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物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 12 レフアの話

-レフア-

「お父様、少しよろしいですか?」
「入りなさい」
 明るい光の射し込む部屋で、父親はひとり本を読んでいたようだ。レフアに王位を譲って上皇になってからというもの、こうしてひとりで部屋に籠っていることが多い。部屋を訪ねてみればこれまでの父親とそう変わりはなかったし、それ程心配してはいないのだが、父親の考えは自分には理解できないという思いだけが日に日に募ってゆく。早々に王位を退いた父親は、退任後、何をやりたかったのだろうか。
 朝昼晩の食事の際は共に卓を囲むので、顔を合わせない日はない。しかし食事の時間に仕事の話をするのは憚られて、王としての相談事は、こうして別の時間に父親の部屋を訪ねることにしていた。それも、最近では随分と機会が減ったと自分でも思う。相談したいことは山程あるのだが、王として存在している期間が長くなるにつれて、相談を躊躇う気持ちの方が大きくなってきているのだった。まだひとり立ちしないのかと思われたくない。父親が自分からは決して言い出さないからこそ、レフアが感じてしまう重圧だ。
「どうした?」
 レフアが椅子に掛けると同時に父親が尋ねる。
「相談事がないと来てはいけませんか?」
「そうではないが、こうしてわざわざ日中の時間を割いて私の部屋を訪ねるからにはそれなりの来意があるのではないかと考えるのが普通だ。特にこの時間は、局長たちとの会議の後だな?」
「ふふ。お父様には全てがお見通しなのですね」
「何年王を務めていたと思っている」
「すべての王が賢王とは限りませんわ。それでもお父様は立派な王だったと思います」
「それで? 何かあるとしたらさしずめランタナ辺りか」
「もう、お父様ったら……」
 言いかけて、父親の椅子の横のテーブルに置かれている物が目に入った。父親も、レフアの視線を辿る。
「兄上の画帳のようだ」
「伯父様の?」
「マグノリアの遺品の中から見つけた」
「お母様の……」
「兄上とマグノリアの接点が何処かにあっただろうかと考えていたのだが、どうやらこれだったようだ」
 母親は、決して上手くはなかったが、確かに絵を描くことが好きだった。父親が手渡してくれた画帳を開くと、植物や鳥、身近な静物などのスケッチが目に飛び込んできた。どれもかなり上手い。これは伯父が描いたものだろう。頁を繰ると、後ろの方に懐かしい母の手による絵があった。

*****

「カリンは絵が上手ね」
 一心不乱に書き物をしていたカリンのノートを覗き込んで、レフアの母親が微笑んだ。
「ありがとうございます、お妃様。植物って似たものが多いので、よく観察して、細かい違いを描き分けなければならないのです」
 カリンが森へ行っては植物をスケッチして、まるで辞典のようなノートを作っていることは知っていたが、レフアはそれをじっくりと見たことはなかった。興味をそそられて母親の隣に立ってみると、小さな子供の手によるものとは思えない絵と、美しい文字が綴られている。レフアは思わず、まぁ、と間の抜けた驚きの声を漏らした。
 カリンはレフアよりもひと月早く生まれているので、姉妹のように育った。レフアはアグィーラ王国の姫で、カリンは王室付きの薬師の娘なので、立場はレフアの方が上だったが、おおよそひと月の差とは思われない程の差が二人の間にはあって、レフアはカリンを幾つも年上の姉のように慕っていた。
「以前、この王室にも絵の上手な方がいらしたわ。私も上手に絵を描きたかったのだけれど、それよりも先に学ばなければならないことがたくさんあって」
「学ぶこととしてではなくて、好きなこととしてお描きになれば良いのに」
 カリンが言うと、母親は「そうね」と答えたが、その表情は少し寂しそうなものに映った。レフアがその表情に気がついて母親の手をぎゅっと握ると、母親はすぐにいつもの笑顔に戻るのだ。そう、いつもそうだった。

 母親の病の原因は結局死ぬまで分からなくて、だからレフアはあまり近寄らせてはもらえなかった。伝染性の病だったら困るからだ。
 その頃にはカリンは城に来なくなっていた。理由は分からない。カリンの母親に尋ねても、「姫様はあの子と一緒に居ない方が良い」と言うばかりで、理由は教えてくれなかった。
 原因不明の病気だからと近寄ることができない母。一緒に居ない方が良いと言われるカリン。仕えてくれる人は沢山居たが、レフアはひとり取り残された気分になっていた。二人と一緒に居られないのは、自分が姫だからだろうか。
 「姫だから」やらなければならないことは、真面目にやってきたつもりだった。しかしこんな風に、一緒に居たい人と一緒に居られないことの窮屈さも、慣れなければならないことのひとつなのだろうか。その、境目が分からない。自分の意見を言っていいことと悪いこと。これこそ、母親に訊いてみたいことなのに、訊く前に一緒に居られなくなった。王である父親には、なんとなく訊けなかった。
 白を基調としたレフアの部屋は大きな窓から入る光に満ちていて、柔らかな椅子も、テーブルの上のカップも、書架に収まった本の隙間に至るまで、光の行き届いていないところはないのではないというくらいだった。光の一族である王族に相応しい明るさだけれど、自分が光だとは、少しも思えなかった。
 母親の時折見せた寂しそうな表情が思い出される。母親は、ずっと何かを我慢していたのだろうか。それが王妃のやるべきことだから。あの母親の表情は、王室という光の先の、あってはならないはずの影だったのではないだろうか。
 カリンならば、なんと答えるだろうか。
 カリンは王族ではない。しかしレフアは、カリンならば何か答えを持っているのではないかと、ずっと思っていた。

 医局が手を尽くしたのも虚しく、母親がついに崩御した時も、レフアは「姫だから泣いてはいけない」と考えて泣けなかった。それなのに、カリンの姿を見た途端、涙が溢れた。ああそうか。自分は、カリンの前では姫でなくとも良いのだ。カリンは自分のことを姫様と呼ぶけれど、カリンの目はレフアを特別扱いしていない。姫様はただの呼称であって、レフアをひとりの人間として扱ってくれている雰囲気があった。カリンがレフアに向ける敬愛は、姫に対するものではなく、レフアという人間に向けられる敬愛だ。
 お母様にも、カリンみたいな人が居たら良かったのに。
 そうしたら……そうしたら、どうなっていたのだろう。
 本能的にそれ以上考えてはいけない気がして、涙と一緒にその考えをぬぐい去ったレフアは、カリンに、これからは昔みたいに城を訪れてほしいと頼んだ。姫だから友人を持ってはいけないということはないだろう。そしてレフアは、友人にするならばカリンのような人が良かった。

*****

 やはり無理がたたったのだな、と、今のレフアならば思う。
 レフアは生まれながらにして姫だったけれど、母親は違った。上流貴族とはいえ普通の娘として育って、選ばれて王妃になったのだ。

 レフアの婿になる人は、母親と同じような思いをするだろうと思った。だから、強い人と一緒になりたかった。
 ローゼルはレフアの知る限り誰よりも強い人だ。
 だからと言って無理をさせて良いわけではないとは思うが、それでも、強さに惹かれることは止められなかった。
 父親は賢王だったけれど、母親が絵を描くことが好きだったことすら、きっと知らなかったのだろう。
 そのことを責める気はさらさら無い。ただ、自分が同じようになってしまうことを、ひたすら恐れていた。
「伯父様は、絵がお上手でいらしたのね」
「ああ。兄上は息が詰まるほどに王になるべき教育を受けていたが、その息抜きにと絵を描いていた。昔からお上手だったよ」
 二人とも、言葉にはしなかったが、きっと同じことを考えていただろう。母親にも、息抜きが必要だったのだ、と。
 この画帳は、どうやって母親の手に渡ったのだろうか。あの時母親が言っていた「絵の上手な王族」とは、間違いなく伯父のことだろう。たまたま伯父が絵を描いているところを見かけた母親が声をかけたのだろうか。絵が上手になりたいと思っていた母親は、素直に感嘆の声を上げたのかもしれない。

 ーーまあ、兄王子様は絵がお上手なのですね。わたくしもそんな風に描けたなら……
 ーー貴女も描いてみれば良い
 ーーわたくしには描けませんわ。ですから、こうして見ているだけで良いのです
 ーー気に入ったのならば、これは差し上げよう

 そんなやり取りを想像する。
 母親はその画帳を時折眺めながら、ある時、伯父の言葉を思い出して、空いている頁に、そっと絵を描いてみたのかもしれない。その時にはもう、伯父は城には居なかったのではないだろうか。母親は、王妃になることが決まっていたのだ。何故だかそんな気がした。
「ランタナがどうした?」
 はっとして見詰めた父親の顔は、「上皇」の顔をしていた。
「お茶くらい飲みながら話をしませんか? それともお父様はお飲みになったばかりかしら」
 テーブルに置かれたお茶のセットを見ながらレフアは尋ねた。
「いや。では新しいものを持って来させよう」
 呼び鈴を鳴らすと、外に控えていた執事がすぐに入ってくる。お茶が運ばれて来るまでの間に、レフアも「王」の顔を取り戻した。父親ほど器用ではない。
「医局で、例の治験の数値の改ざん騒ぎがあったとカリンから聞きました」
「なるほど。それでその首謀者がランタナだったわけだな。ツツジの失脚でも狙ったか」
「お父様はどうしてそうやって先回りなさるの」
「時間の短縮だ。王は忙しいだろう?」
「ふふ。わたくしのことを考えてくださっての行動ですのね?」
「ランタナの小細工は分かったが、お前がわざわざ私のところに相談に来た趣旨が分からぬ」
「もう少し、局長たちのことを知っておいた方が良いのではないかと思って」
 これまでも、仕事ぶりは見てきたつもりだ。しかしどうしても直接対峙すると、彼らは本性を晒してはくれない。局長たちは、自分よりもずっと賢いと思う。このままでは、いつかいいように使われるのではないかと不安になったのだった。いや、もしかしたら今でもすでに……
「賢い選択だな」
「恐れ入ります。局長たちは、お父様と年齢も近いのでしょう?」
「そうだな……そうか、うむ。分かった。では、彼らの若い頃の話をしてやろう」
 父親は不意に楽しそうな表情になった。レフアの期待していた話とは少し違ったのだが、父親のことだ。何か考えがあるのだろう。レフアは、くつろいでいる雰囲気を壊さぬように、それでも父親の話に集中した。
 父親の部屋も、レフアの部屋と同じく白を基調とした部屋だ。
 代々続く光の一族。
 その光は、どれほどの影を犠牲にして成り立って来たのだろうか。
 そして、これからも……



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