物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 15 シヴァの話
-シヴァ-
ここのところ随分と、ソレルと意思の疎通ができるようになった。ソレルが自分の言うことを聞いてくれるだけではなく、シヴァもなんとなくソレルの意思や感情が感じられるようになってきたのだ。
それでも、レンとエルムにはまだまだ届かないと思う。
あの、行方不明だったレンが発見された日。訓練場に居たシヴァの元へ降り立ったエルムは、レンの翼の羽根を咥えて、真っ直ぐにシヴァを見つめた。その瞳ははっきりと、「レンを助けてくれ」と言っていた。そのエルムに対して、シヴァは「レンの居場所を知っているなら案内してくれ」と伝えることができずに、スグリに族長を呼びに行かせた。「ついて来い」と意思を示してくれたのはエルムの方だった。
対してシヴァの相方であるところのソレルは、未だシヴァの出す定型の指示に対してある程度の確率で応えてくれるようになっただけにすぎない。エルムのように自らレンの意思を解釈して行動してくれるには至らないし、族長のモミジのように呼ばれもしないのにやってきて何かを伝えようとしてくれたりはしない。シヴァのところへ現れるのも気まぐれで、呼んでも来ない時もあれば、呼ばれずにやってきた時にも、シヴァに対して何かを求めているようにも思えない。あるいは、自分がソレルの意図を理解できていないだけなのか。
シヴァにとって族長は理解を超える存在であるが、レンも違った意味でシヴァの理解を超えている。どちらかといえば族長の方が、決して追いつけないというだけで道筋は想像に易い。レンに関しては、その道筋すら理解不能だった。どうやったらあんな風にしなやかに軽やかに居られるのか。レンはレンで悩んでいることは知っているが、それでもシヴァは、レンの在り方について特別な思いを馳せずにはいられないのだった。
*****
その男の子が訓練場に姿を現し始めたのは、族長が交代して間もない頃だった。必然的に戦士のリーダーも交代し、ようやく新しい体制が確立し始めた時期のことで、ほとんどの戦士たちは自分たちの姿を熱心に見つめている子供の存在を気にも留めていなかったと思う。シヴァは昔から、大きな流れの中にある小さな引っ掛かりに気がつくことが得意だった。気になってしばらく観察していると、子供が戦士たちを見つめる目は真剣そのものだ。興味が湧いて話しかけた。
「最近よく来るな。戦士になりたいのか? 名前は?」
「レン」
「ああ、食堂の子か。いくつだ?」
「五歳」
シヴァは驚いた。身体は小さいと思っていたが、瞳は強い意思を持っていて、それほど幼いとは考えていなかったからだ。見れば見るほど不思議な眼をしている。様々な色の髪と瞳を持つマカニ族の中でも、緑色の瞳は珍しかった。
「そうか。もう翼の練習を始めたのか? 偉いな。俺はシヴァという。よろしく」
「おじさんもおばさんも食堂のことで忙しくて、僕の相手をしている暇はないから、こうして他の人が飛ぶのを観察しているんだ。マカニの中で飛ぶのが一番上手なのは戦士でしょう?」
「多分な。俺もまだまだだが、お前さえ良ければ、非番の日に少し見てやろうか?」
「本当?」
「一応約束は守る男で通ってるんだ」
「ごめん。疑ったわけじゃないんだ」
作り笑いを浮かべるわけでもなく真顔で詫びたレンのことを、シヴァはすぐに好きになった。年齢の差は十一歳と少し離れてはいるが、兄弟の居ないシヴァにとって、レンが本当の弟のように思えるようになるまで、それほど時間はかからなかった。
「レン、俺、新しいリーダーになることになった」
レンに告げたのは、族長の家でリーダーの話を受けることを宣言してすぐのことだった。スグリとの約束の手前、自ら宣言したものの、まだ自分自身の中でもきちんと整理がついておらず、不安で仕方がなかった。誰かに告げなければ決心が鈍ってしまいそうで、仕事中だったマオを後回しにして、向かった先はレンの家の食堂だった。
族長からリーダーを引き継いだ男は、ほんの三年で死んでしまった。
正義感もリーダーシップも強い人で、確かにその年代の中から選ばれたのには納得がいく。しかしそれだけに、たった三年後に再び同年代の中から次を選ぶことができずに、いっそのこと若いシヴァに託すことにしたのではないかとシヴァは考えていた。
族長のその判断を英断だと言う人と、無謀だと言う人と、おそらくは二通りに分かれることだろう。
「やっぱり。シヴァさんはリーダーになる人だと思ったよ」
レンのその類いの言葉に嘘や誇張が無いことは、数年の付き合いで分かっていた。その言葉と眼差しは、自分でも驚く程、シヴァの覚悟を促した。
少し下の年代にレンのような人がいて、その人が自分を支持してくれるならば、自分がこのリーダーという役目を引き受けることに意味があるのではないかと思えたのだ。先のリーダーはシヴァより十歳も上だった。おそらく歳上の戦士たちや村人たちは俄にはシヴァのことを信頼してくれはしないだろう。しかしそれは結局、こつこつと積み上げていくしかないのだ。
「ありがとな。あの族長が指名してくださったんだ。とにかくやってみるよ」
「うん。シヴァさん、忙しくなるね。僕が独り占めするわけにはいかなくなるけど、訓練場には行きやすくなるかもね。すごいなあ。十九でリーダーか」
案の定、シヴァのリーダーとしての立ち上がりは困難を極めた。シヴァの名前が発表された後、数名の戦士たちは族長に抗議しに行ったという噂も聞こえてきたし、村人たちの中には不安を口にするものもあった。
「そうやってさ、リーダーの指示に従わずに統率を乱す奴の方がよっぽど危険因子じゃないか?」
矢面に立ってくれたのはスグリだった。
「従っていないわけじゃ無いだろ。ただ、本当に大丈夫かと確認しているだけだ」
「信頼できないならば、どこが問題なのかはっきり伝えたい方が良いと思うけど? それができないなら、ただ難癖つけているのと変わりがない。訓練中ならまだしも、いざという時にそんなんじゃ、それこそ隊全体が危険なんだよ」
「何を生意気な!」
「年齢が下なだけで生意気って言ってるなら取り下げた方がいいぜ? あんたの一年と俺の一年は違う」
「こいつ!!」
「ほら、そうやってすぐ力ずくで捩じ伏せようとする。シヴァの方がよっぽど冷静じゃないか。それとも何だ? それがあんたの経験則か? なら見習いたくないね」
「スグリ、もういい。ありがとう。他の皆もとりあえず持ち場についてくれ。不満があるなら訓練や仕事が終わってから聴く」
そうやってスグリが一度場をかき混ぜた後ならば、不満を発散させたいだけの戦士たちは、渋々ながらもシヴァの指示に従ってくれた。そうやって、少しずつ地道に成功体験を積み重ねていって、ようやく戦士たちの信頼を得たのだった。
戦士は危険な仕事だ。そして、リーダーに自分の命を預けるようなものでもある。戦士たちも本当にただ不安だったのかもしれないと、後から考えれば分かることだった。
立ち上がりの混乱が少し落ち着いた後、シヴァはレンを正式に訓練場に誘った。
「いいの? 僕、まだ十にもなっていない。せっかくシヴァさんへの信頼が厚くなってきたのに、また変なことにならない?」
「お前を招き入れることで失う信頼なら最初から要らない。失ったらまた時間をかけて積み重ねればいい。そのためには、お前に頑張ってもらわないといけないけどな。その覚悟はあるか? 大切なのは年齢じゃない。何をやるかだ」
「もちろん。そうか。まだ子供でも僕がしっかりやればシヴァさんは信頼を失わないんだね」
「だからといって俺のために頑張るのは少し違う」
「うん、分かってる。ありがとう、シヴァさん」
実際、心配していたような反発は起こらなかった。寧ろ、レンが仲間になったことで、いい影響の方が多かった。
戦士たちは我先にとレンの教育係を買って出たし、レンはみるみるうちにそれらを吸収した。レンの素朴な疑問に対して、戦士たちはものを深く考えて答えるようになったように思う。レンを中心に、戦士たち全体の探究心が上がったとシヴァは感じていた。その時になってようやく気がついた。レンはどこまでも自然体なのだ。向上心はあるが変な気負いや虚栄心が無い。向き合っているのは常に自分自身なのだった。それでいて、自分の軸がぶれないから、誰かと向き合うときの距離感の掴み方が抜群に上手い。結果、自分も相手も良い方向へと向かわせてしまう。
自らレンを誘ったのだと思っていたが、それすらシヴァの驕りだった。かといってレンに一方的に誘われたのでもない。言うなれば、それがお互いにとって自然なことだと思わせるような雰囲気が、レンにはあった。
シヴァが相手を観察して学んで考えてようやく手に入れるものを、レンは自然と手にしてしまっているのだ。
だからといって、シヴァはレンのようになりたいわけではなかった。自分は自分のやり方でやるしかない。レンのような存在がマカニに、そして自分の率いる隊に居てくれることには感謝しかなかった。
*****
「シヴァさん」
シヴァを呼ぶレンの声は、出逢って間もない頃と変わらぬ信頼を滲ませている。そのことは素直に嬉しかった。
「おつかれ。鍾乳洞はどうだった?」
「うん。順調。マカニの土木師はすごいね。洞窟の性質を利用して、今までに見たこともないような内装になりつつある」
「レンギョウさんが張り切ってるからなあ」
「レンギョウさんだけじゃないよ。施工が始まる前にレンギョウさんが期待していたように、若い土木師たちもやる気になってるみたい」
「そうか。それは良かった」
「そろそろ現場に行く戦士の人数は減らしてもいいかもしれない。もうあまり危険は想定されないし、やることもないから。いざという時の連絡係含めて二名体制でいいんじゃないかな」
「分かった。ではそれでレンギョウさんに打診しよう」
「……シヴァさん、どうかした?」
「何が?」
「いや、なんというか……」
「『レンも頼もしく成長したなあ』……と、思ってるんじゃないか?」
いつの間にか近くに来ていたスグリが、シヴァの声色を真似して言った。こういう時、スグリはシヴァが勘づくか勘づかないかギリギリのところで声を発するのだ。
「スグリ、お前、気配を消して近づくくせ、やめた方がいいぞ」
「あ、それ、僕もこの間言った。 危うく誤射するところだったよ」
「気配を消しているつもりはない。これが俺の常態だ」
「危ない奴だ」
「影に気配があったら変だろう?」
「影、か」
「なんだよシヴァ、やっぱり少し変だな。ああそうか。あれだな、鳥のせいだ」
「違うよ」
「違うのか。残念」
シヴァは笑顔を浮かべて二人を交互に見た。自分の信頼が伝わるように。
「俺は恵まれてるな、と思っただけだよ」
「相変わらず優等生だな」
「誰のせいだ?」
「ふん、そうだな。俺に責任が無いとは言えない」
進んで憎まれ役を買って出てくれるスグリと、真っ直ぐな眼で偽りなく自分を信頼してくれるレンのおかげで、自分はこうやって胸を張って立っていられるのだと思う。もし自分が間違った方向へ進んだら、どちらかが正してくれるだろう。二人の信頼を失う時が、リーダーとしての自分の最後だ。それまでは、この位置に立ち続けよう。二人の手を、借りながら。
「よし。じゃあ、そろそろ族長の家へ行くか。スグリ、たまにはお前も来たらどうだ。今日は、おそらくお前の言うところの鳥が見られるぞ?」
普段ならそっけなく返事を返してひとりで戻っていくスグリが、僅かな逡巡の後、「たまには寄ってくかな」と返事をした。
「お前たちが族長と話している間は、俺はカエデのところに居るからな。鳥が来たら呼べよ」
三人で空を飛ぶことができるということはなんと心強いことだろう。
ひとりでも飛ぶ覚悟はできている。それでも、族長の用意してくれたこの六枚の翼に、感謝の気持ちが絶えない。
同時に、族長は今、何処を飛んでいるのだろう、という思いもあった。
ふと、三人の傍を何かが横切る。
「お、鳥」
スグリの声に目を凝らすと、少し先を飛ぶソレルの姿が目に入った。
まだ呼んではいない。今日が訓練の日だと憶えていてくれたのだろうか。
自然と笑いが込み上げてくる。
「おいスグリ。ソレルが誰かに似てると思ったら、お前だ」
「はあ?」
レンも、あははと笑いを零した。
シヴァは、マカニの風に乗って、何処まででも飛べる気がしたのだった。
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