見出し画像

故郷の味から始まる、味覚の昔ばなし

何気なく口にしてきた味の向こうに、
こんなにも時代が詰まっていたなんて、思いもしなかった。


餅の食べ方って、地域によって全然違うよね。
きな粉の色ひとつ取っても、そう。

今日は、娘の家で餅つきをしながら、そんな話をしていた。
今回は故郷から取り寄せた
「くるみだれ」「(黒)ごまだれ」「(青大豆の)黄な粉」。

久しぶりに食べたその味は、懐かしいというより、
「ああ、これこれ!」と、
思わず声が出てしまうほど、体が覚えている感覚だった。

話は餅から、
よく食べていた海産物や、母の味の話へと広がっていく。
すっとぎ、甘いお赤飯。
みやごのこびり(宮古のおやつ)は、
思い返せば、全部甘かった。

娘が、ふと聞いた。

「ねぇ、なんで宮古のおやつは全部甘いの?
野菜は、何食べてたの?」

冬といえば冬瓜。
母がよく作っていたのは、なますや菊の花びらの酢の物、
ワラビの炒め煮、煮物……。

あれ?
ちょっとまって!?

サラダって……
食べた記憶が、

……ないんじゃない?

そう。
煮るか、漬けるか、炒めるか。

今は野菜といえばサラダが真っ先に浮かぶけれど、
生で食べた記憶が……ないかもしれない。
外食でサラダを食べる、という世界もなかった。

そもそも洋食屋がほとんどなく、
マクドナルドが故郷に来たのも、ごく近年のこと。
給食も、関東で育った同世代の人たちから聞く話とは、
ずいぶん違っていた。

大人になってからその話を聞いて、
「え、そんなのが給食に出てたの?」と驚いたこともある。
給食の代名詞のような「揚げパン」すら、知らなかったのだ。

娘との会話をきっかけにサラダの歴史を調べてみると、
私が生まれた頃はまだ、
野菜を安心して生で食べられる環境が
整いきっていなかった時代だったという。

「サラダがなかった」のではなく、
栄養の取り方そのものが、今とは違っていたらしい。

こうなると、今度はマヨネーズが気になってくる。
あれ、うちにあったっけ?

あったのかもしれない。
でも、いつもそこにあった記憶はない。

パスタといえばナポリタンとミートソース。
チーズといえばプロセスチーズ。

初めてモロゾフのチーズケーキを食べたとき、
正直、頭がバグった。

プロセスチーズやパルメザンチーズを
ケーキの素材にする?
(それ以外のチーズの存在を、知る由もなく……)

面白いことに、
この「味覚のバグ」は、世代を越えて起きている。

娘は、故郷の甘いお赤飯を食べてバグり、
私は、上京して甘くない赤飯を食べてバグった。

上京したての頃、
スーパーで買うイカの刺身を、
毎回「腐ってる!」と思って捨てていた。
ウニは、あまりの違いに吐き出してしまった。

いま思えば、
腐っていたわけでも、まずかったわけでもない。
ただ、味が違っていただけのこと。

海水の違い、流通、鮮度、処理の仕方。
同じ名前でも、別の食べ物だったのだ。

それが今では、
地域に関係なく、何でも食べられる。
野菜の味も変わり、
苦味やアクは抑えられ、ずいぶん食べやすくなった。

餅の話から始まって、
気づけば、半世紀の食卓を振り返っていた。

たった半世紀。
でも、食べ物の景色は、すっかり変わった。

こうして思い出してみると、
食卓は、いちばん身近な記憶の置き場所で、
同時に、時代を映す鏡なのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!