素直に喜べないやるせなさを抱えても
先日、ようやく内定先が決まった。
およそ3か月に渡っておこなってきた求職活動に、一つの終止符を打つことができた。これより来月から自分にとって、元の日常にして新しい日常を迎えられる。
振り返ればこうした間は、ある種で一つの旅のようなものだったと思う。時にはありのままの自分を表現し、時には感情そのものを押し殺したりと、自分の内に潜んだもう一人の自分と闘っているような感覚であった。
ほぼ毎日のように、自己の履歴書や職務経歴書に目を通しながら添削しつつ、何の効果も期待もない面接対策に、日夜手探りの中で励んできていた。
それらに打ち砕き、見事勝利を捥ぎ取ることができた。我ながら、まるで雄叫びを挙げるかのような喜びや達成感に、ほんの少しでも浸っていいくらいである。
しかし何故だろうか。私はこれをどうしても…素直に喜べないのだ。
私は現在30代でありながら、今回を含めて4度に渡って転職を繰り返してきた身である。平均すれば、3、4年毎に一回のペースでジョブチェンジしている。とはいえ、この回数は決して少ないとはまず言い切れない。
今現在の日本社会では、過去に転職してきた回数の他に、勤続年数を重視する姿勢が未だに根強いている。そう考えた時に自分のような人間は、あらかじめ形成された縮図から若干はみ出しているとも捉えられる。世間から見れば、はみ出し者だと揶揄されるなどと、淘汰されてもおかしくはない。
それに、無事に内定先が決まったにも関わらず、私は再び同じ過ちを繰り返すことになるかもしれないと、密かに危惧している。入社当初のように始めのうちは良かったとしても、次第に雲行きが怪しくなり、最終的には煙たがれるような存在と化してしまっていたからである。
これは、自分が専ら長所として掲げていた「真面目」が起因の一つかもしれない。仕事をこなす熱量や技術の前に『あの人は真面目だから…』という人柄をうまいこと利用されてしまったと思う。
…などと過ぎ去った事を今さら掘り返したところで、ただの推測でしかない。だが、人員不足の穴を埋めるための役回りをし続けたおかげで、自ら目標に掲げていたキャリアやスキル等を詰めず仕舞いとなったのは事実だ。
これまでの過去の事例を思い返せば、誰かの役に立ったという良い印象よりも、利己主義な人間によって振り回された悪い印象しか、ほとんど憶えていない。
長い年月をかけてようやく地に足を付き、仕事に専念できる環境や精神が整ったとしても、自分にとって思いがけない形で、社長ないし幹部の「鶴の一声」なるもので左遷させられてばかりであった。
そのたびに何度も苦しみ、泣き寝入りしたことだろう。挙句の果てには、こちらから反発の声を上げても「被害者気取りするな!」などと一蹴される始末にも見舞われることも、少なからず遭遇していた。
そうした脳裏が、現在進行形で過ったままである。どこにいても、不安は絶対に拭い切れないのは当然のことなのだが、人一倍ある意味で苦労を強いられてきた以上、そうした疑念がどうしても勘繰ってしまうのである。
無論、いつまでも後ろ向きではいられない。しかしながら、これまで自分が歩んできた経験上、全方位で前を向くことはできない。結局最後はいつも、報われることのない結果に打ちひしがれてばかりだったから。
そうならないように祈ると同時に、新天地でも自分を受け入れてくれるように適応していかなくてはならない。だが、人の心というものは、ほんの少しばかりで変えられるものではないことも、重々承知しているつもりである。
ただ今後もまた、自分の意図しないところで、再び災厄となる出来事が訪れることだろう。そのうえで今の自分に必要なのは、昔のように勢いで突っ走ることでなければ、変えられない現実に対して悲観するでもない。
どんな力にも屈しない、強き心を持ち続けることなのだと。
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