想像の一歩先を追い求めて | エッセイ
去年の今ぐらいだったか、私はとあるマウスを購入した。
まだ職に就いておらず、重い腰を上げてハローワークに通い始めたばかりの頃の話である。私の手元にはまだ、いくらかの余裕と自由を許されていた。世間じゃ皆んな「ムショク」という人間を毛嫌う声々のみならず、太陽や月が真上にいる時間も平気で無視できていた。
「明日も仕事があるから早く寝なくちゃ…」という制約に縛られることもなければ、わざわざ健康的な生活ではなく自堕落な日々を送り続けても、一向に問題視することなど無かったワケである。
そんな中でも毎晩デスクの前に座り、あるいはソファに寝そべりながら私の執筆活動は続いていた。本来…というか側から見れば、これほど非生産性にして非効率な時間を費やすのは無意味ではないかと疑われても仕方がないぐらいだ。
そうした声が何処かから聞こえているかも分からないフリして、ひたすら創造する時間に身を置いていた。しかしながら、すべてが思った通りにいくわけがない。こうした文書なるものに行き着くまで、一台のマウスを握りながら何かが降りるのを待っていたこともあった。
PCの前で睨めっこするだけでは、何らかしらのイメージが浮かんでこない。キーボードをたたいても、うまいこと文字が具現化してこない。マウスを動かしてもカーソルが動くだけで何も起こらない…ん、マウス?
その時私は、とあるマウスのことを唐突に思い出したのである。まるで弓形月を描いた白くて形の美しく整ったマウスを。
時々、某家電量販店で目にしていた頃から気にはしていた。そしてそれを握ったり動かしたりあるいは押したりと、そのマウスの感触を図っていた。デザイン性が高いが故に、効率性を求める身からすれば相性はいまひとつ良くなかった。
いったい全体、どこに左クリックや右クリックの定位置なるボタンが配置されているのか。どうすれば上下にスクロールできるのかなどと。最終的に自らの手で確かめなければならない、という部分においては有る種の作業を行う上では向いていない。
だが、そういったウィークポイントを逆手に取れば、今の自分が想像したいものや外の世界に産み落としたいものがさらに浮かんでくるのではないか。そう容易な考えに行き着いたのである。
何より動かす、押すという動作に加え、指でなぞるというアクションは、他のマウスでは到底実現できない。一般のノートPCに装備されているトラックパッドも、一応は指でなぞってカーソルを動かすものである。だが、それはそれでまた別のカテゴリーなる問題に当てはまる。
それよりもその時の私は、わずかな空間の中であるいは限られた道具を用いて想像するよりも、一歩先にある何かを追い求めることに執着していた。
そうして本能の赴くがままに手にした、下部分に今や必ず目にするリンゴマークがプリントされている他に、その名の通り「マジック」と冠のついたマウスは、一年経過した今も私のデスクの右下に置かれている。
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