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物語の欠片 天色の風篇1 ココの話

-ココ-

 ココは六歳の時に黒鳥病を患った。当時それは不治の病で、皆罹ってから三日ほど苦しんでそのまま死んでいった。ココも苦しかった。
 苦しくてベッド泣いていると、目の前にきれいな女の子が現れた。それがカリンだった。苦しい呼吸の中でココは一瞬カリンに見惚れた。自分はもう死んでしまっていて、女神様が迎えに来たのかと思った。しかしカリンはココに苦い何かを飲ませた。そして、偉いねと褒めてくれた。それからうとうとして、目が醒めたら苦しさは無くなっていた。魔法みたいだった。
 以来ずっと、ココはカリンのことが大好きだ。きっとあの時、心まで魔法にかかってしまったのだとココは思っている。
 その大好きなカリンは今、マカニで暮らしている。レンに先を越されたのは悔しいが、毎日のように会えるなんて奇跡だと思う。だからレンには感謝しなければならない。
 黒鳥病はレンの少し上の世代から流行り始めた。子供が沢山死に、レンとココの間にはココより二つ年上の女の子がひとりだけ。マカニの戦士は誰も居ない。五歳離れたレンが一番近い先輩だなんて本当にやり難い。しかもレンはあの歳で族長の左腕だと言われている。更に、風の化身だ。
「ココ。風向きを読んでごらん。ほら、今はこっちから吹いてる」
 レンが隣で自分の訓練をしながらココに声をかけた。考えごとをしていたら手元が疎かになっていたようだ。
「読んでるよ。でもレンみたいに上手くいかない。ここで吹いている風と的の近くで吹く風とが違うじゃないか」
「うん。先ずそれに自分で気がつければ合格。あとは矢を撃ちながら調整するんだ。沢山撃てばその分弓とも風とも仲良くなれる」
 レンはそれだけ言うと自らの訓練に戻る。ココはそっとその様子を盗み見た。
 一旦自分の訓練に入ると、レンは周りを見向きもしない。その集中力は、側で見ていても分かった。どんなに風が強くても毎回正確に的の中心を射る。それなのに訓練を続けている。レンは一体どこを目指しているのだろう。
 夏の初めの集団訓練でココは翼の接触事故を起こし墜落した。助けてくれたのはレンだ。レンは自らの翼を犠牲にしてココを助けてくれた。おかげでココは無傷だった。あんなに高いところから堕ちたのに。
 訓練を終えた夕方はいつもくたくただ。それなのに隣のレンは息も切らしていない。皆が訓練を終えて帰って行く中、ひとりで訓練を続けている。しかしココにはそれを真似する気にもなれなかった。
「ああ、疲れた。お先に」
 そう言って訓練場を後にする。夕方カリンの居る診療所へ遊びに行くのが一日頑張った自分へのご褒美だ。
「おつかれさま」
 カリンはいつも笑顔で迎えてくれる。今日は珍しくこの時間にカエデが居た。
「もうそんな時間か。では私はそろそろ帰ろう。カリン、そういうわけだから皆の相談に乗ってやってくれ」
「カエデさんはいいなあ。僕も戦士じゃなくて医術者を目指せば良かった」
 立ち上がったカエデにココは言う。カエデはいつものように穏やかに微笑んだ。
「今からでも遅くはない。私は今のココよりもずっと後から勉強を始めた」
「僕が本気じゃないと思ってるでしょう」
「さあ、どうかな」
「今からでも遅くはないけれど、ココには戦士で居てほしいな」
 ココはそう言うカリンを少し不満げな表情を作って見る。
「どうしてさ」
「ココの下には沢山の子供たちが控えている。その子たちが戦士になった時、ココはその子たちを引っ張っていく存在になるのよ。今、ココが戦士ではなくなってしまったら、レンとの歳の差が開くばかりだわ」
「なんだ。レンの為か」
「違うわ。マカニの為よ」
 マカニのため。その言葉はココを惹きつけた。自分が戦士で居ることはマカニの為になるのか。カエデはココの肩を叩いて帰って行った。もう少ししたらシヴァとレンが連れ立って族長の家に行く筈だ。それを迎えるつもりなのだろう。
「カリンちゃんはどうしてカエデさんに医術の道を勧めたの?その時はまだ先生が生きていたでしょう? カリンちゃんはマカニにも住んでいなかった」
「族長様がカエデさんの将来を気にしていらして、カエデさんも悩んでいるようだったから。先生もお年だったし、向いてそうだからいいかなと思って。無責任な思いつきよ。でも、カエデさんは本当に頑張ってあっという間に素晴らしい医術者になった。アグィーラの医師にも引けを取らないわ」
「ふうん。そうか。カエデさんは族長の息子なんだよね。何だか二人とも謎だらけだからよく分からないや」
 カリンはくすくす笑ってお茶を出してくれた。カリンの淹れるお茶は美味しい。しかし、それもカエデから淹れ方を教わったのだという。いつまでたってもカエデさんのようには淹れられないとカリンは言うが、ココにはカリンが淹れてくれるお茶が何より美味しく感じた。
「ココは戦士が嫌い?」
「嫌いではないよ。でも、向いているとは思えない。お父さんが戦士だから僕も当たり前のように戦士になったけど」
「まだ始めたばかりじゃない」
「だって、すぐ上がレンだよ? 比べたくなくても比べちゃうんだもん」
「仕方ないわ。レンはすごいんだもの。私も絶対敵わない」
「カリンちゃんが? 弓で? だったら当たり前だけど」 
「弓はもちろんだけど、なんていうか……そう、安定感」
「うーん。よく分からない」
 カリンは、そう? と言ってまたくすくす笑った。その笑い方がしあわせそうなので、ココは嬉しくなる。カリンはココの前ではだいたい笑顔だ。しかし時々そこに翳があるのをココは知っている。それでもココはそれを指摘したりはしない。そうすれば笑顔がもっと翳るのが解っているからだ。カリンにはしあわせで居てほしい。それはココの我儘だ。ココはそれを眺めていられるだけでしあわせなのだった。
「私は今のココが好きよ。自分のできる範囲で頑張ればいいじゃない」
「カリンちゃんがそう言ってくれるならそれでいい」
「私はココがしあわせならそれでいい」
「僕はカリンちゃんと毎日会えればしあわせだよ」
「ありがとう。それじゃあ毎日遊びに来て」
「この前みたいに長く居なくなられると困る」
「そうね。私も困るわ」
 はあ。とココはわざとらしく大きく息を吐いた。それからとびきりの笑顔を作る。
「カリンちゃんに会って元気になった」
 カリンもきれいな笑顔を返してくれた。それを見て心の底からしあわせになれる自分をおかしいとは思えない。カリンは自分にとって命の恩人なのだ。本当に女神様だったのだ。

 診療所に一番近い第四飛行台まで歩く途中で声をかけられた。振り返るとアザミが立っている。アザミはココより二つ年上で、黒鳥病に罹らなかった運の良い子供のひとりだった。
「またカリンちゃんのところ?」
 アザミは普段カリンのことをカリンちゃんとは呼ばない。カリンと呼び捨てで呼ぶ。これはココを揶揄っているのだ。
「悪い?」
「悪くはないけどいい加減諦めれば?」
「何を?」
「カリンはレンのものよ」
「別にそんなんじゃない」
 ココはアザミがレンに憧れていたのを知っている。それはそうだ。少し上にあんな凄い戦士がいたらそれは恋をするだろう。しかもマカニ族は女が生まれる割合が元々少ない。女の方が自分が好きな男と一緒になれる確率が高いのだ。もしかしたら自分がレンと一緒になるつもりだったのではないだろうか。
 しかしレンはカリンと一緒になってしまった。おそらくアザミもレンとカリンが仲が良いのは知っていただろうが、種族を越えて祝言を挙げるとは思っていなかったに違いない。
 アザミは特に気落ちする様子もなく、今はレンより更に五歳上のコキオと仲良くしている。ココにはその切り替えの早さの方が理解出来なかった。
「そんなんじゃあ、ずっとひとりよ?」
「いいよ。マカニにはひとりの男は多いじゃないか」
「私は貴方のことを心配してあげてるのよ」
「余計なお世話だよ」
 アザミは溜息をついた。それが少しだけ傷ついた表情に見えてココは動揺する。
「僕は毎日こうしてカリンちゃんと会えればしあわせなんだよ。放っておいてよ。アザミさんはコキオさんと仲良くしてればいいだろう?」
 動揺を悟られないよう、そしてできるだけむっとした感情が顔に出ないように気をつけてそう言った。しかし、今度は明らかにアザミが動揺を見せた。
「何? コキオさんと喧嘩でもしたの?」
「別に」
「話、聞いてあげてもいいよ」
「別に喧嘩なんかしてないわよ。ただ……好きでもいつも一緒に居たいわけではないんだなと思って」
 コキオは見張りに立つことが多い。アザミが毎日のように見張り台まで会いに行くと、コキオは今日は疲れてるんだと言って帰ってしまったそうだ。
「貴方も毎日のようにカリンに会いに行ってるじゃない?だから忠告してあげようと思ったの」
「あっそう。忠告は聞いた。ありがとう。もういい?」
 言いながらココは酷く哀しい気持ちになっていた。聞かなければ良かった。カリンも、あの笑顔の向こうに実はココと会うのが面倒だという気持ちを隠しているのだろうか。
 アザミは未だ話したそうにしながらも先に第四飛行台から飛び立って行った。残されたココはその場に立ち尽くす。
 カリンが自分の気持ちに迷惑しているなどとは考えたことが無かった。もしかしたら、好意を伝えるだけで相手の負担になってしまうことがあるのかも知れない。自分はカリンに迷惑をかけているのだろうか。しかし、カリンに会わないなどということは出来ない。カリンの居なかった三月はつらかった。いっそ診療所に戻ってカリンに訊いてみようかと思って止める。カリンが迷惑などと言う筈がない。
 自分はおかしいのだろうか。カリンはきっとそれも否定するだろう。カリン自体が変わり者の子と言われていたがココもカリンのことを変わり者とは思わない。そうか。おかしいのではない。違うだけなのだ。違って当たり前なのに、多数決で人数が少ない方がおかしいと言われるだけなのだ。
 ココは自分のしあわせを分かっている。それでいいじゃないかと思い直した。それから、このまま頑張って戦士を続けようとも思った。それがマカニのためになるのだとカリンは言った。ココはマカニの村しか知らない。訓練以外で村を出たことは、レンの任命式でアグィーラの城に行った一度きりだ。ここに居ることが当たり前だった。しかしカリンにとってここは特別な場所なのだ。ココもカリンの居る生活を守りたかった。
 明日からはもっと身を入れて訓練に参加しよう。そう思ったらすっきりして、ココは両親の待つ家に向かって羽ばたいた。
 

「鳥の歌篇」の黒鳥病のエピソード▼