独立を目指す | 日記
昔から、人に振り回されることが嫌いだった。
そう思い始めたきっかけは一つに限らず、いくらでもあった。
特に学生の頃は、誰か一人でも校則や何らかの規律に違反するような事を起こせば、連帯責任といった理不尽な罰ゲームとやらに巻き込まれる始末だった。
真面目に取り組んでいたつもりでも、たった一人もしくは複数人が起こした所業のために、クラスもしくは一学年という枠内に収められた全員が同じ罰を背負わされる。
ある人は、自分の犯した罪の重大さを知りもせず、本来償いしなければいけないにも関わらず、他人に押し付けては尻拭いをさせようとする。
それは学生のうちに限らず、社会人として生きる上で今日も、自分のしでかしたことを認めず、自分より立場の弱い人間に押し付けてあっけらかんとするような、傲慢にして怠惰とも云うべき人間が少なからずいる。
それが堪らなく嫌で仕方がない。今も現在進行形で、この現代社会にそうした人物が蔓延っている。そしてその輩が自分の身の回りにおり、一刻も早くそばから離れたいと願うばかりだ。
ちなみに私の場合、自分で云うのも少々説得力が欠けるかもしれないが、これといって人望が厚い人間だとは思っていない。むしろ、普通の人よりも希薄な方だと考えている。
特に実家から東京に移り住んでからは、仕事仲間以外で人と関わる機会は全くと云っても良いくらい無い。当然ながら、休日のプライベートは時々外出することはあっても、ほとんど独りで過ごしてばかりだ。
この地にいれば、多少はなりとも一人か二人くらいは、何かの縁で時間を共有することがあるかもしれない。という淡い期待を寄せていたが、実際に現在に至るまで生きていれば、自分の周りには誰もいないという現実が待ち構えていた。
ただ私は元から、独りでいることに苦を感じることが、ほとんどなかった。そのせいだろうか、他人と共に大きな目標を掲げては、やがて達成した時の喜びよりも、散らばったパズルのピースを当てはめるように、一人で黙々と物事を進める事案が多かった。
無論、成功を掴み取ったしても、すぐ近くに褒め称えてくれるような存在はおらず、目標を達成してもしばらく反省することが多かった。この決断をしたことで、良い方向に果たして進むことができたのだろうかと。
自分以外、誰も立ち入ることのない部屋でただ悶々としながらも、次に自分自身が進めるべき盤に備えて駒を準備しなければいけない。その場で余韻に浸ることはあっても、長い時間をかける猶予は許さなかった。
気を緩めてしまえば、捻った分だけどこかで帳消しになってしまうかもしれない、あるいはそれ以上の負債を抱えてしまうからと、そう悟ったからである。
本題に入る前に、改めてなんのはなしをしたかったのか、一度整理しなければいけない。
今の私がいる立ち位置は、非常に芳しくない状況だ。もちろん、昨今の不安定な情勢からさらに悪化している今日の事態に、一抹の不安を感じているのもある。
世間が物価高騰やステルス増税に敏感になりながらも、肝心なコトに興味を示そうとしなかった事案には、正直心の底から目も当てられない。
そうは思いつつも、他人の事情ばかり気にしている場合ではない。昨年に私は、自身が勤めている職場に居続けることができないという判断ができたにも関わらず、次の新天地に身を移すことができないまま、未だに留まっている状態である。
さらに現在の日本社会において、人手不足が騒がれている状態を問わず、年々転職におけるハードルがさらに高くなりつつある中で、次の職場を探そうにも今よりもさらに良い縁に巡り逢えるとは思えないのである。
だからといって、いつまでも留まっていては道を切り開けなくなるどころか、道を切り開く力すら失いかねない。此処での執筆活動は細々と続けながらも、表での仕事はすでに、心折れる事案が重なりすぎて意気消沈し切っていた。
このまま長いこと居ては、後先の未来が消滅してしまうと感じながらも、次目指す場所に到達できない己の無力さに幻滅し、途方に暮れるばかりである。
社会人になってから15年以上経過して、一つだけ分かったことがあるとするならば、私のような存在は今後も社会人として生き続けるなら、他人のためにも、なおかつ自分のためにもならないということだ。
誰かの役に立ちたい、会社に大きく貢献したい。嘗て、人として生まれたのなら誰しもが持つであろう願望を持った一人の青年は、いずれ様々な壁にぶち当たっては致命傷を負ってしまった。
いつしか時に心が悲鳴を上げ、骨まで折れてしまうような絶望を味わい、時に自分の力の無さを嘆き、独り悲しみに暮れた。
それでも立ち上がらなければならないと、自分に云い聞かせるようにして這い上がり、なんとしてでも必死にしがみ付こうとしてきた。信じれば救われる、真面目に取り組めば報われる、と。
それらが、今の世の中には一切通じないと知ったのはいつからだろう。期待だけを寄せて、自ら変わろうとしなかったのは誰だろう。
他人のために生きようとしても、結局のところ自分のためには一つもならない。自分がしんどい、苦しいと溺れているような状態に、他人の役に立てるわけなどない。
まして、自分を一つも認めようとしない、評価しようとしない他人のために、自らの心身を犠牲にする必要なんてない。仮に犠牲にしたところで、見返りなんて期待しない方が良いくらい、皆無に等しいのだ。
自ら望んでこの世界に入り込んだはずが、今となっては居心地の悪さと居た堪れなさを感じ続ける日々が再び続く始末に、私は一つの諦めを覚えてしまった。
もしかしたら、私のような一種の捻くれを抱え持った人間にとっては、やはりこの地に長くいることは向いていないのかもしれないと。
けれど、それはそれで気づくことができて良かったと思う。このまま自覚もなく潰れてしまっては、この世を生き抜く上で大きな足枷になってしまうからだ。
自分はこの世界には不向きな存在だ。そう思いながら過ごし続けてきて、また一つ気づきを持つことができた。この気づきを大事に、今後自分が歩くべき道を定める時がまた訪れたのである。
さて、あの時上げたはずの体勢をほったらかしにしたままですっかり下がってしまった重い腰を、今一度上げなければならない。今度は不時着をしてでも、追い求めた理想に一歩でも近づけられるのなら、いくらでも失敗してやろうと思う。
いずれ私は今の職場を去り、たった一人でも生きていける術を見つけ出す。どれだけ時間をかけてでも、これから自分の移す行動がどれだけの矛盾を生じてでも、自分が自分でい続けることを目指す。自ら望んだ野望を掴み取るために。
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