見出し画像

再び、落とし物を拾った日 | 日記

先日、私は”またしても”落とし物を拾ってしまった。



本来ならば、落とし物そのものについて、そう易々と目にするものではない。というのが、ごく普通に生きる過程では、一般的として共通の認識なのかもしれない。

しかしながらどういう因果なのか、人一倍非日常を謳歌(?)している私にとって、割と高い確率で落とし物を目にすることが多い。それもこの1、2年の間で、自宅から最寄りの駅に向かうまでの通り道で見かけてばかりであった。

そのたびに、駅近くにある交番に出向いては、常駐している警察官に落とし物を預かってもらっている。一つの落とし物を、自らの目でとらえてしまった以上、このまま見て見ぬフリをするわけにはいかなかったのだ。


ちなみに、私が初めて交番に落とし物を届け出た日は、警察官から手渡しされたペンと予め必要事項を記入するための専用の用紙に、落とし物を拾った物や日時に場所などといった、一通りの情報を書かなければならない手続きがあった。

ここまでの流れについては、別に苦として感じてはいなかった。ただ個人的に問題があるとするなら、警察官から必ず「お礼は必要ですか?」などと尋ねられることである。

私はその質問について、辞退する旨を申し入れていた。そもそも謝礼をいただくような見返りを求めるために、自ら落とし物を拾って届けているのではないからだ。


それよりも、私は落とし物が自分の視界に映った時点で、どこか懸念を抱いていた。もしここで拾わなければ、大事なものを落としてしまった本人と、その落とし物を見つけた自分以外で、悪巧みをするような邪な感情を持った人間の手に渡ってしまうということに。

そうすれば確実に不幸を被る事になってしまうのは、紛れもなく落としてしまった本人であることに違いはない。無論、自分の不注意で落としてしまうことにもやや問題はあるかもしれないが…。

だからといって、一方的にその人を責め立てる道理にはならない。誰しも常に完璧に事を成せないからこそ、何らかしらの形で手助けは必要だ。


そして最終的には、持ち物を落としてしまった本人の手元へ、何事もなく無事に戻ってくることができたらそれでいい。これにおいて誰かしらから薄情だと捉えられてもおかしくはないが、一連の責務を果たせば他にすべきことは何もない。

なによりこれ以上、自分に必要のないものを受け取るのは、実に困ってしまうほどに贅沢だ。感謝の言葉や御礼なるものを受け取ることは、ただ己の意思に従って成すべきことを果たしただけの自分には似合わない。


とはいったものの、何度も同じような場所で異なった落とし物を目にしては、交番に届け続けるという一連の行動について、正直なところ頭を悩ますものでもある。

少しでも持ち物を紛失してしまわないよう、本人たちには気をつけてほしいと願うばかりである。だがそれもそれでまた、今の立ち位置という現実から自分の追い求める理想までは、やはり程遠い道のりなのかもしれない。



この日、近所のスーパーから帰る途中だった私は、たまたま・・・・拾った落とし物を交番に届け出た。そして常駐していた警察官に、謝礼も要らない旨を含めた一通りの事情を説明した後、何事もなかったかのように帰路を辿っていった。

今回もこれでいい…これでいいんだと、そう云い聞かせながら。



いいなと思ったら応援しよう!

タダノツカサ 最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!

この記事が参加している募集