紙
夏の暮れ頃。婆様が煤けた仏壇の前で膝を畳んでいる。供えた仏飯を狙い飛ぶ蝿が一匹。婆様は両手のひらに顔を埋めている。婆様の夫は一週間前に死んだ。喪主は長男が務めた。婆様の丸まった背は小刻みに揺れる。
*
「この度は、祖父の葬儀に、お足元の悪い中……」
言葉につまりうつむいた。この男は婆様の二人いる息子の、次男の子、婆様の孫である。ぎゅっと目をつむりまた開く。コンタクトが少しずれた気がしてまぶたの上からそっと撫でた。
「祖父は、おじいちゃんは、昔の人でありました」
死んだ爺様は昭和の初めの生まれだった。孫は高校までこの地で過ごし進学で離れた。都内の大学に通っている。紙から離した目を一度前に向け、また戻した。喪服の聴衆は孫を見つめる。
「祖父には小さい頃にたくさん遊んでもらいました」
婆様と死んだ爺様の家は市の外れにある。孫は親に連れられ、正月と盆にはそこに足を運んだ。孫は今朝、新幹線で帰郷した。葬儀場の外はしとしとと雨が降っている。
「祖父との一番の思い出はお祭りに連れて行ってもらったことです」
孫は広げた紙から記憶を読み取ろうとしている。孫は前夜、都内で大学の仲間との飲み会に参加していた。本当であれば孫代表の挨拶は男のいとこ、婆様から見れば長男の娘の役目であった。孫は喪服ではなくリクルートスーツを着ている。ネクタイは父に借りた。
「その時、おじいちゃんは小学生の僕にこんな話をしてくれました」
紙は白紙である。県内の別の市で働いている喪主の娘は急用ということで不参加となった。施設は防音のため雨音は聞こえない。孫は頭の芯が痛くなり目頭を抑えた。
軽く頭を下げ孫は席に戻った。隣の席の母が男の膝をぽんぽんと叩いた。明日は旧友と会い、明後日は帰京する。窓の外はいつの間にか土砂降りになっている。あるいは最初から大降りだったのかもしれない。防音のため音は聞こえない。
孫は流れる景色を見つめる。緑々とした山の麓に急流がある。東京に戻れば見ることはできない。昨夜の酒で頭が痛む。目尻を揉むように押さえた。眠ろうと少しだけシートを傾ける。死んだ爺様のあの話の意味を孫は今でもわからないでいる。
「昔、タコ焼き買って食ったらよ、一つ噛み切れないのがあってな。思わず飲み込んじゃったけどタコじゃなくて指だったんじゃないかと思ってよ。でもな、作ってる奴の手見たらちゃんと四本あったから俺の勘違いだったんだよな」
*
わめくような、うめくような音をひとしきり立て、婆様はようやく顔を上げた。そこに西日が刺す。左目の脇には耳まで広がるしみがある。婆様は眩しそうに顔を何度か伸び縮みさせた。今まで顔を埋めていた手のひらをしげしげと眺める。鼻紙は四つ折りにされ、またズボンの奥にしまい込まれる。蝿は出産を終え仏飯から飛び立つ。婆様は手を振り回したが意に介さない。網戸の隙間へとまっすぐに飛んでいった。(1,180字)
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爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!