【エッセイ】30過ぎても幼稚園児みたいに怒りでわんわん泣ける
昨日は久しぶりに怒りで泣いた。
Chat GPTに慰めてもらおうとして、途中で言語化がめんどくさくなってスマホを投げた。説明している間にその時のことを思い出して怒りが再沸騰してしまい、うまくまとまらなかったせいでもある。
もういいやと思い、ダイエット中だったが大好きなお店に行って、泣きながらおでんを食べた。(迷惑な話だ)
私がめそめそしているのを見て(そして普段飲んでいないアルコールを飲んでいるのを見て)「今日はいっぱい食べてね」と定員にお姉さんに言ってもらったのでわしわし食べた。
大将が「この一杯は俺がおごっちゃるけん」と言いながらカルピスサワーを出してくれた。こういう時に人に優しくされたらそっちのほうで泣ける。
そして帰ってから、気を紛らわすために赤ちゃんの可愛い動画を見た。無心で筋トレをした。
そうやって何かを思考の合間に挟んでいるときは一時的に元気になったものの、布団に入る頃にはまた悔しくて悔しくて身悶えした。
喧嘩を仲裁されてぶすくれている幼稚園児のように、「あいつは分かっていない」と脳内で叫び続けていた。
そうして迎えた今日。寝たら落ち着くかと思ったのに、まだふつふつとしている。収まらないどころか、ちょっと火を弱めました、程度にしかなっていない。
ちょっとショックだった。「寝たら忘れちゃうんだよね〜」みたいに笑いたかったのに。
天真爛漫に生きるなんて到底私には無理だ。ドロドロのガサガサ、ネチネチした人間である。性格が悪い。人一倍執着心が強い、俗っぽい人間だ。
そんな自己認識も改めて感じつつ、何で自分がここまで怒っているのか。それを布団の上で考えてみた。
自分自身がしてしまった人間関係の失敗も含めて、人が一番怒りを覚える時って「自分をないがしろにされた」時だと思っている。
プライド傷つけられた時。
「知りもしないくせに、分かったようなこと言わないで」と思ってしまう時。
自分を正しく(自己認識と外れていない形で)理解してほしい、評価してほしい。
大体そこに行き着いている。少なくとも、今回の私の怒りについてはそれに尽きる。書いてて恥ずかしくなってきたけれど。
どちらにせよ、他人軸すぎる自分から早く卒業しないと、ずっとこうやってしんどい思いをする。現在進行系で苦しんでいる私が言うのだから間違いない
分かってよ、と叫ばないで済むようになれたら。
分かってくれなくてもいい、分かる人にだけ分かればいい。
そう思えるようになれたらどんなに楽なんだろう。
私は自分自身の評価や価値を他人に委ねすぎている。そのせいで勝手に苦しんでしまうし、物事に対するモチベーションも乱高下する。
これではミドサーの皮を被った幼稚園児だ。こっちだって30半ばを過ぎようとしているところ、しんどい思いも悔しい思いもそれなりに乗り越えたり逃げてみたりしながらも、何とか生きてきた。
それなのに 、未だ精神性が幼稚園児なのは我ながら情けない。
氷室冴子さんの言葉を借りるなら「いっぱしの女」に早くなりたい。
他人にどう言われようと、自分がありたい姿がしっかりあれば、こんなことでくよくよしなくなるんだろうか。
内側を補強しさえすれば、すぐに立ち上がれるようになるんだろうか。
自分の歪みも性質も、変えるのは自分しかいない。変えられないなら、どうやったら生きやすくなるか考えるしかない。
無理に変える必要も、本当はない。それを含めて自分という人間でしかない。
ただ少なくとも――朝食は毎日クリーンな気持ちで迎えられるような、そんな毎日を送りたい。
そう思いながら、深呼吸して伸びをして、このnoteを書いてみた。
いつもより、淹れたてのコーヒーが染み入った朝だった。
