故郷の味から始まる、味覚の昔ばなし
何気なく口にしてきた味の向こうに、
こんなにも時代が詰まっていたなんて、思いもしなかった。
餅の食べ方って、地域によって全然違うよね。
きな粉の色ひとつ取っても、そう。
今日は、娘の家で餅つきをしながら、そんな話をしていた。
今回は故郷から取り寄せた
「くるみだれ」「(黒)ごまだれ」「(青大豆の)黄な粉」。
久しぶりに食べたその味は、懐かしいというより、
「ああ、これこれ!」と、
思わず声が出てしまうほど、体が覚えている感覚だった。
話は餅から、
よく食べていた海産物や、母の味の話へと広がっていく。
すっとぎ、甘いお赤飯。
みやごのこびり(宮古のおやつ)は、
思い返せば、全部甘かった。
娘が、ふと聞いた。
「ねぇ、なんで宮古のおやつは全部甘いの?
野菜は、何食べてたの?」
*
冬といえば冬瓜。
母がよく作っていたのは、なますや菊の花びらの酢の物、
ワラビの炒め煮、煮物……。
あれ?
ちょっとまって!?
サラダって……
食べた記憶が、
……ないんじゃない?
そう。
煮るか、漬けるか、炒めるか。
今は野菜といえばサラダが真っ先に浮かぶけれど、
生で食べた記憶が……ないかもしれない。
外食でサラダを食べる、という世界もなかった。
そもそも洋食屋がほとんどなく、
マクドナルドが故郷に来たのも、ごく近年のこと。
給食も、関東で育った同世代の人たちから聞く話とは、
ずいぶん違っていた。
大人になってからその話を聞いて、
「え、そんなのが給食に出てたの?」と驚いたこともある。
給食の代名詞のような「揚げパン」すら、知らなかったのだ。
娘との会話をきっかけにサラダの歴史を調べてみると、
私が生まれた頃はまだ、
野菜を安心して生で食べられる環境が
整いきっていなかった時代だったという。
「サラダがなかった」のではなく、
栄養の取り方そのものが、今とは違っていたらしい。
*
こうなると、今度はマヨネーズが気になってくる。
あれ、うちにあったっけ?
あったのかもしれない。
でも、いつもそこにあった記憶はない。
パスタといえばナポリタンとミートソース。
チーズといえばプロセスチーズ。
初めてモロゾフのチーズケーキを食べたとき、
正直、頭がバグった。
プロセスチーズやパルメザンチーズを
ケーキの素材にする?
(それ以外のチーズの存在を、知る由もなく……)
*
面白いことに、
この「味覚のバグ」は、世代を越えて起きている。
娘は、故郷の甘いお赤飯を食べてバグり、
私は、上京して甘くない赤飯を食べてバグった。
上京したての頃、
スーパーで買うイカの刺身を、
毎回「腐ってる!」と思って捨てていた。
ウニは、あまりの違いに吐き出してしまった。
いま思えば、
腐っていたわけでも、まずかったわけでもない。
ただ、味が違っていただけのこと。
海水の違い、流通、鮮度、処理の仕方。
同じ名前でも、別の食べ物だったのだ。
それが今では、
地域に関係なく、何でも食べられる。
野菜の味も変わり、
苦味やアクは抑えられ、ずいぶん食べやすくなった。
餅の話から始まって、
気づけば、半世紀の食卓を振り返っていた。
たった半世紀。
でも、食べ物の景色は、すっかり変わった。
こうして思い出してみると、
食卓は、いちばん身近な記憶の置き場所で、
同時に、時代を映す鏡なのかもしれない。
