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小説『転生なんかクソくらえ』 第1話 羽虫の呪縛

 死ぬのにはもう飽きた。

 今回の首吊りは今までやってきた中では一番楽に死ねたと思う。前回の練炭自殺は頭が割れるような頭痛とこみ上げる吐き気に始まり、次に体の痙攣が起こって、それからやっと意識がなくなったので酷く苦しかったし、さらにその前の飛び降り自殺では、地面激突の直前に木に引っかかって姿勢を崩し、足の方から地面に落ちてしてしまったため、暫く意識を保ったまま激痛に悶えていた。だから今回のような苦しさの少ない自殺は久しぶりと言えるかもしれなかった。

 ではなぜこういった反省ができるのかというと、それはここに一つの奇怪な事実があるために外ならない。それは、死ぬのはいつも〝体〟の方で、〝私〟は死ねないという事実だ。

 もし〝私〟に起きていることを端的に表現する言葉があるとするなら、それは主に若い世代によってもてはやされ、祭り上げられ、擦られたおしている転生という言葉がもっともしっくりくる気がする。なんなら、転生という言葉の起源が宗教的死生観の輪廻転生であることを考えれば、むしろ〝私〟に起きている現象こそ本来の転生の意味に近いのではないかとすら思う。つまり、ファンタジーな別世界に行くわけではないのだ。

 そして〝私〟はこの転生のために、死んだ後はいつも知らない天井を見ることになる。いや、この表現も正しいとは言えない。記憶にある知らない天井を見ることになる、というのが最も適した表現になるだろうか。

 その天井がどこの建物のどの部屋のものなのかは即座に理解できる。ただしそれは〝私〟の理解ではなくて、この〝体〟の理解――つまり脳の作用に過ぎないというわけだ。

 しかし幾度となくそんな経験をしていると、知らない天井の正体を探るよりも先に呆れと失望がやってくるらしい。ベッドの掛布団から出した左手の前腕で目を覆いつつ、〝私〟は「なんでなの?」という言葉を発しようとした。

「なんでけ……?」

 地方っぽいなまりのある言葉が〝体〟から発せられる。どうやらこの〝体〟は田舎の出らしく、中学の時に親の転勤で都市部に引っ越してきたため、意識しないと自然となまりのある言葉遣いが出てしまうようだった。

 ひとまず〝私〟はいつものようにこの〝体〟の名前が五十沢幽いさざわかすかであることを確認する。しかし名前に意識を向けた途端、この〝体〟の置かれている境遇が同時に想起され、思わず胸が締め付けられた。

「またそういう〝体〟か……」

 窓の外に校庭が見える。夕暮れの中、野球部員たちが威勢のいい声を張り上げながらその剛腕を振るっており、断続的に金属バッドが響かせる鋭い音が空に向かって溶けていた。

 あぁ、もう夏至なんだ、と思う。ポケットから出したスマホの画面はデフォルトの壁紙の上に18:45の白文字を刻んでいた。

 そろそろ帰らなければいけない時間だな、と考えて気分が沈む。この〝体〟の持つ事情の全てを把握してしまった〝私〟がここにいたいと叫んでいる。

「五十沢さん、開けるわね」

 カーテンが開き、そこから白衣を纏った先生が顔をのぞかせた。

「そろそろ帰らないといけない時間だけど……大丈夫?」

 この「大丈夫?」は体調のことを尋ねているわけではない。それは〝私〟が耳にたこができるほど聞いてきた言葉だった。もっとも、それを聞いてきた〝体〟がこれまでとは違うので、この〝体〟の耳にたこができるわけもないのだけれど。

「大丈夫です」

 虚ろな言葉を返した私は重力に抗って重い体を起こし、ベッドから出て靴を履くと、脇においてあった手持ちカバンとジャージの入った袋を掴んで保健室の出口へと向かった。

「五十沢さん」

 出口の取手に手をかけた私を先生がひきとめる。

「もし何か事情があるなら……ちゃんと相談してくれないかしら?」

 先生はどぎまぎとしながらもどこか切迫したような面持ちでそんなことを口にした。二人の間にしばしの沈黙が流れる。しかし、結果は最初から決まっていた。

「大丈夫です」

 〝私〟はまた嘘をついて、保健室をあとにした。



 十九時を回り、太陽が地平線の向こうからかすみ雲のかかった空をオレンジ色に染め上げるなか、私は徒歩で片道一時間かかる道のりをその倍の時間をかけるくらいの歩幅で進んでいた。

 長い道のりではあるが、バスを使うという選択肢は存在しない。もしバスに乗ることに数百円を費やそうものなら、帰った時に何を言われるかわかったものではないし、だいたいそうまでして早く家に帰ろうなど、とても考えられることではなかった。

 ノスタルジックな時間はあっという間に過ぎ去り、暗くなっていく道を街灯が照らしだしていた。私はいつもの公園に立ち寄ると、トイレの中で制服からジャージへと着替え、それから公園の中央にある小さな噴水型の水道で乾いた唇と喉を潤すと、四阿の椅子に腰を下ろした。

 これら一連の動作がこの〝体〟に染み付いたルーティーンだった。いつもと同じ行動をとることを選択したのは〝私〟だけれど、特に逆らう理由があるわけでもなかった。

 おもむろにスマホを取り出し、〝体〟が覚えきった動作でパスコードを解除する。カメラアプリを起動させ、自撮りモードで自分の顔を映してみた。セミロングの茶髪がかった地毛に整った輪郭と高めの鼻梁。これまでの〝体〟の中では一番容姿に恵まれていた。

「美人じゃない。目が死んでなければ、だけど」

 ある種の嫉妬を感じたのか、その言葉には少しだけ吐き捨てるような響きが伴った。自撮り用のライトが眩しいので、この〝体〟の顔を確認するという目的を終えた私はすぐにカメラアプリを閉じる。

 ふと視線を上げると、公園の外灯の周りに羽虫が集まっているのが見えた。〝私〟は虫を苦手としていたが、この〝体〟はそこまで抵抗を感じないらしく、強い拒否反応を示すことはなかった。どうやらこの〝体〟の置かれている環境がそういうことに対して無頓着にさせてしまった節があるらしい。

 その虫集る外灯をぼんやりと眺めながら、私は虫が光に集まるのは背光反射という特性を持っているためだという話を思い出していた。

 虫たちは光を好んで集まっているわけではない。ただ、光に背を向けて飛ぶように設計されているため、たまたま光の近くを通るとその光に背を向け続けることになり、結果的にずっとそこに捕らわれてしまうらしい。つまり、予め自らに定められた運命から逃れられないのだ。

「どうして、死ねないの……?」

 俯いた私の頬を絶望感が撫でるように伝って落ち、手の甲に嘲笑うかのような小さな衝撃を与える。微かな咽びが、夜の闇に飲まれていった。

 アニメや漫画、ライトノベルなどで散見される「転生すればやりなおせる」という考え方が大嫌いだ。反吐が出る。転生したって〝私〟は〝私〟だ。弱くて惨めな、何のとりえもない〝私〟だ。本質が何も変わっていないのに、どうして側さえ変われば何かが変わるなんてことが考えられるんだろう。〝私〟には新しい〝体〟の置かれている状況を打破する能力も、気力も、胆力も、全てが欠けている。

 もう疲れてしまった。どんな死に方を試しても結果は何も変わらない。もう何もしたくない。消えてしまいたい。ただそれだけが切実な〝私〟の願いだというのに。

「おーい。かすかー!」

 公園の入口の方から誰かが私を呼ぶ声がした。はっとした私は急いで目元を拭い、彼が誰であるかに見当をつける。

「あ、いたいた。まーた公園で道草くってんのかよお前」

 彼の名は久々利新星くくりしんせい。どうやらこの〝体〟の幼馴染のようだ。

「あんたには関係ないでしょ」

 〝私〟と〝体〟が呼応して素っ気ない返答がはじき出される。

「幼馴染に対して酷い物言いだなぁ」

 彼はそう言いながらも嫌な顔一つ見せず、それどころか遠慮なく私の横に腰かけてきたので、びっくりした〝私〟は思わず距離をとろうとして腰を浮かした。

「ん? どした?」
「え、いや……」

 〝私〟にとって初めての幼馴染という距離感に困惑する。それと同時にこの場を取り繕わねばという焦慮が、この〝体〟にとって妥当な返答のうち、もっとも手近なものに〝私〟を飛びつかせた。

「私……臭い、から……」

 慌てて選んだ言葉だったが、その言葉は完全に尻すぼみになってしまった。凄惨な家庭環境について想起させられたのもその理由の一つだが、それよりも花の女子高生が自身のことをそう評するのがたまらなく嫌だった。

「臭い?」

 彼はまるでピンとこないといったように首を傾げ、それから何かが爆発したみたいに大笑いした。

「なんだよお前、そんなこと気にしてたのかよ! それなら部活で汗かきまくった今の俺の方がよっぽど臭いぜ! 運動部舐めんなよ? 今なら加齢臭プンプンのおっさんにも負ける気がしねぇな!」

 彼はそう言ってひとしきり笑ったあと、私がもともと座っていた位置をポンポンと叩いて私に座るように促した。私は若干の躊躇いを残しつつも、彼の隣に再び腰を落ち着かせる。彼はそんな私を見て満足そうに微笑むと、リュックから小さな紙箱を取り出して、それを私の方へと差し出した。

「ほら、てぇだしてみ」

 私が手を伸ばすと、彼は箱を振ってその中から包装紙に包まれた小さな四角を私の手のひらの上に落とした。

「お前、キャラメル好きだったろ?」
「いつの話よ」
「嫌いになったのか?」
「そうじゃないけど……」

 私はその先を言えずに口ごもる。そしてそれを誤魔化すかのように、貰ったキャラメルの包装紙を剥いてそれを口に入れた。

「どうだ?」
「おいしいんじゃない?」

 彼が感想を求めてきたので、私は適当な言葉を返した。

「だろ? 駅前の土産屋に売ってるこれ、めっちゃうまいんだよ」

 キャラメルを舐める私を見て自身の口も寂しくなってきたのか、彼は箱からもう一つキャラメルを取り出すと、包装紙を剥いてそれを口に放り込んだ。「うわ、うめー」と呟く彼の横顔が、少しだけ呆けて見える。

 クチャクチャと音を立てながら豪快に味わう彼とは対照的に、私はそれを舌の上でゆっくり溶かしていった。もしかしたら何かの間違いが起こるかもしれないと淡い期待を抱いていたのかもしれない。しかし結局私は最後までそれが本来持つはずの甘さを感じることができなかった。

 彼が私の隣で他愛も無い話を披露し、私はそれに適当に相槌を打ちながら夜空の星辰をぼうっと眺めた。周囲に明かりの少ないこの公園から見る夜空は、まだ日が短い時期に学校から見たそれよりも星屑の煌めきがはっきりしている。その違いがわかるのもこの〝体〟が普通の高校生とは違い、そういうものを眺めるのに時間を費やさざるを得なかった結果として、その記憶が〝体〟に刻まれているからだった。一方で、あまりにもあえかなその輝きを時折なんとなく吹き消したくなってしまったのは、きっと〝私〟に由来する気持ちだったに違いない。

「もう二十時もまわったし、そろそろ行かないと、だな」

 夜空へと昇りかけていた私の意識が、彼の言葉で突如として現実へと引き戻された。私の顔は一気に苦悩の表情へと塗り変えられてしまう。

「気は進まないかもしんねーけど……でもずっとここにいるわけにもいかねーだろ?」

 最大限傷つけないようにと配慮した彼の不器用な言葉選びが私の胸に突き刺さる。私は動こうとしない体を意志に反した鞭で叱責し、無理矢理に立ち上がらせると、公園の出口へとそれを向かわせた。

 夏の蒸し暑い空気とは裏腹に、凍り付いた時間が流れる。ただ淡々と、ややもすれば止まってしまいそうな速度で帰路を辿る中、幼馴染の彼は文句の一つも言わず、ただペースを合わせて歩いてくれていた。

 〝私〟はそんな彼の一連の行動の理由をこの〝体〟の記憶に求めてみた。すると、「一人暮らしだから遅くなっても全然平気」だとか、「お前の家からかなり近いところに住んでるから大丈夫」などの彼の言葉が比較的最近の記憶から掘り起こされる。だが、それらは彼がその行動をとる直接的な理由にはならなかった。

 記憶をたどる中、徐々に浮かび上がってきたのは彼と過ごした小学校時代の記憶だった。

 「幽霊だー」といじめられ、校舎裏でうずくまっていた私を、屈託のない笑顔で遊びに誘ってくれた記憶。いじめっ子たちを相手に「幽霊ならなんで触れるんだよ!」と、いかにも子供っぽい舌戦を挑んで庇ってくれた記憶。そんな次々に溢れ出す彼と過ごした時間の記憶が、辛うじてこの〝体〟が踏みとどまっている理由を〝私〟に告げていた。とても安らかな追憶だった。

 しかしそのささやかな安寧すらも邪魔するかのように坂道はその勾配をきつくし、その時の到来を予感させた。血の気が引くような悪寒と鼓動の加速、そして呼吸の乱れ。〝体〟に刻み込まれた拒否反応が時限爆弾のような正確さと毒のごとき陰湿さをもって私の体を蝕んでいく。気づけば、私の足は完全に止まってしまっていた。

 私の肩に隣に立つ彼の手が触れた。制服越しに伝わる彼の手の温もりは、凍りついた私の体を温めるのにはあまりにも頼りない。だがそれでも、温かい何かがそこにあるというだけで変わるものがあるのは確かだった。

 私は長い時間をかけて呼吸を可能な限り落ち着かせた。それから死地に赴くかのような面持ちで生唾を呑むと、目の前に聳える急な勾配のついた坂をゆっくりと上り始める。

 坂の頂上より少し手前にある脇道で曲がり、数百メートルも行けばそこに私の家がある。彼とはいつもこの脇道に入るところで別れることになっていた。

「じゃぁまた明日、学校で」

 俯き、無言を返すことを知ったうえで、彼はいつもこの〝体〟にそう声をかけてくれていた。そうして彼は手を振りながらわざわざ上ってきた坂道を駆け下りていく。私はその姿が見えなくなるまで彼を見送り、それからやっと捨鉢な諦念だけをよすがに暗い脇道の奥へと足を踏み入れた。

 築五十年以上は経っていそうなボロアパートの一室。三人で住むにはあまりに狭い空間。そこが私の帰らなければいけない場所だった。家の玄関の前にたどりつく数秒手前、その怒鳴り声は薄い壁を容易く貫いて私の鼓膜と体を震わせた。

「ビール補充しとけっていったよなぁ!? このクソ女! 今すぐ買ってこい! まだ殴られ足りねぇのか! あぁ!?」

 罵声を轟かせる男のだみ声と同時に、何か重たいものが床に倒れる鈍い音がする。数秒して、逃げるように飛び出してきた女性が玄関の前で躓き、戦慄して佇立する私の前で地面に手を突いた。その女性は私に気がつくと、この世の憎悪をすべて込めたかのような目で私を睨み、立ち上がりざまに意味もなく私を乱暴に突き飛ばすと、逃げ去るように敷地の外へと出ていった。

 何の手入れもされず、ただ伸び放題になった茂みに倒れこんだ私は、植物の葉で切れた手を気にすることもなく、落としたカバンとジャージの入った袋を拾い上げ、今女性が飛び出してきた玄関の中へと足音を殺して入っていく。しかしどんなに足音を殺したところで意味はない。行きつくところは既に決まっていた。

「おい、酒買ってくるまでは――って、テメーかよ幽」

 居間に入ってきた私を見つけるなりその男は極めて不機嫌そうに立ち上がり、私の前に立つと、いきなり胸倉を掴んで私を部屋の奥へと引きずり込んだ。そしてたてつけの悪い襖を強引にこじ開けると、そこへ私を突き飛ばし、臭いものに蓋をするかのように勢いよく押し入れを閉じきってしまう。突き飛ばされた先で、大雑把に取り払われた中板の残したささくれがジャージの一部にまた一つ新しいほつれをつくった。

 この〝体〟の今朝の記憶とは異なり、押し入れの中にはビールの空き缶だけでいっぱいになったゴミ袋が一つ増えている。ただでさえ狭い私の部屋はそれによってさらに窮屈になり、悪臭が立ち込めていた。

 嚙み切ってしまいそうなほどに唇を強く噛む。声を出してはいけない。ここでは泣くことすら許されない。ただ小さくうずくまって耐えること以外、私にできることは何もない。

「もう……イヤ……」

 〝私〟はこの〝体〟の不幸と〝私〟自身に課せられた転生という悪夢を同時に呪った。


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