小さいその影は、しかし誰よりも優雅に飛んでいるようにカリンには思えた。
「風の神様みたい」カリンは心の中で呟いた。そしてその深い藍色の翼の色をしっかりと目に焼きつける。そこに染め抜かれているであろうマカニ族の紋章は見えなかったが、きっとそれは真っ白に違いないと思った。

「ダリアさん、こんにちは」
 カリンは村の入口にある厩舎の庭を掃除している女性に声をかけた。
 カリンと母親の姿に気がつくと、ダリアは心からの笑顔を浮かべた。マカニ族は寒い地方で暮らしているからか、皆肌の色が透き通るように白い。カリンはアグィーラでは色白な方だが、マカニ族は更に雪像のような透明感のある美しい白い肌をしている。髪と瞳の色は様々で、ダリアは赤色の髪と明るい茶色の目をしていた。カリンの母親は声は出さずにそっと会釈をする。
「ああ。イリマさん、カリン。いらっしゃい。そろそろかなと思っていたわ」
 それから馬たちの方に顔を向け、まるで人間に話しかけるのと同じように話しかける。
「ハヤテとゲイルもいらっしゃい。さあ、こっちにおいで。イリマさんとカリンはごゆっくり」
 そう言うと慣れた手つきで馬たちを厩舎の中へ連れて行った。
 その後も、すっかり顔見知りになった何人かに挨拶しながら族長の家へ向かう。マカニの村は山肌に沿うように作られており、高低差が大きい。山肌を削って作った平らな土地と土地は吊り橋や、木や石の階段で結ばれていた。族長の家は村の真ん中より少し上に登った辺りに在り、厩舎からはカリンの足で歩くと二十分ほどかかった。
 門をくぐって小さな庭を抜け、住居の扉の横にある呼鈴を鳴らすと、族長の息子で補佐を務める若い男が扉を開けてくれた。
「ああ、イリマさんいらっしゃい。カリンもよく来たね。もうマカニへの旅は慣れたかい?」
「カエデさん、こんにちは。もうすっかり慣れました。道も憶えたし、ひとりでも来られると思います」
「そうか。それは凄いね」
 カエデは目を細めた。
 母親はここでも静かに頭を下げ、招き入れられるがままに二人で中に入った。玄関の扉を入るとすぐ左側にいつもカエデが居る小さな控室があり、その奥が住居になっているようだった。普段族長が居るのは正面の大きな部屋だ。扉はついていないため、玄関を入ると中が見える。しかし、族長の姿は玄関からは目に入らなかった。
 部屋に近づくと、部屋の入口からは死角になる位置に在る大きな窓の側に、族長が立っているのが見えた。大きくて天井の高い部屋だが、大柄の族長が立っているとそう広い部屋に思えない。
「族長様、またお世話になります」
 族長の姿を見つけると、ようやく母親が口を開いた。その声に族長がゆっくりと振り返る。
「おお、イリマ殿か。よくおいで下さった。カリン、近くへ来てよく顔を見せてくれないか」
「族長様、こんにちは。今日は初めて私が作った薬を持ってきたんですよ」
「ほう。カリンは幾つだったかな。薬草を取る手伝いだけではなく、もう薬を作るのか」
「今は九歳で、次の夏で十歳になります。薬草取りは小さい頃から遊びだと思っていたから、森へ行くのは大好きです。薬は少し前から勉強し始めました。やっと傷薬だけは自信が持てるくらいのものが出来たので、使ってもらえたら嬉しいなと思って持ってきました」
 そう言うカリンに、母親は複雑な表情を浮かべる。族長は再び母親に目を向けると事務的な話を始めた。
 カリンの母親は王室付きの薬師だった。マカニの森から薬草を取るのと引き換えに、王室のために作った薬を少しマカニの村に分ける約束になっている。カリンの一族は十三歳になると医者か薬師の見習いになるのが普通だったが、カリンは文字を憶えるのも早く、家にある本を読んだり母親が家で仕事をするのを見たりして、遊びの延長のように薬を作り始めた。王を含め周りの大人はカリンを褒めたが、母親はあまり嬉しそうな顔をしない。
 ふと、族長がカエデを呼んだ。カエデは呼ばれるといつもすぐに姿を現す。カリンはそれを不思議に思っていた。
 族長とカエデは顔つきはあまり似ていないが、共に深い漆黒の髪と瞳の持ち主で、すぐに親子だと判る。カエデの母親はカリンがこの村を訪れるようになった時には既に亡くなっており、カエデの顔が母親似なのかどうかは判らなかった。
「すまないが、少しカリンに村を案内してあげてくれないか。いつもここと森と宿を行ったり来たりするくらいで、特に村の上の方へは行ったことがないのではないかと思う」
「かしこまりました」
 そう返事をしたカエデは、カリンの顔を優しく見つめて軽く頷いた。
 カリンはカエデについて部屋を出る。今日は村に着くのが少し遅くなったので薬草取りには出かけない。この後は村の診療所へ行って薬の在庫を確認するくらいしかやることはなかったので、カリンとしても大歓迎だった。


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