対岸の火事と高を括っている場合ではない | 日記
8月某日。
その日の夕方、私は都内某所を訪れていた。
とあるSNS上で一イベントを行う情報を予め入手し、そこで繰り広げられるであろう勇姿を、この目で確かめるべく向かったのである。
その会場となる最寄りの駅を降り、真っ先に会場なる場所へと目指して歩く。時刻はとうに、予定されている開始時間を過ぎていた。
周辺に人の姿はあまり見かけず、ただただ立派なビルを中心とした建造物が建ち並ぶ。果たして本当にその催しは行われているのか。
だんだん目的地に近づこうとしている中で、少々疑問に思ってしまった。これでもし、閑古鳥が鳴いている場面を目視してしまったのなら、もはや未来など無くお先真っ暗は回避できないだろう。
スマホの地図アプリを確認しながら、やがてその場所に辿り着くと、目的地とは間反対の場所で人々が固まっている姿を見かけることができた。
それと同時に、多くの警察の方々が交通誘導なり監視なりで、まばらになって集まっている姿も見受けられた。
この時の気温は35度以上という、真夏の蒸し暑さを通り越した数値を叩き出している。にも関わらず周辺では、自らの眼で確認できる範囲で、のべ一千人以上もの列を成していたと思う。
到着するまでの間、抱えていた自分の憂いとは裏腹に、すでに火蓋を切られている状態であった。それを証拠に会場を囲んでいる行列からは、まるで堪忍袋の尾が切れたかの如く、とあるシュプレヒコールが挙げられていた。
中にはこの日のために、およそ500km以上と遠路はるばるやってきた方も混じっていることだろう。それほどまでに此処にいる人たちの感情は、どうしようもなく昂っている様子を窺えた。
ある人物に対して感情をあらわにし続ける怒号、自分たちの救難信号を必死に唱える悲鳴。この短時間でこの場所では、様々にして統一された声々が錯乱している。
彼ら彼女らが叫んでいる台詞の中身は云うまでもない。今となっては異常にして、一昔前ではあるまじき情勢の中で、これ以上どんな要求を示そうというのだろうか。
数十年以上にもわたって私腹を肥やし続けてきた怠惰共に対し、愛すべき民の未来を案じることなく蔑ろにしてきたツケが、とうとうこの場で回ってきたのだ。
そしてようやく、自分たちの築き上げてきた世界そのものが、何の秩序もなく破壊されようとしている事態に気付けたのだ。
だがそれでも、かつてない未曾有の危機が迫っている事に気づかないまま、脇目も振らずに暮らしている人々も多く居るのも事実である。
取り返しのつかない事になってしまったからでは遅い。それほどまでに今の私たちは、この大きな局面を打開しなければならない、という瀬戸際に立たされている。
一刻の猶予もなければ、他人事として事を構えている場合ではない。多くの民が目の前に迫り来る危機に気づき、それと対峙しなければ、理想を掲げていた暮らしは未来永劫閉ざされることになるだろう。
遠く離れた場所から見守っていた私は、少なくともそうした感情をこの目で確かめることができたと思う。
だがその一方で、標的とされていた当の本人はその場に居合わせていなかったと、翌日の報道で明らかにされていたらしい…。
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