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モノンクル/Shin Sakiura/ぷにぷに電機 2025年3月28日(金) 下北沢ADRIFT

ある日、ライブハウスで仲良くなった人から聞いた。「打ち込みは手抜き」って言ってる人がいるらしい。 そんなの、本気で言ってる人いるの?と目が点になった。

私にとって“打ち込み”は、息をするように自然で、緻密で、センスの塊みたいな世界。 それを“ライブじゃない”と切り捨てる感性があるとしたら、それはきっと、体験不足か偏見だと思う。

3月28日に観た、モノンクルとShin Sakiuraとぷにぷに電機。 誰ひとりとして“バンド”という形式ではなかったけれど、それぞれのやり方でちゃんと“演奏”してた。 そして私は、体ごと揺らされてた。言い訳無用の、最高の夜だった。


モノンクルのライブは、音が動いていた。躍動していた。

MIDIコントローラーを自在に操る角田さんと歌唱で魅了する沙良さん。 その姿はまるで二人でひとつの楽器を奏でているようで、 角田さんの指先から繰り出されるタイミングと音色のコントロールに、思わず見惚れてしまった。

そしてその音の上で、沙良さんの圧倒的な歌声が自由に泳いでいた。 しなやかで力強く、感情の波をそのまま音に変えたような歌唱。

打ち込みであっても、その場でしか起きない“演奏”だった。 誰かの手で鳴らされているという実感が、全身で感じられた。


Shin Sakiuraのステージは、派手なアクションがあるわけではない。
けれど、音が空間を満たしていくたびに、確実に“ライブが進んでいる”実感があった。

たとえばある1曲では、静かなトラックの上にギターの音が一滴ずつ落とされていくような感覚があった。 手元に視線を向けた覚えはないのに、気づけば音の方へ身体が引き寄せられていた。

自分を“見せる”演奏ではない。むしろ、自分は後ろに引いたまま、音だけが前に出ていく。 そのバランス感覚が、ライブというより空間作品に近い没入感を生んでいた。

「あ、またこの曲もシンサキさん…」 気づけばそんな瞬間が増えてきた。 作曲にアレンジにプロデュース、気づけば私の生活の裏側には、だいたいShin Sakiuraが潜んでいる。

たぶんそのうち、“Made in Shin Sakiura”の水とか出てきても普通に飲んでる。 いやむしろ常温で常備してるかもしれん。日常に溶け込みすぎてて。

そんな生活の片隅の人みたいな存在のくせに、 ライブではギターのヘッドにぬいぐるみ(ワドルディっぽいやつ)ぶら下げてて、 それが演奏中ずっとユラユラ揺れるもんだから、私の目線が猫みたいにそっちに吸い寄せられてた。

音を丁寧に重ねていくその姿勢と、揺れるぬいぐるみのゆるさ。 そのギャップに、なんとも言えない“人間味”を感じてしまって、 気づいたら、音だけじゃなく“人”ごとまるっと好きになっていた。


ぷにぷに電機は、PCからトラックを流しながら歌うシンガー。

他の2組のようにMIDIコントローラーを操るわけでもなく、楽器を手にしているわけでもない。 けれど、その佇まいには“演奏”と呼びたくなるほどの表現力があった。

ステージにはキーボーディストがひとり。 少人数編成ながら、その演奏は単なるトラックの補完ではなく、ライブ全体を支える柱のようだった。 でも一番の“生”は、彼女の言葉だった。

柔らかい声。丁寧な言葉選び。 観客の間をそっと撫でるような話し方と表情。 そのすべてが、音楽と地続きだった。

トラックが鳴っていても、“誰かのために届けよう”という気配がそこにある。 それこそが、ライブの心臓だと思う。

そして、シンサキさんとの共同楽曲が多いぷにちゃん。
何気にシンサキさんとのコラボを大いに期待していたけれど、ぷにちゃん曰く、「シンサキさん売れっ子過ぎて…」という事だった。
合わせる時間がとれなかったみたいで非常に残念。SYNCRONICITYは出番が前後なんだけど、コラボあったりするかなぁ…諦め悪くまだ期待をしてしまう。


打ち込みだろうが、生演奏だろうが、 ライブを“ライブ”にするのは、結局は人の気配。 そして、あの日の3組には、その気配がちゃんとあった。 機材じゃなく、人が音を鳴らしていた。

偏見や思い込みじゃなくて、ちゃんと自分で感じたものを大事にしていける人が人生楽しめるよね。

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