後悔なんか追い越して行け | 雑記
あの時、今に繋がる選択肢とは別の道を歩んでいたら、自分は一体どうなっていただろうか……。
自分自身が今日を生きる人間であれば、いつしか所謂「たられば」に思考を支配されてしまう時期は、何の前触れもなく突然訪れることだろう。
「学生の頃にちゃんと勉強していたら…」とか「大事な人をちゃんと愛することができたら…」だとか「あの時、甘い誘惑に手を出さなければ…」など、後悔について一つずつ考え出したらキリがないくらいに。
この頃の私はこれまでの、過去のしがらみについて考えることは無くなった。
今更振り返ったところで、所詮過去は過去でしかない。ゆえに、その亡霊なるものに取り憑かれていなければ、この先も真っ直ぐに生きていけないなど無い。そう確信したからである。
仮に掘り深く追求したところで、何か一つでも巻き戻せる筈がないのだ。仮に取り戻すことができたとしても、それ相応の……それ以上の「覚悟」という対価を、自ら培った魂の一部を犠牲にしてまで支払う必要があると。
本来、この世で普通という看板を背負って生きていくならば、自らの足でわざわざ踏み入れなくても良い事情が溢れている。人の後ろを捉えてしっかりと歩いていれば、それなりの幸福は手に入れることが出来た筈であろう。
にも関わらず「非日常こそが我が人生」…だなんて大それた謳い文句みたいな貧乏くじを掲げながら、身をもって遭遇してきた自分としては、心の底からこれで良かったと思えるワケではない。
まるで、地雷の如くあちらこちらに散らばっている出来事に、誰がスキ好んで経験したがるものか。願わくば一個も、それも誤って踏んで爆散してしまうことなく、華麗に避けて進みたかったものである。
今も今で、私を取り巻く環境の中には、一歩でも立ち入ったら木っ端微塵と化してしまう。そうした地雷なるものが、きっとどこかに埋め込まれているに違いないと、謎の確信を持っている。
もしも誤った選択を自ら取ってしまった日には、これまでまともではなかった人間が、これからもまともに生きていられるかも怪しい、ということも同時にうちに秘めている。
だが結局のところ、決断を下して邪の道へと踏み込んだのは、紛れもなく自分自身なのだ。いつか後悔を背負う事態に陥るにせよ、断じて避けては通れないような場所へと、自ら駒を置いていることを自覚しなければならない。
思い通りにならない人生の最中を生きているからこそ、後悔を忘れたり思い出せないことは、この先もきっとできやしない。
それでも「後悔なんか追い越して行け…」というフレーズを突如思い浮かべたのは、ただただ後悔に苛まれることよりも、まだ何処かに希望なるものが落ちているかもしれないと、また一つ気づいたからだ。
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