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エマールのシューマン。”異形のゼロ地点”で鳴り響く11個の轟音。

録音:2006年5月

「フーガの技法」からシューマンへ

エマールの演奏を最初に聴いたのは、バッハ「フーガの技法」だった。ドイツ・グラモフォンが創立111周年の記念企画として制作・販売した「111ボックスシリーズ・ピアノ版」の1枚目がこのアルバム。
ボックスセットには、40枚のCDが入っていて、32人のピアニストがABC順で並んでいた。エマールのスペルはA始まり(Aimard)。

なんの先入観も期待もなく、スピーカーから出てきた音を聴いた。淡々と弾いているような気を衒わないスタイルながら、古臭く退屈なバッハとは対極にある。澄み切った音色は、それだけでも引き込まれてしまう。その音色へのこだわりは、調律師とのやりとりが『ピアノマニア』というドキュメント映画に記録されたほど。ジャケットのモダンな印象もあり、エマールという名前は自分の中で大きな存在になった。

だがアーノンクールと演奏したベートーヴェンのピアノ・コンチェルトは、期待したがまったくダメだった。触れたすべてを金にしてしまう”ミダス王”とは逆に、触れたものすべてをつまらなくしてしまうアーノンクールと組んだからなのか。

またエマールは現代音楽の分野でも注目されていて、アフリカのピグミー族の民族音楽とライヒやリゲティのピアノ曲を同列に並べて録音した『アフリカンリズム』は、坂本龍一が「これは本当に必聴盤」と絶賛した。

ということで今回のシューマン・アルバム。
『交響的練習曲』と『謝肉祭』の2曲が収録されている。

『交響的練習曲』の第1曲、アンダンテのテーマ。シューマンの中でも最もリリカルな旋律のひとつだが、これは彼の自作ではなく、音楽好きな男性(シューマンの婚約者の父親)によるもの。その後に12の変奏がある。シューマンの没後、5つの遺作が見つかり、それらを足したヴァージョン(ブラームスによる第3版)をエマールは採用し、その5曲を第7変奏の後に演奏している。

聴き始めて気づくのは、「くすんだ音色」だ。それは、”にごった”というネガティブなものではなく、エマールが、輝かしい音色でピアニスティックに弾き飛ばしていく通常の演奏に「NO」を言っているように聞こえる。
と同時に、高橋悠治のようなモダンな演奏家の雰囲気もある。だがエマールはそれを前面に押し出して独特な演奏をしようとはしていない。

2曲目の『謝肉祭』に入っても、彼の淡々とした演奏スタイルは変わらず、こういう流れで最後まで行くのかと思っていたら、とんでもないものが控えていた。

「スフィンクス」の謎と、驚き

雰囲気が一変するのは、収録された第2曲「謝肉祭」の真ん中に置かれている「スフィンクス」において。
これは名前の通りに、謎めいた曲で、わずか11個の音符が並んでいるだけ。シューマンは「特に弾かなくてもいい」としている。「謝肉祭」をレコーディングしたピアニストでも、弾く人もいれば弾かない人もいる。

エマールは弾いている。恐ろしいほどの迫力で。
鉄骨が、岩盤に打ちつけられているような音圧。

”弾かなくてもいいのでしょう?”というような、軽い受け止め方で済まされるものではない。「ここにこそシューマンがいる、聴け!」と言っているような11個の音符。

ここで深淵が口を開ける。
これに似たものは、ベートーヴェンの交響曲第8番の第4楽章で、いきなり大音量で演奏される不協和音くらいだろう。

”異形のゼロ地点”のようなエマールの「スフィンクス」。
それが鳴り響いてしまうと、これまで聴いてきた「交響的練習曲」と「謝肉祭」の表情が、意味が、一変する。まったく違ったものに聴こえてくる。
すべての楽章の後ろに、不協和な轟音が鳴っている。そういう状態になる。
「スフィンクス」の轟音が、アルバム全体を覆ってしまう。それがエマールが表現するシューマン世界。

「謝肉祭」を聴き終え、1曲目の「交響的練習曲」主題に戻ると、それが完全に正しい音色とテンポであることに気づく。
穏やかにひっそりと始まる「交響的練習曲」と、雄壮で華々しい冒頭を持つ「謝肉祭」の組み合わせ。それが完璧なものに思える。

この2曲の組み合わせは、シューマンという音楽家を知る上での鮮明な切断面になる。これはエマールにとっては、医師がオペで手にするメスのようなものなのだろう。

アルバムに収録された40の楽章のすべてが、完全な設計のもとに演奏され、収められている。1枚のアルバムの構成と演奏で、シューマンという音楽家が持つ深い音楽性と人間性の特質が訴求されている。
そういうことをやっているのは、エマールのこれと、内田光子の「暁の歌」を収録したシューマン・アルバムしか、まだ聴いたことがない。


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