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物語の欠片 緋色の山篇 23 最終話

-カリン-

 シャクナゲの所へ薬を届けに行くと、どうやらひとりで暇にしていたようで、お茶を飲んでいくように言われた。急ぎの用事も無かったので有難くいただくことにする。
 淹れてくれたのはカモミールのお茶だった。甘くて良い香りがする。
 「漸く雪が少なくなったから、買い物がてら村の様子を見に行くって、ひとりで出かけてしまったのよ。ひどいでしょう?置いてけぼりなの。外に出たい気持ちは分かるけれど。…ああ、でも薬を届けてもらうのは今日まででいいわ。私もそろそろ外に出ないと、根が生えてしまう。」
 「雪崩にだけは気をつけてね。」
 「それは貴女の方が心配よ、カリン。貴女飛べないでしょう?」
 村には雪崩除けがあり、余程想定外の雪崩が起きない限り村の中へは流れてこない仕組みになっている。それでも、大きな雪崩が起きると警鐘が鳴らされることになっていた。雪崩の気配を察知して警鐘を鳴らすのも、マカニ族の見張りの大切な役目のうちのひとつだった。翼を持たないカリンは、警鐘が鳴ったら誰でもいいから身近な人に助けを求めること、皆もカリンが目に入ったら乗せて一緒に空へ避難することとなっていた。
 大雪が続いた冬の後、急に暖かくなったので、ここ数日で二度雪崩が起きた。いずれも向かいの峰だったが、そろそろマカニの村のある峰で起きてもおかしくはない。
 「レンの本当の両親の話は聞いているのでしょう?」
 「ええ。山に山菜を採りに行っていて雪崩に巻き込まれたと。」
 「そう。だから貴女も気をつけてね。」
 「私は東の森でしか山菜は採らないけれど、確かにその時はひとりだから気をつけるわ。有難う。」
 昔話が出てきたところでカリンは誘惑を押さえきれずシャクナゲに尋ねた。
 「シャクナゲさんは、族長様のお若い頃を知っているのでしょう?」
 「うふふ。お若いころどころか子供の頃から知っているわ。生まれた直後は手伝いにも行ったわね。本当に元気な子だった。あっという間に立派になって、もう眩しいったら。族長になったのも頷けるわね。素晴らしい族長でしょう?」
 「それは間違いないわ。」
 「スズナのことは残念だったけれど、こればかりは仕方がないわ。それでも立派にやっているのだから、やっぱり族長はすごいのよ。苦労も沢山だろうけれど。カエデが族長に似て元気に育ったから良かった。私は村人のひとりとして、族長に恥じないよう真っ直ぐ生きるしかないわ。」
 あまりにもさらりとスズナの名前が出てきたので、むしろそれ以上深く尋ねることができなかった。老齢の村人たちは皆同じなのかもしれない。族長が族長であることも、スズナの死も、当たり前のこととして受け入れている。そして、今自分たちが村人としてできることに目を向けている。
 過去に拘っているのは自分なのかもしれない。

 その午後、吊り橋が落ちてしまって以来自分で山を降りられなくなったカリンは、久しぶりにレンにアルカンの森へ連れて行ってもらった。
 アルカンの森も春を謳歌している。一年中豊かなこの森も、やはり春が一番色彩豊かだった。森の主の広場の手前で、カリンは見慣れない色に目を止めた。森の主の広場に続くトンネルのすぐ脇の樹が、淡いピンク色の花をつけている。
 「綺麗…。」
 カリンが呟くように言うと、レンも、本当だねと返事をする。
 「もう随分長いことここに通っているけれど、ここにこんなにきれいな花が咲くのは初めてよ。花が咲く木なのだということを知らなかった。」
 「へぇ。カリンでもそんなことがあるんだね。」
 「ここの森はそれだけ特別なの。他の所には無い木が沢山ある。」
 「うん。不思議な場所であることは僕にも分かるよ。何より話をする木がある森なんて他には絶対にない。」
 ピンク色の花をつけたその木にそっと触れてみる。木は、歌っていた。慈愛に満ちたような、でも少し哀しいような、不思議な歌だった。
 サクラサクラ…。
 「あなたの名前はサクラというの?」
 アグィーラにサクラという名の馬が居たことを思い出した。古代アーヴェ語の名前なのかもしれない。木はカリンの問いかけには応えず、静かに歌い続けていた。カリンも諦めて木から手を離すと、そのまま、古木が倒れてできたトンネルに足を踏み入れた。
 森の主の広場はいつものように穏やかな空気を湛えていた。そのことにカリンはいつも以上にほっとした。
 いつもと違ったマカニの冬。度々関わってしまう王国の問題。子供の頃から随分と変わってしまった自分。それでも、この場所に来ると子供の頃から変わらぬ自分の一部に会えるように思える。やはり自分は過去を引きずって生きている。
 子供の頃の自分を懐かしく思うなんて不思議だ。今の方が明らかに幸せなのに。ひとりぼっちだった子供の頃、森だけが心を許せる存在だった。
 今では自分のことを大切に思ってくれる人が沢山居るのに、それでもこの森に来ると安心するなんて、人間は、いや、自分は何と贅沢なのだろう。
 「おおカリン。久しぶりじゃなあ。」
 「主様お久しぶりです。マカニの大吊り橋が大雪で落ちてしまったの。ずっと来られなくてごめんなさい。」
 「良いのじゃよ。そなたが此処を必要としないということは、それはそれで良いことなのかも知れぬ。」
 長らく訪れなかったというのに、森の主のその言葉を聞くと涙が出そうになった。やはり自分は贅沢だ。涙を押し戻すように、カリンは言葉を続けた。
 「主様、トンネルの手前にピンク色の花があったの。私は初めて見たわ。」
 「ああ、そうじゃなあ。久しぶりに花をつけた。そなたが大地を癒してくれたおかげかのう。やはり大地の化身が居ると森が生き生きしておる。」
 「それならば良いのだけれど。…マカニの冬がいつもと少し違ったの。だから、ちょっとした変化が気になってしまって。」
 「良い変化もそうでない変化もあろう。いつも良いことばかりとは限らぬよな。あちらでは良い変化が、こちらでは不吉なものとされるものもあろう。」
 「本当にそうね。うふふ。主様とお話ししていると安心する。」
 そうなのだ。全ての物は変化する。自分は自分に都合の良い変化しか受け入れていないのかもしれない。都合の悪い変化は不吉だと感じて変えようとする。森の主のようにすべてを受け入れることはできない。
 「そこはそれ。風の化身がようく解っておる。」
 森の主は何かを見透かすように言った。一緒にここを訪れても、森の主は滅多にレンに話しかけることはない。今も、カリンに対して放った言葉なのであろうが、突然矛先を向けられたレンは気まずそうに森の主を見上げた。
 その様子を見た森の主は大きな声で笑う。
 「今日はことさら良い風が吹いておるなあ。心地が良いから眠くなってきた。わしはそろそろ休むとしよう。」
 カリンは沈黙してしまった森の主の幹に手を回し、静かに祈る。主様、おやすみなさい。どうかこの森が、この先もずっとずっと続きますように。
 ここだけは変わらない。そう願うのも、そう感じるのも傲慢だろうか。

 「さっきの話さ。」
 イヌワシの岩へ降り立つとすぐにレンが言った。アルカンの森の帰り、ちょうど夕焼けの時間だったので寄ることにしたのだ。
 「主様が言っていらした、レンがよく解っているということ?」
 「うん。解っているかどうかはともかく、似たようなことをつい最近考えたことは事実なんだ。」
 「主様がああいうこと仰るのは珍しいから、きっとレンが考えたとおりなのだと思うわ。」
  暖かくなってはきたが、まだ日は短い。すでに陽はアルカンの森のすぐ上まで降りて来ていた。空は薄花色と真朱まそおの入り混じったような微妙で美しい色合いをしている。細い細い月がきりりと上空に浮かんでいた。
 「いつもと違う冬に戸惑っていた筈なのに、少し春の気配を感じたら、どんな冬でも終わりが来るんだって思ったんだ。僕は毎年そうして暮らしてきたんだろうな。どんな変化も、いつしか受け入れてきた。どんな悩みも、どうにか乗り越えてきた。そうやって今まで来たんだなって。」
 「ああ、レン。本当に、その通りだわ。」
 世界の変化も、自分の悩みも、尽きることなど無いのだ。変わるものも変わらないものも、全部含めて今なのだ。今の世界の状態が、自分の状態がすべて。今を見ろ、そういうことか。
 過去に拘るとか、そういう問題ですらない。過去も含めて今が在る。今から見た過去の解釈は、幾通りだってあり得るのだ。それは今の状態に依存する。自分は、過去の解釈さえ更新し続けて生きている。しあわせな今だからこそ、独りぼっちだった昔を懐かしむことができる。
 族長も、これからのマカニの在り方次第では、きっと族長自身の過去への解釈を更新することだってある筈だ。そのためには、先ず今のマカニの民たちがしあわせでなくてはならない。それを族長ひとりの役目にしてはならないのだろう。族長には、村をひとりで背負うのではなく、マカニの村の一部であり続けてもらわなければならない。具体的な方法など、思い浮かばなかった。それでも、少しだけ、道が拓けたような気がした。
 「これからのマカニを考えろ、か。」
 「あ、スグリさんの言葉?僕もそれ思った。なんだかんだ言って、スグリさんってちゃんと考えてるよね。」
 レンの明るく笑う顔を見て、カリンの気持ちも明るくなる。そのレンの笑顔と同じように、自分の顔も夕焼けに染まっているだろう。
 誰かに比較して自分のしあわせを申し訳なく思ってはいけない。それはレンが教えてくれたことだ。確かに自分は今しあわせだった。自分は色々なことを教わりながら生きている。教えてくれる誰かが居る。
 同じように、自分のこの必死な姿を見て何かを感じ取ってくれる誰かもまた存在するのかもしれない。世界はそうやって大きく循環しているのだ。
 自分がちっぽけな存在だと感じると同時に、カリンはとてつもなく大きな安心感を感じた。自分は大きな世界の一部なのだと、そう思った。小さな存在だけれど、自分の信じる道を真っ直ぐに行くしかない。誤りはいずれ、大きな流れの中で正されるだろう。
 自分の過ちに気がついたら、そこからまた始めればいい。大切なのは、挫けないこと。もう二度と、この世界との関りを絶って、ひとりでアルカンの森に閉じ籠ったりしてはならない。それだけは忘れずに居よう。
 「レン、有難う。」
 「何が?」
 「全部。今までの全部を、もう一度有難う。」
 「何それ。」
 レンは可笑しそうに笑う。カリンもなんだか可笑しくなって一緒に笑った。そして一通り笑った後、ふたりで軽く口づけを交わした。きっとレンには伝わっている。そう思った。
 レンが黙ってカリンに手を差し出す。そろそろ帰ろうか、の合図だろう。カリンはその手に自分の手を重ねた。
 子供の頃から何度も繰り返してきた過程。イヌワシの岩においてでさえ、それはもう数えきれない回数だ。
 レンがひとつ大きく羽ばたくとカリンはひらりと背中に身体を添わせる。二人の身体はあっという間に空へ舞い上がった。陽が落ちて先程より色濃くなった細い月が笑っているように見えた。
 それもまた、ずっと昔から繰り返されてきた光景に違いない。


-物語の欠片 緋色の山篇 了

カリンとレンの物語は象牙色の城郭篇に続く


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