生まれて初めて一人で居酒屋に入った日(エッセイ、4507字)
私はウクレレを弾いて歌うのが好きです。
独学、我流ですが、1年半余り
練習を重ねて来ました。
今日も自転車に乗って遠いですが
とても広い公園に行きまして、
一人でウクレレ弾き語りをしました。
演奏するのは自作曲、オリジナルの歌です。
20歳過ぎから音楽を作り続けて
30年くらいになります。
一人で演奏しておりましても、
特に聴かれることはありませんでした。
どこかで聴いてくれる人を探したい。
以前から目を付けていた居酒屋を思い付きました。
昔で言う、『流し』みたいな感じで
演奏させてもらえないだろうか。
とても小さな居酒屋です。
カウンターは3人程度座れますし、
小さなテーブル席が2つ。
入口の外から、
入ろうか入るまいか、
一人で初めての店に入るのは
勇気が要りましたけれども。
店内は2人のご年配の男性が居りました。
思い切って中に入りまして、
「あの~、あまり飲めないのですけど、
ええですか?」
店の女主人、歳は60前後くらいでしょうか。
少し怪訝な顔つき、笑みは浮かべながらも
戸惑っている様子でしたが、
「どうぞ」と、
まあ何とか入れた訳でした。
少しやり取りをして、
チューハイを頼むことにしました。
私はお酒が飲めません。
ノンアルコールもメニューに
ありましたけれども、思い切りました。
お酒はともかく、
ここでウクレレ弾き語りがしたい。
女店主はカウンターに座って
飲んでいる客二人と談笑していました。
私は奥のテーブル席に座ったのですが、
私の方も気に掛けてくれているご様子。
会話の途切れた合間に
冷奴やゴーヤチャンプルなども
頼みまして、ビール杯とでも
申しますか、大きなジョッキに
氷の詰められたチューハイを
ちびちび飲みました。
さて、早速酔いが回ってきました。
「お兄さん、顔が真っ赤!」と、
大丈夫?みたいなお声と
ちょっと笑みも零したのでした。
「真っ赤か・・・。」と
私も笑って応えました。
もうしばらく粘ろう。
無理がありましたが、おかわりをしました。
頭の中はぐでんぐでんですが、
飲んでいる内はまだひどい酔いには
なりませんでしたので、
店内を見つつ、女店主と
会話するチャンスを伺っておりました。
私は愛想良く振る舞いました。
客が、一人、二人と
帰っていくときにも、
「おじゃましました」と
明るく申し上げました。
客は常連でしたが、私は一見です。
気を遣いました。
しばらく、女主人と二人だけに
なりましたけれども、
会話はありませんでした。
やがて、また一人年配の男性客が
入って来ました。
私は会釈をしました。
客層ですけれども、
私が見た3人さんは、
終止和やかな飲み方をしていました。
昔ながらと申しますか、
女店主と会話を楽しみながら飲むお店です。
「それ、ウクレレ?」
女主人に聞かれて、
よし来た!と思いまして、
お話を進めました。
なるべく愛嬌を振り撒きながら、
はっきりとした声で、
女店主とお客さんと打ち解けるよう努めました。
地元の居酒屋でしたので、
話もお客さんと弾みました。
「まあ、うちと近い所に住んでるね」
などなど。
もうかなり打ち解けて来てはおりましたけれども、
私の酔いも相当来てました。
今夜は充分話せた。また来れたら。
「すみません、お勘定お願いします」
「大丈夫?歩き?」
「はい。歩きですけれども、
母の家に自転車を預けて、
ここまで歩いて来ました」
「帰りは自転車、押して帰ってね」と
優しいお声がけをいただき、
お客さんにも
「どうもすみません。お邪魔しました」と告げて、
店を出る準備をしました。
「今日は話さなかったけど、
次はめちゃくちゃ話し掛けるからね」と
女店主は笑いながら言いました。
「そのウクレレも聞きたい。
1曲500円?」
「いえいえ、お金など取りませんよ」と
軽い冗談を交わして、店を出ました。
よし!目標達成したぞ!
顔も覚えてるからね、とも言われて、
すっかり私も上機嫌でしたが、
酔いは相当回っていました。フラフラ。
近くに母の家があるのですけれども、
千鳥足で何とか辿り着きました。
このままわが家まで帰るのは無理だな。
お母さんの家で少し休ませてもらおう。
お互い一人暮らしでした。
私、母、そして妹も
近くに住んでおりました。
今日くらい、母に甘えたいもんだ。
私は、日々母の様子を伺って、
家によく行っていました。
母の具合の悪さをいつも聞き、
受け止め続ける日々でした。
手の掛からない子。
昔、母はそう言いました。
そう、私はいい子。
常に気持ちに応えるのが
当たり前のようになっていて、
おそらくは物心ついた時から、
親には何も言えない私でした。
自分から甘えに行ったことは
一度も無いというくらいに
両親と向き合って来ました。
それが家族の中での私の役割。
そう信じ込んで生きて来ましたけれども、
父にも母にも甘えられない私は、
精神的に病み、医者に掛かることに
なりました。
20代後半の事でした。
病気と付き合いながらも。
父に逝かれて13回忌が過ぎていました。
私は50代、母ももうすぐ80に
手が届きそうな、そんな関係ですと、
母の事を見なければならない意識が
さらに私の心に覆い被さりました。
何度か、ぶつかったこともありました。
でも、充分には甘えられませんでした。
母がポロリと言いました。
「私も母からの愛情が少なかった」
私はまた、何も言えませんでした。
母の言動には、正直飽き飽きしていました。
常に私に問う。
ちょっとでも意見しようものなら、
私は間違ってない、と正論を
振りかざすのでした。
およそ、母の不安感から来るものだろうことは
伺い知れる気がしていましたが、
私が子供の頃からそんな調子ですと、
たまったものではありませんでした。
どこにもやり場が無い。
でも今夜だけは、甘えさせて欲しい。
私が酔っ払っている姿を見るなり、
母は感情的になりました。
「どうするの?!
帰れるの?!
タクシー呼ぶ?!
自転車では帰れないでしょ!
もう!どうしたらいいの!
救急車呼ぶ?!」
またでした。
私にいつも決めさせる。
大丈夫と伝えないと安心しない。
私は酔っていました。
もうこりごりな気分で
テレビを見つめて、こう言いました。
「ちょっと、うるさい」
「あなた、テレビ苦手でしょ!
聞いてるの!?
おっちゃん!?おっちゃん!?」
私は今夜は関わらないことに
決めました。
知らん。休ませてくれ。
母は動悸が始まりました。
不安感でいっぱいになりました。
母は、すぐ妹へ電話をして助けを求めました。
間もなく妹が来ました。
私にとっては、まだ話せる相手でした。
「ちょっと眠った方がいい。
別室に行って。」
多少の会話のあと、そう言われ、
私は従いました。
妹にも悪かったですが、
もう立ち上がるのも困難な状態でした。
「もどさないから、大丈夫」と言いますと、
「いや、そっちの方がかえって危ないよ」
と言われました。
私はよろよろと別室に向かい、
妹が座布団と軽いシーツなど
寄越してくれました。
母の家でくつろいだ気分にはなれません。
私は眠れませんでしたが、
横になって、ぜいぜい息をしました。
妹は明日も仕事があるので、
「帰るね」とだけ言い残して
帰りました。
朝まで寝てた方がいい、とは
言われましたけれども、
私は母の家には居たくありませんでした。
少しでも回復してくれ。
自分の家に帰れるか、自信は
ありませんでしたが、
何とか立ち上がるくらいにまでは
なったので、
またよろよろとしながら、
荷物を持って、玄関を出ました。
涼しい風。
少しだけほっとしましたけれども、
歩くのは大変。
横の壁に手を付いて、少し休んだりしながら、
自転車の所まで何とか辿り着きました。
自転車を押して帰るのは、
とても時間が掛かりました。
私の家までは1キロメートルくらいは
ありました。
時間は午後11時近くになっていました。
危ない場面も何度もありましたけれども、
奇跡的に家まで帰れました。
5月中旬、
家の中が少し暑かったので、
エアコンの除湿を点けました。
そのまま部屋で横になって、
少し着込んで2時間ほどは眠れました。
起きますと午前3時を過ぎていました。
だいぶアルコールは抜けていました。
それでこの文章を書いています。
母には、迷惑や心配を掛けてしまった。
でももう私にはどうすることも出来ん。
どこまで行っても、『求められる』ばかり。
母の気持ちを斟酌する余裕はありませんでした。
私はただ、飲んでしまってしんどいので
母の家で休みたかっただけです。
私は、何を思えば善いのか。
諦念は呆れるくらいに思ってきました。
確かに、母の母、私にとっては、
祖母に当たりますが、
愛情に薄かったことは認めます。
でもそれを息子の私にまで
負わせて欲しくはなかった。
そういう『連鎖』は
どこかで何とかしなければならない。
母と私を混同してはいけない。
母はきっと具合をより悪く
していることでしょう。
一晩が経って、私はまた、
『普段通りの』私になっています。
謝った方がええのかな。
それは私の本心だろうか。
泣きたいのに泣けない。
そんな私の人生は
半生を過ぎています。
なぜこんなに苦しいのか。
ほんとは兄として、
妹にも何かしてやれた思いが
昔からあったりもしました。
私は常に余裕がありませんでした。
もういい子でいるのに疲れました。
最初から何かが間違っていたのかもしれない。
今までは生き切りました。
でも昨夜だけは、甘えたかった。
今は冷静になっていますけれども、
でも何を言いたいのか、
私はどうしたいのかを考えてしまいます。
いろいろやって来た。
辛いこと、いっぱいあったけど
何とか乗り越えて来た。
ささやかな幸せ。
そういう物に目を向けて
希望を失わず、生きて来た。
おおよそは、自分で考えて生きて来た。
母親とは、どういう生き物なのだろう。
母親の気持ちとは、
子供の私にとって、もしくは
母自身にとって、どういう意味を持つのだろう。
軽い動悸を抱えながら、
私は独りの部屋で休んでいます。
母の家に行きたくない訳ではありません。
親は母、そして亡くなりましたけれども、
父親、この二人です。
私は逃げたくない。
『休むこと』が、いよいよ大切な季節を
迎えているのかも知れません。
後悔はありません。
私にも出来ることと出来ないことがありますし、
止むを得ない事も多々あります。
母とは、もっと距離を置いた方が
いいのかもしれない。
私の性格、人格。
不確かな中にも信じるものはあって。
世の中、社会と関わる中で、
私は何を覚えてきただろう。
50年も私的に生きて来ますと、
ある種の諦観と達観をします。
自分のしたい事が見えなくて、
でも『動くこと』で見えて来るものも
あるなど思い。
今回の母との関係は、まずい事に
してしまいましたけれども、
私はこれからも失敗や経験を経て、
幸せな人生を生きたいと希求する者です。
お読みくださりますお方へ。
4000字を超えました。
正直申しまして、あまりに気分の良くなる
文章とはならなかったことを
お詫び申し上げます。
私はウクレレを聞いて欲しかった。
私自身の気持ちはそれだけでした。
乱文を失礼いたします。
これをお読みの方の内に
何かを感じ取り、
そして今ここにある自分の
お話に耳を、目をお通しくださったことに
感謝申し上げます次第です。
生きるというのは、
ひとつの意志を通すことである他、語る事は無し。
そんな結びとしたいと思います。
どうぞ悪しからずです。
つる 拝
いいなと思ったら応援しよう!
私の愛と自由の情報に
価値を見出されましたならば、
チップをどうぞよろしくお願い申し上げます。