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小説『転生なんかクソくらえ』 第11話 過ぎなずむ九月

 閲覧室は図書館の角に位置しており、直角を成す二面は腰よりも高い部分がガラス張りになっていた。ガラス張りの壁はだいたい南の方角に面しているので、天気が良ければ電気をつけなくとも十分な光を取り込むことができそうだが、今日は生憎の曇り空なので室内の蛍光灯がその代わりを担っている。

「ただいま。飲食オーケーだってさ」

 一階のカウンターに飲食の可否を訊きに行った彼が、戻ってきてドアを開けながらその結果を報告した。十中八九飲食禁止なのだろうと思っていた私は純粋に驚きを示す。

「ここ、普段から職員の昼休憩場所として使ってるらしくてさ、だから『資料を汚さないように注意してくれれば問題ないです』って」

 随分寛容な図書館だなと思いつつ、私はカバンから弁当箱を取り出して新聞から離れた机にそれを置いた。彼も道中で買ってきたと思しきコンビニ弁当をレジ袋から出し、その包装を剥がしている。

 作業していた時とは異なり、四人用の机の半分を占めるようにお互いに向き合って座る。作業中は隣に座っていた方が新聞の向きを変えたりせずに情報を共有できるのでそうしていたが、そういう実利的な理由がないのであれば隣に座る必要はない。むしろ、私が彼の隣に座ってはいけないような気さえしていた。

「沙夜ってさ」

 食事を初めてから少しして、彼が私に声をかけた。

「この前『虐待やいじめを受けてきた人にばっかり転生する』って言ってただろ? ってことは大森さんもそうだったりするの?」

 突然の踏み込んだ質問に、私はどう返答すべきか困ってしまう。彼は「答えにくかったら別にいいんだけど」と付け足したが、最終的に隠す必要もないだろうと結論した私は、それでも簡単には口にできない言葉を選び始めた。

「確かに大森さんもかなり不幸な人だとは思います。学校ではいじめられるし、家に帰れば父親の暴力に合う生活を送ってました」

 父親からの暴力については〝私〟が直接経験したものではないが、記憶を辿ればそれがいかに凄惨なものだったかはすぐにわかる。私はその記憶に表情を曇らせつつ先を続けた。

「そんな中で唯一の救いは母でした。ちょっと頑固なところはありますけど、すごく優しくて。乱暴な父から逃げようって提案してくれたのも母なんです。でも、父から逃げたあとは家計が火の車で……。毎日夜遅くまで働いてるのに、朝は私が起きる前には仕事に出かけてるんです。母は私の前では気丈に振舞ってはいるんですけど、きっと体はボロボロなはずで……。いつか倒れてしまうんじゃないかって、そう思うと怖くって……」

 いざ口に出すと、母が倒れてしまうことへの恐怖が一気に現実味を帯び、それにすかさず〝体〟が反応して目元がじんわりと熱を帯びる。私は咄嗟にそれを手で拭いながら、まるで赦しを請うかのように弁解を始めた。

「変ですよね。〝私〟は本当は大森沙夜じゃないのに、まるで自分のことみたいに……。ごめんなさい。不快ですよね」

 〝私〟は自分がとても罪深いことをしているような気がして、たまらず彼から顔を背けた。

 今の〝私〟はさも元からその〝体〟の持ち主であったかのように振舞っている。しかしそれは、〝私〟が五十沢幽だった時に彼に対してやっていたことと同じだった。そんな姿が彼にどう映るかなど、もはや考えるまでもないことだった。

 長い沈黙が下りる。言葉だけでなく、箸を動かす音や衣擦れの音すらもなりを潜めた。外からガラス越しに小さく聞こえるトラックのバックするピーピーという警告音がやけに騒々しい。

 暫くして、彼がペットボトルを掴んでその中身を一口喉に流し込んだ。そして飲み口から口を離すと、神妙な面持ちでゆっくりと話し始める。

「転生ってさ、アニメみたいに意識が違う人に乗り移ってその人の体を自由自在に操れるようになる――みたいなのを想像してたけど、よく考えたらそんなわけないよな」

 彼が話し始めたのは、こともあろうに〝私〟に仕組まれた不幸な運命に関することだった。

「だって、その人の脳を使ってものを考えてるんだろ? だったらその人の考え方の癖とか、そういう影響があるって方が自然だろ」

 彼はそう言ってコンビニ弁当の唐揚げを一口頬張ると、それを咀嚼し、飲み込んだ。

「だからその点について責めたりする気はねーよ」

 彼のその言葉には大森沙夜として存在している〝私〟に対する優しさと、それ以前の〝私〟に対する怒りの二つが混在していた。「その点については」という限定が、彼の中に以前の〝私〟に対する怒りが今なお燻っていることを厳然と物語っている。その事実が、〝私〟にはとても辛かった。

「で、さっき『いじめられてる』って言ってたけど、それってやっぱりこの前一緒にいた女子たちに?」

 もはやほとんど確認に近いその質問に、私は特に躊躇いもせず「はい」とだけ答える。

「やっぱみなみ達かよ。幽がいなくなったら次は――ってことか。ホント救いようねぇな」

 厳密に言えば、現在大森沙夜をいじめているのは石本みなみらではない。しかし、訂正しようがしまいがそこに大差はないだろうと思い、私はあえてそれを口にしなかった。

「まぁでも、暫くはあいつらも迂闊には動けないだろうな。なんせ今は学校側が問題の芽を摘もうと躍起になっているわけだし」

 もし彼の言う通りになるのであれば、それは怪我の功名というものだろう。私としてはいじめられていたことが母にばれてしまうより、膠着状態が長く続く方がずっと気が楽だった。

 弁当箱に視線を戻し、そこで私はもう箸を動かす気がないことに気がついた。気圧が低いせいかいまいち食指が動かず、私は弁当を半分残した状態で箸を置く。

「ん? もう食べないのか?」
「なんか食欲湧かなくって」
「体調悪いとか?」
「そういうわけじゃないですけど……」

 私はそう言って、水筒の蓋に注いだお茶を一口啜った。

「じゃぁそれ、俺が食ってもいい?」
「え?」
「コンビニ弁当じゃちょっと物足りなくってさ……」

 彼は頬を人差し指でポリポリとかきながら少し気恥ずかしそうにそう言った。

「味の補償はしませんよ?」
「それは大丈夫。俺、大抵何でも食うし」
「はぁ。ならどうぞ……」

 私はそう言って弁当箱を手でスライドさせ、彼の方に差し出した。彼は私にお礼を一つすると、すぐさまそれに箸をつける。

「え、めっちゃうまいじゃん」

 彼の発したその一言に、私は一瞬どきりとする。彼はそうとは知らないが、それは私が作った弁当だった。

「ごちそうさまでした」

 あっという間に弁当箱を平らげた彼は清々しくそう言い放つと、律儀に手を合わせていた。



 地方紙の確認作業は十四時から再開された。ひとまず今年の分は今日中に終わらせようと秘かに目標を立てた私だったが、いざ新聞に向かうと午前中のような集中力を発揮することができず、何度もこめかみを揉むことになっる。隣の彼も相当に疲れているらしく、時折ぼーっとしては、突然何かに気付いたように目を見開き、再び新聞に食いつくというような動作を繰り返していた。

 そんな様子なので、作業の進度は午前中よりもはるかに悪く、そろそろ片付けねばならない時間が近づいてきているというのに、進捗としてはやっと今年の二月分の新聞に手を付け始められたかといった具合だった。

「あ。これって午前中に言ってたやつじゃね?」

 ひたすら新聞に目を走らせ続ける行為に徐々に虚無感を感じ始めていたころ、遂に彼がそれを打破する声を上げたので、私は思わず彼の方へ身を乗り出した。

「行方不明になった西高の生徒、『探しています』って新聞に載ってるぞ。寺嶋満月てらしまみつきっていう女子生徒らしいな」

 彼が指さしたところには行方不明になった女子生徒の顔写真があり、それを見た私ははっと息をのんだ。

「この人、知ってる……」
「え? まじ?」

 驚く彼に、私は一瞬説明するのを躊躇った。なぜならそれを説明するには、午前中に場の空気を凍らせたあの名前を出さなければいけなかったからだ。

 だが、私は覚悟を決めて口を開く。

「確か〝私〟が加納紀美子だった時のクラスメイトだった人です。といっても、加納紀美子は保健室通いだったので、寺嶋さんに関してはよく保健室に来ていたなという印象しかないんですけど……」
「つーことはこの寺嶋満月って女子は病弱だったのか?」

 加納紀美子の名前を出しても全く動じず平然と質問を返してくる彼に、身構えていた私はちょっとだけ拍子抜けしてしまった。

「いえ、どちらかというと怪我をして保健室にくることの方が多かった気がします」
「いなくなった日が十二月末ごろって随分曖昧な表記なんだけど、なんか思い当たることとかないか?」
「〝私〟が覚えている範囲では特にはないですね……。年を越してからあまり見なくなったなって印象はありましたけど、そのころから〝私〟――じゃなくて、えっと……加納紀美子は不登校気味になってたんです。だからそのせいで寺嶋さんと会う機会も減ったんだろうなって思ってました」

 五十沢幽を他人として呼ぶことには大分慣れてきたが、加納紀美子に関してはまだ〝私〟として扱う意識が色濃く残っている。混乱を回避するための名前呼びではあるのだが、やはり〝私〟自身が取った行動を他人事のように話すのにはそれ相応の違和感があった。

「じゃぁ寺嶋満月に関しては結局ほとんど分からず仕舞いか……」

 彼はそう言ってため息をつきつつ、惰性的な手つきで寺嶋満月の記事を写真に収めた。私はその記事を見つめながら、当初彼が想定していた仮説について考えてみる。つまり、寺嶋満月の行方不明事件を五十沢幽のそれと関連付けて考えていいものかということだ。

 パッと調べてみたところによると、この国の行方不明者は十代に限っても一年あたり一万五千人もでているらしく、誰かが行方不明になること自体はそんなに珍しい話ではないらしい。そのため、少なくとも寺嶋満月の行方不明に事件性を見出せない限りは、それと五十沢幽の事件を結び付けて考えるのは強引と言わざるを得なかった。

 二月分の地方紙の確認を終えると、閉館時間がもうそこまで迫っていたので、私たちは片付けに取り掛かった。地方紙を古い方から順にまとめ、それを段ボールへと詰めていく。

「沙夜って明日も同じ時間にここに来れたりする?」

 机の上に広げられていた地方紙がもうほとんど段ボールに納められた頃、彼が私に声をかけた。

「大丈夫ですけど……でも当初の目的はもう果たせたんじゃないんですか?」

 今朝彼が言っていた行方不明の女子高生――寺嶋満月についての情報はこれ以上地方紙をあたっても見つからないだろうと思われたので、私は思わずそう問い返していた。

「まぁ確かにそうなんだけど……でも今俺らにできることって他にあんまりないからさ。もしかしたら他に手掛かりが見つかるかもしれないし、一応この調査は継続しようかなって」

 確かに今の私たちにできることはあまりにも限られていた。もしここで地方紙の調査を打ち切れば、私たちが情報を得られる場はもうほとんどネットくらいしかなくなってしまう。そう考えると、私も彼の提案に頷かざるを得なかった。

「しっかし……今日一日使って今年の分が終わらなかったってマジ?」

 地方紙を詰め終えた段ボールを持ち上げた彼はそう言いながら引きつった笑いを浮かべていた。実際、午後の作業で確認できた地方紙の部数は午前中のそれよりも一ヶ月分も少なくなっている。スチールラックに整然と収められた段ボールの数を再び目にしたとき、眩暈がするような感じを覚えたのはきっと私だけではなかっただろう。

 蛍の光に酷似した曲に追い立てられ、私たちが東図書館を出たのは本当に閉館時間の間際だった。私は彼が駐輪場を出ていくのを見送ってからバスを待つ人の列に加わった。整理券を取り、来た時とは反対側の席に腰を下ろす。バスが走り出すと、その振動はまるで揺籃のように溜まった疲労を刺激して睡魔を誘った。

 私は眠気に抗いつつ、来た時とは逆再生される窓の外の景色を眺め、このまま本当に時間が巻き戻ってはくれないだろうかとぼんやりと考えた。だが、それが起こるはずもない絵空事だということは〝私〟が一番よく知っていることでもある。この世界はそんなに都合よくできてなどいなかった。



 翌週の学校生活はそれまでに比べれば随分と穏やかだった。というのも、月初にも関わらず私は香苗らによるカツアゲ被害に遭わずに済んでいたのだ。どうやら彼の言っていた通り、例の動画の一件で感度が上がっている先生方を前に、彼女らも一時的に自粛せざるを得なくなったらしい。

 例のアンケートに五十沢幽のことを書いた彼は、何度か呼び出されて聞き取りをされたと言っていた。そして彼の思惑通り、学校側も夏休みが明けてから五十沢幽が一度も登校していない事実を重く受けとめざるを得なくなったようだった。

 ただ彼にとって誤算だったのは、五十沢幽の件と例の動画の件を学校側が結び付けて考えてしまったことだった。つまり、学校は自殺を企図した生徒が五十沢幽なのではないかという方向で調査を進めてしまっているのだ。これでは五沢幽は単に家出をしただけという扱いになり、今もどこかで生きていることになってしまう。

 私は自分があの動画で自殺をしようとしていた生徒ですと名乗り出ようかとも考えた。そうすれば五十沢幽に関しては突然行方不明になったという事実だけが残り、多少なりとも警察を動かすきっかけを作ることができる。しかし自殺しようとしたことが母に伝わってしまうことを思うと、私はどうしても名乗り出ることができなかった。

 だがそもそもの話、私が名乗り出る必要など本来ないはずだった。彼はあのとき誰が自殺をしようとしていたのかを知っている。彼がそれを打ち明ければ学校側のとんちんかんな推測は跡形もなく崩れ去るだろう。しかし未だに私に声がかからないことから察するに、彼はそれをしていなかった。

 私がSNSで彼にその理由を尋ねてみると、「幽が行方不明だってことを学校側に認めさせられればそれで十分だから」との返信が返ってきた。どうやら彼は五十沢幽が行方不明になっているという事実を公にすることに重きを置いているらしかった。

 一方で、私と彼のたった二人の犯人捜しも停滞の気配を帯び始めていた。日曜日に行った二回目の地方紙調査では全く収穫がなかったどころか、昨年の九月より以前は地方紙が週二部ではなく週三部発行されていたという事実が判明し、急に増えた作業量を前に私たちの気力は大いに削がれてしまった。また、東図書館を利用できない平日はネットの大海原に情報を求めたが、この手の話になると憶測やガセネタと思しき情報が飛び交っているばかりで、有力な情報はさっぱり掴むことができなかった。

 そんな八方塞がりの状況に日々気分が沈んでいく中、まるで当てつけかのように学校の空気は文化祭が近くなるにつれて浮ついていった。〝私〟は一度たりとも学校行事を楽しいと思った経験がないので、普段の授業に加えてその準備をしなければいけない時間に芯からうんざりさせられる。こんなことをしている暇があったら――と、要らぬ焦燥が私を無暗に苛つかせた。

 そういったストレスのせいか、私は日に日に本を読むことが多くなっていった。これはこの〝体〟特有のストレス解消法だったが、普段は文豪たちが遺した人の感情の機微を濃やかに描く作品を好んで読むこの〝体〟で、推理小説ばかりを読み漁っているというのは奇妙な話だった。しかも、それらの推理小説はどれもこれもまるで参考にならないシチュエーションのものばかりときているからその度合いは甚だしい。

 だが読んだ冊数が十を超えてくると、次第に推理小説を読んでいるのはもはやそういった期待のためではないのだということがだんだんとわかってくる。要は、今の私は繊細な筆運びを楽しめるような状態ではなかったのだ。だからその代わりとして推理小説を選んでいたというだけの話だった。

 こうして何の進展もないまま、私たちは九月の折り返しを迎えた。

 この間に学校側は例の動画の件で市の教育委員会に調査報告を提出し、その内容が金曜日の地方紙の一角を賑わせた。そしてこれに伴い、五十沢幽が行方不明になっていることが世間の知れるところとなった。

 その報道の翌日からは敬老の日を含めた三連休が始まった。図書館というものは律儀なもので、祝日は開館してその翌日を休みにするため、私たちは三日連続で地方紙の調査に取り組めることになる。だが本音を言えば、私はそれをあまりありがたいことだとは思えなかった。実際、三連休初日に行った五回目の調査も見事に空振りに終わり、徒労感だけが成果物となると、あと二日も連続でこんなことをしなければいけないのかという気持ちを抱くなという方が無理な話だった。

 しかしそんな気持ちをどうにか抑え込み、その翌日も私と彼は当然のことのように東図書館の前で待ち合わせをした。既に私たちの表情から覇気は失われ、疲ればかりがそこに反映されている。私たちの与り知らぬところで事件の痕跡が風化していくのではないかという漠とした不安だけが、唯一私たちをそこに駆り立てていた。

「おはようございます……」
「あー。おはよー……」

 私の沈んだ声の挨拶に、彼も棒読みに近い声を返す。もうお互いに取り繕おうとすらしないところが、成果を得られない日々の重苦しさを物語っていた。

 もしこの日の調査が現在停滞している捜査に突破口を開くことを知っていれば、もう少し気持ちのいい挨拶を交わせていたのかもしれない。私はあとになってそう思うのだった。

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