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Rainbow⑦【note創作大賞2024/オールカテゴリ部門】

第7章 月光
 
「光」――エリーシャから真里に出されたテーマだ。
 ドラァグクイーンショーを三日前にして、ショーの会場となるフサキリゾートホテルのライブ会場で真里の試験が行われた。
 真里は与えられたテーマに沿ってダンスの大まかな構成を組んだ。舞台上はまだ明るいが、暗闇に差す一筋の光を真里は想像した。その光に縋るように地を這い、手を伸ばし僅かな光を掴もうとする姿を、真里はエリーシャの前で表現した。
 ダンスが終わると、エリーシャは真里に大きな拍手を送った。
「合格よ。この短期間でコンテンポラリーダンスを使いこなすなんて、あなたは、化け物ね」エリーシャは、時折咳をして話しをした。二週間前よりもその姿は痩せ衰えて見える。
「エリーシャさん、体大丈夫ですか?」咳き込むエリーシャに、真里は心配な表情で聞いた。
「私の心配は、いいのよ。それより、立花の所へ行って衣装の寸法合わせておいで。あと、今夜はここで仲間を集めるからあなたもおいで。仲間にあなたのことも紹介するから」エリーシャの咳は話すたびに酷くなっているようだった。
「分かった、分かったから。少し横になった方がいいんじゃないですか?」真里の言葉にエリーシャは、何かを察した。
「もしかして、咲人から何か聞かされたの?」
「いや、別に何もないです」真里の目が泳いでいるところをエリーシャは見逃さなかった。
「やっぱり! あれほど他の人には言うな。って念を押したのに。……まあ、知られたんじゃ、しょうがないわね。あなたには、病気の症状のことだけ話しておくわ。あなたは、私専属のサポートとして働いてもらうから。そのつもりで聞いてちょうだい。でも、千夏や南乃花には、その時が来るまでは内緒よ。いい?」真里は頷いた。すると、エリーシャが優しく囁くような声で話してくれた。
 エリーシャの病気は、鼻と喉を中心に症状が出る。鼻血や口内炎が頻繁に起こり、薬を飲んで抑制している。後には病気の症状はさらに広がり、聴覚や視覚を奪うだろう。と、エリーシャは伝えた。
「真里、たとえ私が倒れても、このショーを続けてちょうだい! Show Must Go Onよ!」そう伝えてエリーシャは、真里の手を握りしめた。
 細くて冷たい手に、真里は涙を堪えるので精一杯だった。

***

「ドラァグクイーン」と言っても一括りにはできないことを、その夜真里は知ることとなった。昼間にエリーシャと居た場所は、夏至南風(かーちばい)というグリル料理を楽しみながらライブを観ることのできる会場だ。
 今夜はドラァグクイーンショーに出演する何名かで前々々夜祭と称してライブが行われた。これはこじ付けであって、ただ単に皆で盛り上がりたいだけの夜を過ごすのが慣例となっている。
 真里は、千夏や史。南乃花や咲人も一緒にライブ会場に来ていた。エリーシャは、ステージの前のテーブル席に座っていた。
 エリーシャは、真里を見つけると手招きして側へ呼んで、舞台へ上がるようにと言った。そして、エリーシャは司会の立花からマイクを預かり皆の前で話し始めた。
「誰かこの子の名前知ってる?」「知らない!」
「可哀想に、迷子みたいなの。まだ名前すらない。誰かこの子に最高にセクシーな名前を考えてあげて!」エリーシャはそう言ってマイクを観客席の方に向けた。すると、すぐに返事が来た。
「マリー」没。「メアリー」また没。「フェアリー」あらかわいいわね、キープ。「ジョセフィーヌ」それはあんたの昔のドラァグネームでしょ!「フェラーリ」それ乗ってどっか遠くにお行き!
 間髪入れずに掛け合いをするエリーシャと仲間達が面白くて、真里は腹を抱えて笑った。
「つまんないわね! じゃ、ヒントを上げる。この子は、これから世界を飛び回って自分の表現力で多くの人を笑顔にするの!」エリーシャがそう言うと、また返事が来た。
「アーシャ!」ちょっと待って!それってヒンディー語よね? アーシャ、希望。希望よね!いいわ。この子の名前は、「アーシャ」みんなで名前を呼んで!ほら!「アーシャ!」会場全体に真里のドラァグネームが響き渡った。
「アーシャ、いい名前をもらえたわね! その名前を大切にしなさい。アーシャ」エリーシャは、真里の肩を叩き舞台を降りた。
 真里のテーブルには、ドラァグクイーンの仲間達から次々にグリル焼きされた肉が届けられた。咲人が言うには、名前をもらった今日が誕生日だからだそうだ。「ハッピーバースデー、アーシャ」と言いながら、皆が自分のプレートから肉を分けて、真里の元に届けてくれたのだ。真里たちのテーブルはすぐにいっぱいになり、父親の史と咲人が一所懸命に食べていた。それでも食べきらない量の肉がまだ目の前にあった。
 真里は会場全体を見て思った。エリーシャのように普段は派手な衣装を着ていない人や煌びやかな衣装で来ている人。カップルで来ている人もいた。また普段の業種も皆バラバラだった。看護士や介護福祉士、会社員や僧侶。皆、普段は仮初の自分を演じていると言っていた。ドラァグクイーンになって、派手な衣装を纏い今を楽しむのが快感だと真里の近くに座っていたドラァグクイーンが言っていた。
 真里は以前に「ドラァグクイーン」についてインターネットで調べたことがある。1870年頃のイギリス演劇で男優が女装して長いドレスを床に引き摺り歩く様子から「ドラァグ」と言う言葉が生まれたようだ。その後、ゲイカルチャーの中で同性愛者やトランスジェンダーの人たちがドラァグクイーンの世界を広げていった。今では、女性のドラァグクイーンや異性愛者のドラァグクイーンもいる。真里は不思議に思った。彼らは、ただ自身の表現方法として「ドラァグクイーン」を選んだ。真里がダンスを選んだのと同じように。だけど、同性愛者やトランスジェンダーの社会の風当たりは厳しい。どうしてなのか? 誰もが自分の人生の主役であっていいはずで、自分で悩んで悩んで決断した生き方なのに、他人から容赦のない言葉を浴びせられたりする。男性か女性か。世界は二分の一で分けたがる。まるで真里が進路決めのときに「進」か「就」で悩んでいたように。人生がそんな単純明快で一生を終えるのなら、果たして楽しいのだろうか? 以前なら、それしかないと諦めていたように思うが、今の真里には二分の一しか選択肢のない世界はひどく狭く思えてならない。
「これから世界を飛び回って自分の表現力で多くの人を笑顔にするの!」
 エリーシャが皆の前で言ってくれた言葉に真里は胸が熱くなった。私もエリーシャのように、世界を回り多くの人を笑顔にすることができたら、どんなに素晴らしいだろうか。真里は、素晴らしい未来を脳裡に浮かべ、心の温まりを覚えた。
 舞台上では、派手でおかしなリップシンクやお笑いのようなライブが続いていた。エリーシャは、その一つ一つに、拍手をし声援を送っていた。真里はエリーシャを見つめていた。昼間とは別人のように振る舞っているエリーシャを見ていると、真里は胸が締めつけられた。
 エリーシャが席を立つタイミングで真里は席を立ち、エリーシャの元へと向かった。ライブ会場の裏側は浜辺になっていて、夜空には三日月が掛かっていた。
 エリーシャと真里は、二人で浜辺を歩いた。
「ねえ、『エリーシャ』っていうドラァグネームの意味は何?」真里はこれまで聞いたことのなかった話をした。
「『救い』よ。もとはエリシャというの。それがいつの間にか、エリーシャになった。心はね、聞いた言葉で作られるの。だから、『エリーシャ』って名前を自分以外の人から呼ばれることで、自分の心に言い聞かせているの。『人々を救う人になれ』ってね。そうやって今まで生きてきた」
「エリーシャは、心が強いんだね。私ならすぐに挫けそうだよ」
「ううん、私はそんなに強い訳ではないわ。目の前で死んでいった仲間もいるし、救いの手を最後まで握りしめることが出来なかったこともある。その度に挫けて泣いて。……私がここまで来られたのは、やっぱりみんなのおかげよ。みんなが『エリーシャ』って私の名前を呼んでくれるから、私はまた立ち上がり前を向ける!」エリーシャはサンダルを脱ぎ、裸足になり砂浜を歩いた。昼間の猛暑の残りが足裏に伝わってくる。
「そういえば、ずっと気になっていたことがあるんだけど。……エリーシャが三年前にここに来たのは何故?」真里は夜の海を見つめていた。
「……」
「エリーシャ?……」エリーシャからの返事はない。真里は不吉な予感がして後ろを振り返った。すると、エリーシャが砂浜で倒れていた。真里はすぐにエリーシャの側まで駆け寄り、助けを呼んだ。
「エリーシャ! エリーシャ! 誰か! エリーシャが! 助けて! 早く助けて!」真里の叫び声にライブ会場から人々が出てきた。そして倒れているエリーシャを見て驚き慌てた。ドラァグクイーンの中から看護士をしている人が駆け寄りその場を仕切った。救急車の手配や意識の確認などを行い、救急車が来るまで間、エリーシャの容態を確認していた。
 しばらくして、救急車が到着し千夏が付き添いで乗り病院へ向かった。真里と史は、救急車の後に着いて自家用車を走らせた。
「エリーシャ死なないで! お願い!」真里は月桃の茎で作ったお守りの「サン」を握りしめ祈った。
「朋樹さんの体は、そんなに悪かったのか?」史がハンドルを握り聞いた。
「朋樹じゃない! エリーシャよ!」真里は怒鳴った。
「おいおい、名前一つでそう怒るなよ。ただの名前だろ?」史は興奮している真里を宥めようと落ち着いたトーンを心掛けて話した。
「違う! エリーシャは『救い』なの。ただの名前じゃない! 願いの込められた大切な名前なの! エリーシャは、エリーシャなの。……」真里は自身では、もはや抑えきれない感情を史にぶつけていた。涙が次から次へと込み上げてきて、胸が痛くなった。サイドミラーに映る三日月のように、心の大半を闇に持って行かれた気がした。真里は再び強く「サン」を握りしめ祈った。
 目を閉じると、エリーシャの優しく微笑む顔が真里の瞼の奥に張り付いていた。

***

 消毒液の匂いが染みついた壁に囲まれ、ベッドに横たわるエリーシャ。真里と千夏、そして史はベッドを囲み座っていた。真里はエリーシャの冷たく痩せ細った手を、温まめるように握りしめていた。

 千夏は救急車の中で、咲人から電話を受けていた。
「エリーシャの病気は『上咽頭がん』なんです。病院に着いたら、医師にそう伝えてください。俺と母さんもすぐに病院に向かいます。……え、でも。……分かりました。そっちは千夏さんに任せます。……はい、エリーシャさんをよろしくお願いします」
 千夏は咲人と南乃花に、エリーシャの容態が落ち着いていることを伝え、後日お見舞いに来てほしいと頼んだ。千夏は咲人にはもう一つお願いをした。それは、エリーシャの仲間たちにも「エリーシャは無事だ」と伝えてほしいと。咲人は、納得してくれ電話を切った。
――「いつでも、どんなときでも、どこに居ても、助けに行くよ。君がそう望むなら」千夏はエリーシャが言ってくれた言葉を思い出していた。
「死んじゃったら、助けに来られないでしょ。……自分の命を最優先に考えてよ。あなたは『エリーシャ』なのよ。自分の命ぐらい、救ってあげなさいよ。……」千夏は唇を噛みしめ、鼻を啜った。両手でエリーシャの冷たい手を握りしめながら。

 エリーシャが目を覚ましたのは、次の日のお昼前だった。千夏と真里が病室でエリーシャが目を覚ますのを待っていた。
 エリーシャは、目の前が白く霞んで見えることに気づいた。いずれはそうなると覚悟していたけれど、まだ先のように思っていた。ベッドの上で、「最後に見た景色は何だったろう?」とぼんやりとした頭で考えていた。
「エリーシャ! お母さん、エリーシャが目を覚ましたよ」真里の声が聞こえてきた。そういえば、真里と話しをしているときに意識を失ったんだっけ? 朧げな記憶だが、真里の笑顔が白く霞んだ視界に見えたような気がした。
 医師が病室にやってきて、エリーシャの状態を確認した。医師は上咽頭がんによくある症状の一つとして白内障のことを真里と千夏に説明した。エリーシャは、声が出し辛いようで、話すことが出来なかった。もしかしたら喉にも影響が出てきているかもしれない。と医師は病室から出る際に付け加えた。
 夕方になり、咲人と南乃花が病室を訪れた。その頃には、エリーシャの意識も随分と明瞭になり、明後日のドラァグクイーンショーのことを心配していた。
 エリーシャは掠れた声で、咲人にショーの準備の進捗状況を聞き指示を伝えていた。咲人は、変わり果てたエリーシャの姿を見て涙を流していたが、エリーシャに気づかれないように、それを拭おうとはせず、メモ帳に筆を走らせた。

 その次の日に、マネージャーの立花がいつもの白スーツでフルーツのたくさん入ったバスケットを持って現れた。目を隠すためにサングラスを掛けたエリーシャは、「ありがとう。変わりわない?」とだけ聞いて、あとはしばらくの間、二人とも黙ったままだった。千夏は、立花の持ってきたフルーツを切って二人に食べさせながら、「有名人とマネージャーの関係以外に何かあるのではないか?」と思うのであった。
 立花が席を立つと、エリーシャは手で彼を呼び内密な話しをするように口元を手で隠し、立花の耳元で話した。話しを聞くと立花はただ頷き、病室を去っていった。
 千夏はエリーシャに聞いてみた。
「立花さんとエリーシャは、どんな関係なの?」するとエリーシャは、掠れた声で「分身」とだけ告げた。
 千夏は、ますます訳がわからなくなった。恋人でもなくそれ以上の関係でもない。
 エリーシャは、千夏の戸惑う顔を想像して笑った。
 久しぶりに見るエリーシャの笑顔に、千夏も安堵の笑みを浮かべた。

 明日は、エリーシャが企画したドラァグクイーンショーが開催される。しかし、医師からは、一週間の安静を取るようにと言われている。残念だが、エリーシャはショーには出られない。エリーシャは、おそらく自分の代役を立てているだろう。
 真里は「練習に行く」と言って朝は史にフサキリゾートホテルまで送ってもらっていた。もうすぐ練習が終わり、帰りにここへ寄るだろう。
 千夏は、汚れ物などを袋にまとめていると、病室のスライドドアが開いた。「真里、……」と言って止めた。ドアには、真里の姿は無く史だけが立っていた。
「あれ? 真里は?」千夏が不思議に思い聞いた。
「明日が本番だから、咲人くんともう少し練習してから帰るって。帰りは咲人くんのバイクに乗っけてもらうって言ってたよ。あ、エリーシャさん。体調はどうですか?」史の言葉に、千夏は呆れた。
「ちょっと、年頃の娘をイケメンと二人きりにするなんて、正気なの? しかもバイクで二人乗りして帰ってくるんでしょう」千夏が何故怒っているのか分からず、史はエリーシャを見た。するとエリーシャは、左手の親指を立てて「Good job!」とサインを送っていた。
「もう!」千夏は、ベッドシーツの上に持っていた袋を投げ置いた。

***

 咲人は、エリーシャに変わって舞台演出の指揮を執ることになった。年間十以上も大規模なイベントを開催していたエリーシャ。咲人は十五歳の頃からそのサポート役としてエリーシャの側で彼女の仕事を見てきた。舞台演出や出演者との微細な打ち合わせまで。エリーシャは、その全てを咲人に教え込んでいた。――病気のことも。
 石垣島ドラァグクイーンショーを明日に迎え、エリーシャから頼まれたことは全てやり終えた。しかし、不安なことはまだまだある。当日に豪雨や機材トラブルなどが起きた場合の対処やクレームへの対応は、まだ経験したことがない。出演者からのクレームだって有り得る。咲人は、改めてエリーシャの偉大さを思い知らされた。
 夜のライブ会場に行くと、真里がダンスの練習をしていた。彼女には才能がある。白保海岸の浜辺で初めて彼女のダンスを見たときは、粗雑な動きが多くて見ている方が恥ずかしくなった。だが、何故か目を惹かれるものがあった。それは彼女の内面から溢れ出てくるもの。それが何なのかははっきりと分からない。でも、エリーシャの言葉で言うならば、「ジャズのように生き、ブルースのように語られる人生」なのかも知れない。
 ジャズとは「即興」、そしてブルースとは「悲しみを希望に変える」という意味がある。エリーシャの言う、それは人生の生き方のことを言っていると思うが、真里の描き出すダンスを見ていると、おそらくそれらの要素が入っているのかもしれない。咲人は、まだ自分の考えに確信を持てずにいた。
「咲人さん、見てたんですか?」真里は舞台上から会場の隅にいる咲人に気が付いた。
「あ、いや。何というか。……考え事してたんだ」
 真里は一瞬残念そうな顔をしたが、次の瞬間には明るい表情へと切り替わっていた。
「何かまだ手伝えることありますか?」
「いや、無い!」自分に言い聞かせるようにそう言うと、咲人は真里と同じ舞台に上がり、ピアノの前に座った。
「ピアノ、懐かしいな。エリーシャとのレッスンのとき、エリーシャがピアノ弾いて、何度も踊らされたよ。『違う!』『もっとイメージしなさい!』って」咲人は、ピアノを指で鳴らした。
「真里、一曲付き合ってくれない?」咲人は真里に優しい顔を向けた。
「いいけど、何を弾くの?」真里が返事をすると、咲人はピアノを正面にして座り直し最初の何音かを弾いた。
「ドビュッシーの『月の光』、エリーシャが何度も弾くから覚えちゃって。これしか弾けないんだけどね」
 真里はペットボトルの水を一口飲み、目を閉じて喉を伝う水を感じながら、「月の光」を想像してみた。
 咲人が合図を送る。真里は再び目を閉じ、音の気持ちを感じ取ろうと全身を研ぎ澄ませた。
 真里が集中しているのを見て、咲人はピアノを弾き始めた。――
 
 十四歳でエリーシャと出会った咲人は、モダンバレエに飽き飽きしていた頃だった。
 咲人は型通りに踊ることに違和感を感じていた。だから、クラシックバレエよりも自由度のあるモダンバレエに挑戦してみたが、それも次第にモダンバレエの型にはまってしまう自分のダンスが嫌いだった。母親の南乃花は、日本の伝統の教えである「守破離」という型が咲人の思考を混乱させていると感じていた。「守破離」とは、日本の「道」の極め方を説いた教えである。師範の技を守り、少しずつ発展させ、独自の新しい技を作り出す。これが、一連の流れである。しかし、咲人のように「離」を追究する者にとっては、「守」も「破」も要らない。それぞれの良いところだけを抜き取り、自分のアレンジを加えてモノにする。咲人の考えは、ダンスに対してだけじゃなく生き方にしても同様だった。中学校の校則や上下関係、男女差など。「らしく」や「みんなも」という一括りにされる生き方に激しく反発していた。南乃花は、咲人の苦しみを理解できる人は日本にはいないと思っていたそんなとき、南乃花は雑誌の記事で「エリーシャ」を見つけた。海外で活躍する日本人ドラァグクイーン。
 南乃花は、すぐにアメリカ行きのチケットを買って、エリーシャに会いに行った。煌びやかな衣装を纏い歌って踊るかつての朋樹先輩は、咲人の求める「自由」の象徴のように南乃花には見えた。その後咲人は十四歳で渡米し、エリーシャからコンテンポラリーダンスを習うことになった。

 真里は、音の質感を聞き分けるのが上手いなと咲人は思った。同じ「ファ」の音でも指の落とし方一つで変わる。だから、音の質感を聞き分けることで、明るいのか暗いのか。深いのか浅いのか。を、瞬時に読み取り表現の構成に加えていく。それこそまさに即興であり「ジャズ」なのだ。
 ふいに、咲人の目頭を熱いものが込み上げた。何故こんなにも感情が溢れ出てくるのだろう?
 真里のダンスは、咲人の感情を引き出して音を絞り出していく。咲人は、悲しみに暮れていた頃にエリーシャと出会ったときのことを思い浮かべていた。ロサンゼルス空港で、迎えに来ていたエリーシャに、挨拶もせずそっぽ向いて歩いてた。車に乗り家に着くまでの間、ずっと窓の外の月ばかりを見ていた。「月が好きなの?」そう聞いたエリーシャに、「別に! 好きなものなんか何も無い」と答えたら、車を高速道路(フリーウェイ)で突然停めて、エリーシャは咲人の顔を真っ直ぐ見て言った。
「あなたが何を好きになろうが、何を嫌いになろうが、それはあなたが決めることだから口出しはしない!けど、胸張って好きだと言えるものがないのは、私は許さない! 嫌いなものばかりに囲まれた人生なんて、生きる価値もない! いい、好きなものが無いなら、まずは自分自身を好きになりなさい! そうやって好きなものを一つ一つ増やしていけば、気づいた時にはあなたの人生が豊かになっているはずよ」
 その言葉で俺は変われた。俺はエリーシャに救われたんだ! 希望の光が最後の鍵盤に落ちる。
 曲が終わり、真里が咲人の元に駆け寄った。
「どうしたの?」
「真里のダンスが、あまりにも美しくて涙が止まらなかったんだ」と、ぐしゃぐしゃな顔で咲人は笑った。
「もう、いつまでも子ども扱いしないでよね!」真里は膨れた顔を見せた。
「史さん、迎え遅いね」咲人はピアノを片付けた。
「あの、……実は、お父さんに咲人さんのバイクに乗せてもらうからいいって、メールで伝えちゃいました!」ニコッと笑う真里を、咲人は冷ややかな目で見つめた。

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