【1】恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~
第1話 一通の手紙
電車の揺れが、詩陽に睡魔を寄越してくる。今週も仕事が忙しく、金曜日の夜ともなると、詩陽の体は休息を強く欲していた。
詩陽は必死に瞼の重みに耐え、車窓から見える幾筋もの灯りのラインを目で追う。本当なら腕を大きく回して、固まった肩をほぐしたいところだ。
詩陽は、都内にある大手文具メーカーの企画部に所属している。小さな頃から大好きだった文具を、自分の手で開発してみたい。使いやすくて、可愛いもの。ありそうでなかった便利なアイテム。男性が持ちたくなるようなスタイリッシュなデザインのもの。詩陽の夢はまだまだこれから叶えていくところだ。
電車の速度が落ち、僅かな重力を体に感じた。下車駅のホームが見えたところで、詩陽は肩にかけていた鞄を持ち直した。
「今週もがんばりました」
詩陽は自宅マンションのエントランスから漏れる灯りを確認し、一人呟いた。独り言なんて言うタイプではないが、ようやく気が抜けることへの安堵で、思わず零れてしまった。
詩陽のマンションは、マンションと呼べるギリギリの大きさをしており、築十五年らしい佇まいをしている。詩陽としては住み心地も悪くないし、間取りも気に入っているため、不満はこれといってない。
エントランスに足を踏み入れ、ポストを開けた。中には二通のダイレクトメッセージと封筒が一通。それらを手に、詩陽はちょうど一階で止まっていたエレベーターに乗り込んだ。
よく行くショップからのバーゲンのお知らせとポイントアップデイのお知らせに目を通している間に、自宅のある三階に到着した。ポンを控えめな音をさせ、エレベーターのドアが開く。
玄関を一つ通り過ぎ、次にあるドアのシリンダーに鍵を差し込んだ。カチリと音がして、指先に振動が伝わる。無意識にホッと息を吐いて、詩陽はドアの中へと体を滑り込ませた。
アイボリーの二人掛けのソファーに鞄を置き、大きく伸びをすると、肩と首からポキッと音が聞こえた。
「すぐにお風呂に入っちゃおう。今日はどんな匂いにしようかな」
張ったままだった気を緩めるために、ラベンダーの香りに癒されることに決め、準備ができるまでの間にお茶を一杯飲んだ。
今は秋に差し掛かった季節だが、今日は季節外れの暑さだった。詩陽は社内でデスクワークに集中していたから、暑さとは無縁だったが、外回りをしてきた営業部の人たちの汗ばんだ様子が暑さを物語っていた。
その後、詩陽はいつもよりもゆっくりとお湯に浸かり、一週間の疲れを癒した。とはいえ、溜まった疲労は簡単には取れなかったから、今日はよく眠る必要があるだろう。
髪にタオルを当てながらソファーに腰掛けると、柔らかい弾力が詩陽の体を受け止めてくれた。
可愛さももちろんだが、座り心地にこだわった一品だ。基本的に物にこだわりのない詩陽だが、ベッドとソファーにはお金をかけた。その他にこだわるのは文具のみというから、無頓着ぶりもわかりやすい。
肩にタオルをかけて、セミロングの髪でパジャマを濡らさないように気を付ける。乾かさなければならないことはわかっているが、もう少しだけ座って休憩したい。
詩陽はローテーブルに置かれた封筒に気付き、まだ見ていないことを思い出した。よっこいしょと言わないように意識して、手を伸ばす。クリーム色をした封筒には宛名も差出人も書かれていない。
詩陽は首を傾げつつ、封を開けて、中身を取り出した。
「……なに、これ」
そう言った詩陽の声は少し震えている。詩陽の手の中にあるもの。それは、たくさんの写真だった。全て、詩陽が写っている。どれもカメラに目線はなく、隠し撮りされていることは考えなくてもわかった。
「こんなものまで……」
見たくないと思いながらも、写真を見ていく。マンションを出入りしているところから、駅からの道を歩いているところ。挙句に、カーテンを閉めようとしているところや着替えている様子まで。着替えの場面は、偶然、カーテンに隙間があったのだろう。普段はしっかり閉めているはずだから、一度や二度、狙っただけでは撮れないに違いない。
「どうしよう。怖い。気持ち悪い」
そんな呟きと共に、パジャマの胸元に染みが滲んだ。滅多に泣くことのない詩陽だが、大きく震える体やパニックになっている思考には理由がある。
詩陽が中学を卒業した春だった。詩陽はストーカーに付きまとわれ、外出することも電話に出ることもできなくなったのだ。このまま高校に通えず、家に閉じこもってしまうのではと、誰もが思っていたが、ある人の支えがあって、詩陽はなんとか立ち直ることができた。
手にしていた写真を投げると、テーブルに届かなかった写真が数枚、足元に落ちる。
パニックになっている詩陽の頭の中に、明確に浮かぶのは一人の人物。いつもいつも助けてくれるのは、彼だけだ。おかしな人だが信頼はしているし、こういう時に浮かぶ唯一人の人間であることは確かだ。
詩陽は震える手で鞄からスマホを取り出し、帰り道を心配していた幼馴染へ電話をかけた。
