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終わりなき自問自答

もしかしたら…いや、もしかしてでもなく、今の自分の中に潜む一つの情熱が、いよいよ消えかかっているのかもしれない。


ここ数日の間で、長年に渡って自分の中で重荷となっていた苦しみから解放されてから、以前よりも身体中が軽く感じるような気がしていた。おおよその理由は、今月から社会復帰を果たしたことが一番なのかもしれない。

ただその一方でやはり…というか、どうにも言葉を描くためのイメージがだいぶ欠落しているように感じているのである。言葉を綴るためのアイデアなるものは、掘り起こせばいくらか出てくるはずなのに。

まるで着火するためのマッチを大量に用意したつもりが、肝心な側薬そくやくが湿っているおかげで、うまく火が点けられないような感覚だ。もしくは腕がなまりになまりすぎて、点火するタイミングを見誤ってるかのどちらなのだろう。



今からおよそ一ヶ月前には、これより先へ続けていこうと自分に言い聞かせるテイで、一つの警告なるものを綴っていた。そのはずなのに、何の対策も練ることもないまま、月日が流れてしまっていた。

勿論、いずれはこなし続けていくための、新天地での仕事を憶えることについて追われていることも一理含まれている。ただそうは云っておきながら、現在に至るまで期間は十分にあった。にも関わらず、何の脈絡もない自問自答を繰り返そうとしているのだ。

他の人から見れば、自分には一つの物事を学習するための能力が皆無だと捉えられても仕方がない。元からそうした意識は、どこかしらにあると言い聞かせていたはずだった。

だが、改めて一から見直さなければならない事態に、それも僅かな期間で振りかえざるを得ないことに直面してしまったと思うと、自分には「物を書くこと」について、どうにも苦手な風潮が渦巻いているとも考えてしまいがちである。


そうして自分の卑しい部分を蔑むも、追い込ませること中で一つだけ気づいた点がある。自分には、自分の内に秘めた辛さや苦しさといった負の感情がなくては、言葉を綴ることはできないと。

思い返せば、これまで自分の身の回りに起こった悲しい出来事を活力にして自らの言葉で綴り続けることによって、良くも悪くも今日こんにちまで覚束ない自分を生かし続けてきたと気づいたのだ。

だが、一つの苦難から解放された今、その代用となるものとして自分を奮い立たせるための活力が未だに見つかっていない状態である。これ以降は、自分自身が再び苦難に陥ることが訪れない限り、再三にわたって自問自答をおこなうばかりの日々へと陥ってしまうのだろう。

こうして言葉を文面にして綴っている間にも、余計な感情が入り混じっては慌ただしくも乱れを起こしているのも事実である。今置かれている状況下で自問自答を繰り返しつつも、情熱と冷静の間に挟まれながら、なんとかその場を繋げるための言葉を必死に探している最中である。

なおかつ、ここぞという時のために大量に用意しておいたマッチをすべて着火させるまでは、この先にどういった結末が訪れようが簡単には終わらせられない。形や表し方が何であれ、まだ自分には伝えようとしているものがあるのだから。



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タダノツカサ 最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!