名盤の誕生! エマールの『リスト・プロジェクト』
ピエール=ロラン・エマール 『リスト・プロジェクト』2枚組
録音:2011年5月 ウィーン・コンツェルトハウス大ホール
ピエール=ロラン・エマール(1957-)。今、最も注目を集め、評価されているピアニストのひとりではないだろうか。わたしも内田光子さんと並んで、彼のアルバムを聴く時が一番ドキドキする。
エマールは、16歳の時に「オリヴィエ・メシアン国際コンクール」で優勝しているから、ある種の天才的な演奏家だろう。
その後も、彼はマイ・ペースを崩さずに歩み、ブーレーズ、メシアン、リゲティといった現代音楽からキャリアをスタートさせたので、当初はさほど注目を集めなかった。世界のメインの舞台では、ショパン、ベートーヴェン、ラフマニノフといった作曲家をどのように弾きこなすかで評価される価値観が主流。
彼が2001年に制作した『アフリカン・リズム』は、ピグミー族の音楽にライヒとリゲティを並置させて1枚にするという大胆なコンセプトで、先ごろ亡くなった坂本龍一は「必聴の1枚」と絶賛している。
そのエマールが、クラシック音楽の表舞台に一気に浮上したのは、というより、自分の中で注目度を上げたのは、彼が弾いたバッハの「フーガの技法(2008年。ドイツ・グラモフォン第一弾)」が、グラモフォンの特別ボックセット『 Piano 111』に入っていたから。自分で選んで手にしたものではなかったが、これが彼の音楽と接するいい機会になった。
『111』はドイツ・グラモフォンの創立111周年を記念したもので、蓄積された膨大な音源から40枚を選んでABC順に並べたもの。エマールはAimardなので、最初に入っていた。
クールなジャケット・デザインの印象通りに、バロック音楽の父であり、クラシック音楽の永遠の原点のようなバッハの最晩年の作品を、現代的な曲として蘇らせていた。透明なタッチと音色が魅力的。エマールがこの録音のために、どれほどピアノ表現にこだわったか。それが1本のドキュメンタリー映画『ピアノマニア』にまとめられている。

エマールの「リスト・プロジェクト」は、その3年後、2011年5月に録音された。「リスト」という言葉(作曲家)と「プロジェクト」という概念を結びつけたのは、エマールが最初だろうし、彼の知的な個性を物語っている。
私は、音楽リスナーとして、長い間、ロマン派の音楽と無縁で過ごしてきた。それでも50年ほど音楽を聴き続けていると、自分が主体的に好きな音源は聴きつくしてしまう。見知らぬ島に出かけるみたいに、ロマン派に向かい、未聴の音源を聴き始めた。マーラー、ブルックナー、ブラームス、シューマンと出会う。そこには思いの外、自分にフィットする音楽があり、前のめりで聴くことになった。
僧服をきたリスト
リストについては、彼が華々しい超絶技巧で19世紀の音楽界の寵児になり、交響詩などを作曲していた頃の音楽には興味を持てなかった(一応は聴いたけれど)。でも晩年になり、それまでとは違う鎮静した音楽を書くようになり、ローマで僧服を着て活動するようになると、がぜん面白くなる。
一人の音楽家の生涯としても、詩人のリルケのようだし、この頃リストが書く小規模のピアノ作品は、調性が不確かになり、のちの新ウィーン楽派らの音楽に近づく。エマールの「リスト」も、ここから始まっていく。
『リスト・プロジェクト』は2枚組で、1枚目には、エマールが選んだピアノのショートピースが並ぶ。リスト、ワーグナー、アルバン・ベルク、スクリャービンの作品で、どれも明確な調性の中にはなく、ゆらゆらとうごめく。最後にリストが1曲だけ書いたピアノ・ソナタ「ロ短調」が来る。
この構成。リストが晩年に到達した現代性を、それを共有する他の3人の作曲家の曲を並べることで、確認しながら味わいつつ、最終地点として「ロ短調ソナタ」がすべてを受けとめるる。その意図は明確で、揺らがない。
「ロ短調ソナタ」は、クラシックピアノ史の中でも最重要曲のひとつ。世界のピアニストにとっても難曲で、これをどのように弾くかが試金石のようになっている。ネット上にも「ロ短調ソナタ」だけを100演奏以上聴いて、論評するというものすごい内容のウェブサイトがあった。
この曲は、全体が一つの楽章のようにまとまって弾かれるが、エマールは、4つに分割し、それぞれを独立したものとして際立たせている。多くのピアニストが表現過多に、激情型の曲としてこれを演奏するが(リヒテルなどはその最たるもの)、エマールはもっと即物的に、一定の距離を置いた状態で、やや乾いた感触で弾く。そこにリストが唯一作ったクラシックを代表する名曲といった意識は薄い。その分、曲がそもそも持っている力が十分に引き出されている。
この作品には、表題的なものはつけられていないが、リストはゲーテの「ファウスト」についての交響曲を書いていて、「ロ短調ソナタ」は構成も内容もそれに近いものがある。交響曲「ファウスト」は交響曲と言いながら、3つの交響詩が連続するような内容。「ロ短調ソナタ」もメフィストフェレスの悪魔的なテーマと、それに対抗して、打ち勝とうとするファウストの相剋があり、そこへグレートヒェンの愛がさしはさまれる。「ロ短調ソナタ」はピアノで描いたファウスト劇のような性質もあるし、聴きようによっては十分にそうした内容に思える。
第1楽章・提示部「レント・アッサイ(十分遅く)」は、ベートーヴェンの中期から後期のピアノソナタのような、簡潔で重厚なものとして弾かれる。
第2楽章・緩徐楽章「カンタンド・エスプレッシボ(歌うように表情豊かに)」は夢見るように可憐。音色も柔らかく、ピアノの残響が美しく聞こえてくる。ここはメシアンなどの現代曲をレパートリーとするエマールならではの名演で、甘くなりすぎず、透明感がある。後半の速度が速まるところも、キビキビとした運動性で進める。
第3楽章・スケルツォ「アンダンテ・ソステヌート(歩くような速さで、音を十分に保つ」)。ここは経過部であり、静かに終わっていく。
第4楽章・フィナーレ「アレグロ・エネルジコ(速く・力強く)」は、主題が勇壮に再現されるし、その悲壮感漂う高揚からは、ファウストとグレートヒェンの愛の力も感じられる。エマールは、最後の静かな和音の余韻を、彼の絶妙なピアノコントロールで美しく響かせる。その後、断頭台から首が転げ落ちるような虚無の低音を無骨に鳴らして「ディスク1」は終了。
ディスク2では、晩年のリスト音楽の先に開かれたクラシック・ミュージックの世界が、ラヴェルやメシアンの曲で示される。このディスクもリストで始まりリストで終わる。まさに「リスト・プロジェクト」、その完成。
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