大学院生活でのメンターの必要性。
私には、メンターが3人いた。
具体的に研究のイロハを教えてもらったわけではない。
心の師。
……勝手に任命。
なので、本人たちは聞いたら驚くかもしれない。
修士の日々は、教授の一言に心削られた。
何しろ、右も左も分からなくて、一番頼りたい相手にダメ出しの嵐を受けるわけなので、より一層傷が深い。
そんな時に、メンターは活躍してくれた。
……私の中で。
1人目は、他大学院を修了した同僚Dさん。
教授の指摘について、憤懣やる方ない時には、Dさんを捕まえる。
聞いてくださいよ!
で、始まる私の訴えに、Dさんは苦笑しながら告げる。
「教授あるある」
「そんなものだって」
「先生の好みだからね」
「言われた通りにやるしかないよね」
経験者の語りほど、腑に落ちるものはない。
「あー、そうなのかー」
私はため息をついて、教授の言い分を飲み込む。
Dさんには、2年間、大変お世話になった。
2人目は、職場に時折来てくれる他大学の教授Cさん。
同僚に話しても消化しきれない時に、すがりつく。
「それは教授あるあるだね」
「教授もお忙しいからね」
Cさんの言う「教授」は、Cさんの通った大学院の先生たちを指している。
だけど、教授が告げる「教授あるある」の威力よ。
納得するしかない。
※Cさんはいつも仕事の相談にのってくれるとても優しい人です。
そして3人目は、研究室の博士課程の先輩Eさん。
Eさんの言葉が、私の大学院生活の支柱だった。
初めてのゼミの時の話だ。
教授の洗礼を受け、私は虚無の心を知った。
休憩時間、
「直すところがいっぱい出てきますね」
と、肩を落としたところ、Eさんは言った。
「大丈夫。修論は12月に書き始めても間に合うから」
「本当ですか!?」
私の声は、興奮で高くなった。
修論の締め切りは、12月中旬。
「12月に書き始めても間に合う」は、院生活で私の心に余裕を与え続けた。
だって、12月に書き始めても間に合うから。
他大学の修士修了者には、それはギリギリ過ぎでしょう、と同意は得られなかった。
だけど、目の前に、それをやってのけたモデルが実在するという事実が、何よりも、私の心の安寧に役立った。
ただ、修論終わった今は、12月に書き始めて締め切りに間に合わせたEさんに、尊敬しかない。
ちなみに、研究室の教授には「来年出したら」と言われたらしい。
それを振り切って提出に動いたEさんに、やっぱり尊敬しかない。
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