物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 16 パキラの話
-パキラ-
読書が好きになったのは、先代族長の家へ婿に入ってからだった。
それまでのパキラは、石を掘ることにしか興味が無かった。
同じ採掘工でも、イベリスは感覚で石を掘り当てるようだが、パキラのそれは違う。様々な条件から論理的に鉱脈を読み、仮説を立てる。その通りに石が出てきた時の爽快感は何物にも代えがたい。
先代の族長に見い出され、金の化身になったまでは良かったが、娘婿へと望まれてからパキラの人生は狂ってしまった。当時ポハクの族長は世襲制だった。必然的に採掘工を続けるわけにはいかなくなり、族長補佐としてこの館に勤めることとなった。
族長の座になど興味は無かったが、族長の命令は絶対で、逆らおうものならポハクに居られなくなるのは目に見えていた。いずれにせよ採掘工の仕事を続けられないならばと、仕方なく話を受けた。
採掘工を辞してから暫くは鉱脈を読む癖が抜けなかった。その仮説を確かめに行く術は無く、その代わりに砂漠に穴を掘る夢を何度も見たが、結果は捗々しくない悪夢ばかりだった。
只でさえシュンランと別れなければならなかったパキラにとって、ともするとシュンランと結びつく石のことを考える時間は、次第に苦痛になっていった。
代わりに虜になったのが、族長補佐としてポハクのことを改めて学ぶ為に充てがわれた書庫だった。
此処には、城の図書室を知っているカリンが褒めてくれる程の書物が集められている。先代族長にとっては単なる飾り物だったそれが、パキラにとっては宝の山のようだった。
そこにはそっくりそのまま「世界」が在った。
鉱脈の仮説を立てることで培ったパキラの想像力を持ってすれば、書庫に居ながらにして、立体的な世界を見ることができたのだ。
先代族長には「ポハクの歴史を学ぶ為」と殊勝な言い訳をしつつ、パキラは特別な指示がない限り書庫へ籠って片っ端から読書を重ねた。幸い先代は、パキラを勉強熱心な男だと捉え、長い時間書庫に籠もることを咎めなかった。書庫は、先代族長の圧力や、族長の娘でありパキラの妻となったサフィニアからの過大な要求から逃れる場所でもあった。
本を読むことは未だに好きだったが、今では書庫へ籠る必要はない。好きな本を手に取って仕事の合間に読むのが生活の一部になっていた。
久しぶりに特別な予定がなく時間のある午後だったので、パキラは本を数冊携えて中庭へ出た。ポハクの夏は酷く暑い。中庭にも容赦ない陽射しが照り付け、風すらも熱風だ。
石造りで完全に日光の遮断された室内の方がまだ涼しいのだが、ここ暫く来客も多く、室内に缶詰めで仕事をしていた為、何となく外に出たい気分だったのだ。
パキラが木陰に置かれたテーブルと椅子に陣取ると、程なく使用人が冷たい茶の入った水差しとグラスを運んでくる。
庭師の男がひとり、仕事をしていた。
中庭の植物たちは砂漠であるこのポハクに在って、ギラギラとした生命力を見せつけている。
砂漠で育つ植物は少ないので種類はそう多くはないが、この中庭はいつもきれいに整えられていた。ナツメヤシの木が最も多い。サボテンはこの乾燥した大地でも花をつける貴重な植物だ。
植物の生え方も鉱脈を読むための重要な条件だったので、パキラは比較的植物にも詳しい。
先程手に取った本は、カリンの勧めで最近アグィーラから取り寄せたものだ。しばしばポハクを訪れるうちにパキラの読書の好みを把握したらしいカリンが、書庫に無いものでパキラが好きそうなものを目録にしてくれた。当面は読む本に困らなくて良さそうである。
暫く読書に没頭していると、目の端で人影がぐらりと揺らいだ。
本から顔を上げると、庭師の男がナツメヤシの木に片手をつき、肩で息をしている。
パキラは本をテーブルに置いて男に近づいた。
「おい、大丈夫か?少し彼方へ来て休んだらどうだ。」
「い、いえ。そんな。滅相もない。申し訳ありません。此処で少し休めば大丈夫ですから。」
「こんな日向では意味が無い。今日はまた一層陽射しが強いが、ずっとこの炎天下で仕事をしているのだろう?冷たい茶でも飲むがいい。」
酷く汗をかき、顔色は蒼白いのにも拘わらず男はパキラの誘いを固辞する。あまり気が進まないが仕方なく奥の手を使った。
「これは族長命令だ。そのような所で苦しそうな顔をされては俺がゆるりとできぬのだ。こちらへ来て休め。」
庭師の男は一瞬固まった後、パキラの指示に従った。
ふらふらと歩く男を支えて日陰へ誘うと、その間もしきりに申し訳ないと繰り返す。
「横になりたければ横になれば良い。」
長椅子を指差したが男が首を振るので、パキラの向かいの椅子に座らせ、予備のグラスに冷たい茶を注いで手渡してやった。
「畏れ多いことです。…ああ、でも、生き返りました。有難うございます。」
「あのな。庭師がひとつの職業であるのと同じで、族長もひとつの職業に過ぎない。まあ、ひとつ間違えれば命も取られかねない危うい職業故、こうやって優遇してもらっているがな、そこに人間としての貴賎は無いのだ。そこまで畏まることはない。」
一気に飲み干したグラスに再度茶を注いでやりながら言うと、男はじっとパキラの顔を見詰めた。しかしそれ以上の言葉は出てこない。
パキラは、無理に話す必要はないから存分に休むようにと申し置いて再び本を開いた。
本に目を走らせている間にも男の視線を感じる。敵意ではない。何かを迷っているような気配だった。しかし此処で、話したいことがあるなら話せと言ったところで、余計な圧力をかけることになることを自覚していた。
「…あの、少し話をしても構いませんでしょうか。」
男が口を開いたのは、パキラが十頁ほど本を読み進めた頃だった。パキラは承諾の返事をして本を閉じる。
「私は先代様の頃から庭師をしております。」
「そうだったな。」
「私の父は、今日のような日にこちらで仕事をしていて熱射病になり、そのまま死にました。先代様は、倒れた父をまるで物のように扱い、代わりの者を連れて来いと…。」
「ああ…。そうだったのか。」
先代にまつわるその種の話は山のように存在した。ポハクにおいては、族長は絶対だった。そのくらいの威光を掲げていなければ治めきれなかったのかもしれないが、パキラからすると、明らかに無駄が多い。過去から続く威光の上に胡坐をかいているようにしか思えなかった。
「すまなかったな。俺もそのように見えていたならば、俺の不徳の致すところだ。」
「いえ、あの、決してそのような意味では…。」
「いや…。」
周りから見れば、大差はないのかもしれない。
良かれと思って実施してきた法改正や無意味なしきたりの撤廃も、民の目には「気まぐれな族長の一存による身勝手な方向転換」と映っているのだろう。それならばそれで仕方がない。
民の反発を受けて命を取られることすら、パキラの中では族長になった時点で仕方のないことと受け入れている。
「先代様も奥様も、それからサフィニア様も、命令以外で私どもに声を掛けて下さることなどありませんでした。」
「まあ、それは俺も似たようなものだ。」
「あの、ですから…。」
「そうだな、急に声を掛けられたら戸惑う。それは悪かった。だが、先程話したように、俺は人間としてお前を下に見ているわけではない。この館で働いてくれていることには感謝をしている。俺はこの館に来た時、多くの使用人を解雇した。残した者にはそれなりに理由がある。」
パキラが族長になる以前は、王室に引けを取らないのではないかと思うくらいの人間が此処で働いていた。だからこそ、庭師がひとり欠けてもあまり影響がなかったのだろう。
パキラの視界に、ガラス越しにイベリスの姿が目に入る。
きょろきょろと室内を見渡していたイベリスもパキラの存在に気がつき、中庭へと出てきた。
「只今戻りました。」
その声に庭師の男は振り返り、パキラよりも先に「イベリス様お帰りなさいませ」と声を掛ける。
「あれ、タンジーさん、父上と話をしてるなんて珍しいね。」
「いえいえ。恥ずかしながら熱射病になり掛けまして、少し休ませていただいていたところです。」
「そりゃ危ない。確かに今日は危険な暑さだった。駄目だよ気をつけなきゃ。タンジーさん責任感強いから、くれぐれも無理しないように。」
「はい。有難うございます。あの、では私はそろそろ…。」
「いいよいいよ、もう少し休んでなよ。俺が邪魔しちゃったならごめん。」
「いえいえ。イベリス様も、お仕事でお疲れの所お気遣いくださいまして、いつも有難うございます。」
「こんなの、たいしたことじゃない。それよかさ、今度あのナツメヤシに素早く上る方法を教えてよ。」
「はいはい。いつでも喜んで。」
なるほど、とパキラは思う。
自分はイベリスのこの軽やかさを少しは学ぶ必要があるらしい。
「あ、父上。お話の邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした。」
「まったくだ。折角、俺が如何に恐ろしい族長かを聞いていたところだったのにお前と言う奴は…。」
「パ、パキラ様…。」
タンジーは狼狽え、イベリスは大笑いする。
「父上は、合理的すぎるんですよ。だから誤解されやすい。」
「感心した。よく解ってるじゃないか。しかし、どの程度の割合でお前の能天気さを取り入れたものか、迷うところだ。」
「そうですねぇ。…タンジーさん、どう思う?」
「イベリス様まで…。私はそんな…。」
「あはは。そうだよな。ごめんごめん。…というわけで、父上。」
イベリスはにやりと笑ってパキラの方を向く。
「能天気は私にお任せください。父上は父上のままでいた方がいい。多分その為に俺が居るんです。」
「ふん…。なるほどな。しかしな、俺に必要な機能を一部お前に担わせるということは…。」
「俺を束縛することになる。父上がそう考えて下さっていることは知っています。でも、それは俺の希望でもあります。嫌になったら出て行くから安心してください。」
「…お前のその能天気は、表面上のものだろう。それくらいは俺にも分かる。」
「かつてはそうでした。でも、今は案外違う。」
パキラの視線を、イベリスは笑顔で受け止めた。嘘をついているようには見えない。
イベリスの上辺の調子の良さは、それ以上他人を自分の中に入れないための防御壁だった。道化を演じることで、他人と深く交わることを躱していたのである。
確かにイベリスはカリンとレンに出逢って変わったように見受けられる。しかし、人間とはそんなに簡単に変われるものだろうか。
パキラは入り口で他人を遮断する。やり方に違いはあれど、似た者親子だと思っていた。
「全部が全部躱す必要はないんだと分かったんです。」
自分に欠けているのはそこか。
全部遮断してしまった方が楽だから、篩にもかけない。しかしだから、先日のリオンの裏切りのようなことが発生する。それはパキラの望むところではない。確かに、ある程度他人に信頼を置く…いや、それを示すことは必要なのかもしれない。
「あの…。」
タンジーがおずおずと声を出す。
「何だ。」
「はい。あの…畏れながら、あの、族長と族長補佐はお立場が違います。パキラ様のお人柄は、私は今日、漸く知ることができましたが、それで良いのではないでしょうか。そうやって少しずつ広まってゆけば…。変に気楽に振舞えば、それにつけ入る者も出て参りましょう。」
「まあ、悩みはそこだな。しかし、このままというのも芸がない。少なくとも、この館で働く者くらいにはこまめに声を掛けるようにしよう。」
「勿体無い御言葉です。では、私はそろそろ仕事に戻らねば…。」
「今日はもう終わりにしたらどうだ?動けるようになったならば、早く帰って休むが良い。日々丁寧に手入れされている庭だ。半日くらい手をかけなくても衰えまい。」
「はあ、しかし…。」
「タンジーさん、そうしなよ。なんなら明日早めに来て涼しい朝のうちに仕事したらどうだ?」
「イベリスの言う通りだな。」
タンジーは深々と礼をした。
アグィーラに向かって馬を駆る。隣にはイベリス、前後左右には護衛の戦士がついている。王の生誕祭へ向かう道中だった。
昨年はマカニを経由したが、今年は直接アグィーラを目指していた。エンジュは来るだろうか。
何となく空を見上げたがマカニ族はおろか、鳥の影さえ見えない。
真夏に馬を駆る身には有り難いが、天候があまり良くなかった。明日の生誕祭当日はどうだろう。少なくともここ数年は、生誕祭当日は天候に恵まれている。今年もそうであることを願いたい。荒天の中の式典などまっぴらだ。
城の城郭は既に視界に入っている。元が何だったか分からないこの遺跡を抜ければ南門が見える筈だ。
しかし、南門が目に入る前に、同じような隊列を組んで南側からやって来る集団が目に入った。
「アヒ族かな。」
同じことを考えたらしいイベリスが呟く。
「どうやらそのようだな。」
「挨拶してきます。」
返事をする前に、イベリスは護衛の間を縫ってひとり進路を変えてしまう。慌てて一名の戦士が後を追いかけた。まったく落ち着きのない奴だとパキラは軽く溜息を吐いた。
「歩を緩めよ。」
仕方なくパキラは周囲の戦士に指示を出す。自分だけ先に南門へ到着するわけにはいかない。
イベリスはみるみるアヒ族とみられる集団へ近づき、大きく手を振った。
途中からイベリスの存在に気がついていただろう先方は、やや歩調を緩める。イベリスは集団に合流し、並走を始めた。護衛の戦士に隠れてアキレアの姿は見えない。
結局パキラたちポハク族とアヒ族は、南門の少し手前で相まみえた。
「騎上から失礼する。アキレア殿、久しいな。ネリネ殿もお元気そうで何よりだ。」
「おお、パキラよ。久しいな。お主らも皆元気そうで良かった。しかし、イベリス殿は相変わらず身軽だな。」
「身だけならいいんだがな。」
「残念ながら頭の方も軽いようです。」
イベリスは悪びれずに笑う。アキレアの向こうで、ネリネが必死に笑いを堪えているのが目に入った。
城の門番は既にポハク族とアヒ族の到着を察知しているようなので、とりあえず先に進むことにした。
馬を降りて、迎えに出てきた官吏に揃って挨拶をする。尋ねると、どうやら他の種族はまだ到着していないようだ。
いつものように迎賓棟へ案内され、部屋に入る前にふと思い立ってアキレアに声を掛けた。
「エンジュもまだ到着してないらしい。アキレア殿、時間があったら少し付き合わないか。」
「パキラから誘いがあるとは珍しい。見ての通り私は暇だ。喜んで付き合おう。」
「父上、私は?」
「お前は好きにするがいい。一緒に来るか?」
「…いえ、止めておきます。朝が早かったから眠い。昼寝でもしてます。」
イベリスはわざとらしく伸びをしながら自らの部屋へ消えた。
此処まで来る間にアキレアが何か話したそうにしているのは気配で気がついていた。イベリスも察したのかもしれない。
鉄鉱石の一件ではアキレアとの話をイベリスに任せてしまった。パキラはパキラで、アキレアと一度きちんと話しておいた方が良いだろうと思っていた。
パキラは、城に在ってポハクの中に居る時よりも気が楽なことに気がつき、心の中で苦笑する。
族長とはいえ、此処では客人だからな。
そして種族は異なれど、同じ族長という立場の人間が居る。皆個性の強い者ばかりではあるし、必ずしも気が合うとはいえなかったが、立場が同じだけ気が楽だった。
しばしのんびりさせてもらおう。
そう思って思わず伸びをすると、アキレアが豪快な笑いを響かせる。
「イベリス殿とそっくりではないか。」
「一応親子だからな。」
パキラはにやりと笑って見せ、アキレアと肩を並べて歩き始めた。

KaoRu IshjDhaさんに絵を描いていただいた経緯はこちら▼
