物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 5
-カリン-
晩餐会を終えた後、いつものように化身たちはレフアとローゼルの部屋に集った。そしてカリンはいつものように七人分のお茶を淹れた。
今ではこうして全員が集うのは、レフアの生誕祭と新年式の年二回だけであるし、その間にそれぞれ色々とあるとは思うのだが、集まればいつもの雰囲気なのが嬉しかった。
今回、最初の話題の中心はレンの遭遇した事故だった。イベリスが芝居がかった様子で聞いた話を大きく膨らませて話すので、皆、口を挟む間も無い。レンは最初のうちこそ抵抗したが、すぐに諦めたようで、苦笑しながらカリンの淹れたお茶を飲んでいた。
「何よそれ、大変だったじゃない。レンはもう怪我は良いの?」
イベリスが話し終えるとネリネが尋ねた。
「うん。見てのとおり、普通だよ」
「そう。とりあえず良かったわ。カリンは? 平気だった? ……訳は無いわよね。大変だったのじゃない?」
「ええと、私は、その時ちょうどアグィーラも大変で……」
視線を感じてそっとそちらを見ると、ローゼルの厳しい視線とぶつかった。何か言いたそうだが、決してこの場で口を開く事は無いだろう。
「ワイの件ですわね?」
代わりにルクリアが口を挟んだので、カリンはほっとして応える。
「ええ、そう。あの話は、ワイの中ではどのように伝わっているの?」
「ワイの医院で手に負えない患者が出たからアグィーラへ送ったということは聞きましたけれど、詳しいことは知りませんわ。ただみんな、ワイの医院はまだまだ技術も人手も足りなくて、アグィーラから正式な医院として認めてもらえないのも無理はない、という話はしています。シレネ様は随分頑張っていらっしゃいますけれど、おひとりでは、ね……」
カリンは簡単に本当の経緯を説明した後で、気になっていたシレネの様子について尋ねた。
「少なくとも、わたくしたちが知り得る範囲ではお変わりないようですわよ。相変わらず精力的に活動されています。年の終わりと初めに雨乞いの宮へ伺いましたけれど、お元気そうでした」
「エリカ様も?」
「ええ、エリカ様はいつでもエリカ様らしく在られます……今度は美術館を作るのだそうですよ」
そう言いながらルクリアはくすくすと笑った。
美術館の話はレンからの報告でも聞いている。ワイは、とりあえず問題ないと考えても良いのだろうか。
他の仲間たちは知らなかったようで、イベリスとネリネは「美術館?!」と驚きの声を上げた。レフアは静かに苦笑を浮かべている。
「エリカ殿もよくやるわよね。美術館ということで、今度は文化局が警戒しているわ」
「文化局って、ランタナ様が? レフアたちはどこから美術館の話を?」
エリカが構想段階でわざわざアグィーラへ連絡を寄越すとは考えられなかった。カリンは文化局の中級官吏でもあるから無関係ではない。話の流れは気になるところだ。
「昨年の終わりに建築局がワイへ行ったのを知っているでしょう? その時に噂を聞いて来たみたい」
クコたちの使節だ。太陽光発電の機材を何処に設置するかで揉めたようだから、その際に雨乞いの宮も候補になり、その話が出たのかも知れなかった。
「そういえば、ポハクは実験を断ったんだって?」
レンが尋ねるとイベリスは頷いた。
「予想以上に商人会の反発が大きくて……といっても父上にとっては想定内だったらしくて、書簡を貰った当日に商人会へ出かけて行ったんだけどな」
「そうか。想定内だったんだ」
「『やっぱりだめだった』と笑いながら帰ってきた。今のところポハクに太陽光発電を入れる大きな利点はないからと言って、申し訳ないが断りの返事を入れたんだ。そもそもポハクなら実験しなくても十分に機能するだろうしな」
「なるほどね。今実験しなくても、いざ導入したいとなったらいつでもできるという訳か」
「アグィーラとしては今回のことをどの程度推進しているの?」
国としての方針は知っておいた方が良いと思い、カリンは尋ねた。
「アグィーラ内の主力は少しずつ太陽光に移行する予定よ。火力発電はアグィーラのように特別な土地の利が無くても行えることが利点だけれど、有害な煙を吐き出すから拡張に反対の声も多い。まずは、まだ電気が行きわたっていない地域に太陽光発電で電気を通すつもりでいる。アグィーラ以外の地方も、例えば貧しくて電気を導入できていない地域などへ安価で提供しようと思っていたのだけれど、ポハクの商人会の言い分も分からなくもないから、無理には勧めていない。シェフレラは色々考えてくれているみたいだけれど」
シェフレラとは法務局の局長である。法務局は五つある局の中でも最も大きく、権力も強い。シェフレラは随分長い間法務局を取り仕切っており、カリンは直接関わったことはあまりないが、かなりのやり手だと考えてよいだろう。
シェフレラの孫娘は、一時期アオイとの婚姻が取り沙汰されていたが、アオイがその話を断ったという。しかしその後、シェフレラと、アオイの父親である医局長ツツジの間の不仲も囁かれない。そういう意味でも、大物なのだろうと思う。
ネリネはレフアの説明にほっとしたような表情を見せた。
「それほど大々的に推進していないようで安心したわ」
「アヒも何か問題が在るの?」
交渉段階だからか、まだレフアの耳には届いていなかったらしい。ネリネは昼間カリンたちが聞いたのと同じ話をし、実験自体は受け入れるけれど、それに対する村人たちの反応は予測がつかないと付け加えた。
「難しいのよね。火や水と違って、電気は無くても生活に困らない。もちろんあると便利だけれど、基本的な生活基盤とまでは言えない。今、国として火や水を皆に平等に提供できているかと言えばそうではないのに、電気だけ推進する理由は無いのよ。それよりもやるべきことは他に沢山ある」
レフアの言葉を受けて、カリンの頭の中に、自らの発見について目を輝かせて話すクコの顔が浮かんだ。技術として素晴らしい発明でも、実際の生活に則していなければ普及は難しいのだということを痛感し、想像の中のクコの顔が曇る。
これはカリンの勝手な想像だ。クコはきっとそんなことはとっくに理解しているに違いない。それでも、前に進んでいるのだ。いずれ、世界が自分の技術に追いつく時のために。
そのクコから、カリンに対してフエゴ地方への応援を依頼する書簡が届いたのは、それからちょうどひと月ほど経ったある日のことだった。
消印はアヒからではなく、アグィーラの書簡室だ。
少し前からフエゴでの実験を開始しているが、機材の故障が相次いでいる。一緒にフエゴへ行った建築局の官吏たちの間では、どうやらそれが人為的なものなのではないかと囁かれ始めた。困り果てて思わず様子伺いに来てくれたネリネに相談したところ、カリンに相談することを勧められたとのことだった。カリンはマカニ族だが翼を持たないし、正式にアグィーラの中級官吏だ。官吏服さえ着ていればフエゴへ同行してもそれほど目立たないだろうから、一度フエゴへ同行してくれないかとも書いてあった。
カリンを同行させるかもしれないことは、すでに局長のプリムラにも相談済みだという。
しかしそれはつまり、基本的にアグィーラの中だけで事を収めたいということであり、翼を持つマカニ族の同行は不可、ということでもある。
「残念ながら僕は留守番だね。大丈夫かなあ。人為的な故障ってことは、誰かが邪魔をしているということだろう?」
レンが当然の反応を示した。夕方の報告時間帯に、カリンは族長の元へ相談に訪れていた。もちろんその時間に、レンとシヴァが居るだろうことを考えてのことだった。
「レンだけではなく、マカニ族を遣ることはできませんね。最初から危害を加えるつもりは無さそうですが、今の妨害が効果無しと分かれば別の手段に出る可能性もあります。移動も馬になりますから、それなりの期間マカニを空けることにもなる」
シヴァは冷静に状況を分析し、族長の顔を見た。族長はカリンにどうしたいかと尋ねた。
「私が行ってお役に立てるならば行きたい気持ちはあります。それに、万が一誰かが暴力的な行為に出たとしても、建築室の官吏だけよりは状況が良くなるように思います」
「そういえば、カリンがアヒ族の前で武術を披露したことはまだ無いね。ネリネ以外の前で、という意味だけど」
「カリンの存在は、アヒ族にどのくらい知られている?」
「存在は知られているかもしれないけれど、顔までしっかり認識している人は少ないと思うわ」
カリンはシヴァの問いに答える。
最初にアヒを訪れた際はネリネに町の中を案内してもらっただけでそれほど人とは言葉を交わさなかった。火山の噴火の際にはアヒ族はアグィーラに避難してきていたが、カリン自身はあまり関わらなかった。
鉄鉱石の問題の際には、どちらかというと「マカニ族が来た」という印象が強かっただろう。カリンはマカニの衣装を着ていたから、翼を持たないマカニ族が居るということは認識されたかもしれないが、そしてそれが大地の化身であると知っていた人は居たかも知れないが、アグィーラの官吏服を着て官吏たちの中に混ざればまた印象が変わるはずだ。
「カリンにそうしたい気持ちがあるならば、ひとまずフエゴまで状況を確認しに行く、というのはしても良いように思います」
族長はシヴァの言葉に頷き、レンの方を向いた。
「お前はどう思う?」
「僕も反対はしません。ただ……無茶しないように」
「それはレンだけでなく、我々全員の願いだな。相手の目的が分からない。しかしそれも、実際に肌で感じてみないと分からないことも多いだろう。カリン。クコ殿へは承諾の返事をすると良い」
「ありがとうございます。無茶はしないように気をつけます。レン、シヴァさんもありがとう」
「カリンがアヒに入って数日したらカエデかホオズキを使いに遣ろう。普段から書簡使の役割をしているから不自然ではないだろう。その時に簡単に状況を知らせてほしい」
最後に族長が言い、カリンのフエゴ行きは決まった。
