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『誰がために花は咲く』第二話(第一章 名も無き花~エスターの物語~)

 軍勢の先頭を切り、テセの王都の城壁の門をくぐったのは日焼けしたがっちりとした黒髪の大男だった。その男、ヴォーグは、隊を整列させると、その体に似合わずひらりと身軽に馬を下り、隊を待ち構えていた女王セシリアに拝謁するや、野太い声で率いてきた軍勢に叫んだ。

「解散! 家族のものどもに会いに行くなり、女を抱くなり、好きにすれば良い。3年もの国境警備勤務、皆、ご苦労であった!」

 途端に、わぁっ、と歓声が上がり、一礼のち、隊員はわいわいと賑やかにと王宮の門をくぐり抜けていった。少しの間が空き、広場にはテセ国女王セシリアとヴォーグが残された。

「良く還ってきました。おつとめ、ご苦労様でございます」
「……いやいえ……かたじけのうございます……」

 そこに、堅苦しい挨拶を繰り広げるふたりの様子を笑いながら、セシリアの弟、セヲォンが勢いよく駆けてきた。

「良く還ってきたなヴォーグ、この日を待っていたぞ!」

 満面の笑顔である。
 いまは双方国の要職につく身とはいえ、幼なじみ同士故の気安さが場を和ませた。
 ほどなく、3人は席を女王の私室に移し、茶を飲みながら、再会の喜びをひとしきり語り合うことにする。窓からの木漏れ日が暖かい、心和む午後のひとときだった。

 やがてヴォーグの国境勤務の話題が途切れたところで、セシリアが思い出したようにこう言った。

「……これで疫病を治す薬草さえ見つかれば、民も我らもこの数百年に渡る苦境を克服できるというものですが……」

 途端に沈黙が茶席を支配する。いったい、我々はあとどれだけ苦しめば……誰もが無言のうちに抱えている想いが、3人のいつ尽きるともない会話を止めさせた。あわてて、セヲォンがそれを打破するかのようにセシリアに向き合った。

「姉上、薬草が見つかるまで、あと一歩ですよ。薬師たちからも、探索の者たちからも、あとは、決め手になる成分を持つ薬草が見つかれば、と報告を受けているではないですか」
「そうなのですが……先日探索に出した者から妙な噂を聞いたことは、お前も知っているでしょう?」
「妙な噂?」

 ヴォーグは日焼けした顔に、怪訝な表情をうかべてセシリアを見た。そこでセシリアの代わりに語を継いだのは、弟のセヲォンである。

「うむ。どうやら我々の他にも、決定打の成分を有する薬草を、求めてる者がいるのだ」
「それは知っている。隣国、ガザリアの者どもだろう。そのことで俺がいた国境でも小競り合いが絶えなくてな」

 ヴォーグは何を今更という顔でふたりの姉弟を見やる。それを受けてセシリアは控えめにつぶやいた。

「そうではなく」
「ほかに?」
「どうも奇妙な者なのです。その行動が」
「うむ?」

 そこで茶をすすりながらセヲォンが説明を続けた。

「ガザリアが、薬草があると思われる地域を荒らしまくっているのは知っているだろう」
「ああ。そのための国境警備でもあったからな」
「そのガザリアの荒くれ者に占領させた村に忍び込み、どうやっては知らぬが、ガザリアの者どもに挑み、その結果、村を解放してしまう者がいるらしいのだよ」
「ほう。義賊だな」

 ヴォーグは感心したようにカップを口元から離した。

「それが……そうでもないのだ。村を解放したあと、その土地の長老に薬草について詰問し、答えられないと容赦なく斬ってしまうとか」

 顔をしかめながらセヲォンはカップの縁をはじく。

 キイーン、という澄んだ音が部屋に広がる。ヴォーグはあんぐりと口を開けた。

「……解放者にみえて、とんだ悪魔だな、そいつら……」

 ところが、そこでもっとセシリアはヴォーグを驚かす情報を呟いた。

「それが……大人数の賊で無く、たったひとりの賊らしいのです」
「……ひとり! ……ひとりでガザリア勢を蹴散らして村を解放するのか! 凄腕だな、そいつ」

 ヴォーグは流石に呆れたと言わんばかりに茶を一気に飲み込み、感嘆した。

「何者なのでしょう……?」

 セシリアはやや不安げにふたりに視線を投げた。

「いまのところ全く正体不明です。ただ確かなのは……」
「そいつも疫病を治癒する薬草を追っている、ということか」

 ヴォーグが合点したとばかりに口を挟んだ。

「そのとおり」
「会ってみたいものだな。そいつに俺が殺されなければ、だが」
「国境警備隊の長、ヴォーグ殿がなにをおっしゃいます」

 不安を一転させて、セシリアはそう、ころころと微笑んで、茶をすする。

「恐縮でございます。ですが、本心です」

 女王にからかわれて、ヴォーグは赤くなって、真顔で答えた。その様子を見てセシリア、そしてセヲォンも声を合わせて笑う。茶会は、何百年にも及ぶ疫病の不穏な広がりを一刻でも忘れさせるかのごとく和やかに、長らく王宮の午後を彩った。

「罠を仕掛けてみようと思うんだ」

 すっかり時刻は夜となり、ヴォーグが王宮を辞して宿舎に帰ろうとすると、セヲォンが送っていくと申し出、夜の帳のなか、ヴォーグとセヲォンはふたりきりで王宮の庭園を歩いていた。
 その時のことである。セヲォンはそう少し微笑みながらつぶやいた。

 ――こいつ、それが言いたくて俺を送ると言い出したな。
 
 ヴォーグは直ちにセヲォンの意図を察し、苦笑しながらランタンの光越しにセヲォンを見やった。

「あの義賊気取りの何奴かを、引っ捕らえるのか」
「そうだ。興味がある」

 ほう、と一息ついてヴォーグはセヲォンをただす。

「大義名分はあるのか? 興味がある、だけでは軍は動かせんぞ」
「村を解放するのは良いが、そのあと村人をたたっ斬ってしまうのは民心にも恐れを与え、よろしくないだろう。それに大々的に軍を動かすつもりはない。ごく少数の精鋭で十分だ」
「ふむ」
「他人事のように言うなよ」

 セヲォンは立ち止まってランタンを庭の縁石に置いた。ちょうど庭園の中程、噴水のある中庭までふたりは来ていた。ヴォーグも足を止め、またもセヲォンの言いたいことをその瞳のなかに認め、呆れたように言った。

「……俺に参加しろと?」
「ちょうど軍も休暇だ。幼なじみのたっての願いに応じるのも一興ではないか」
「……ほう……他には誰が?」
「俺も参加する」
 
 さらっと重要なことを微笑んだ顔のまま言いやがる。こいつはいつになっても変らんな。ヴォーグはそう言い出したいのをこらえつつ、セヲォンに向き直った。

「王弟自ら出るというのか……! セシリアさまが何と言うか…」
「姉上には秘密だ、言うなよ」

 ヴォーグはやれやれというように手を振り、噴水の脇に腰を下ろし言った。

「さては、俺を共犯に仕立て上げるつもりだな」
「よく分かっているじゃ無いか。それにお前も興味があるだろう、何者なのか」

 セヲォンは微笑みを崩さずヴォーグを見た。その笑みは多少人が悪く見える。

「……お前こそ、よく分かっているな。俺を」

 ヴォーグは参ったとばかりに手を挙げた。それを見てセヲォンもにやりと笑う。軍の最高機関が軍議をしているというか、それはかつて遠い昔の話、たわいのない悪戯を計画していたあの頃の幼いふたりに戻ったかのようであった。

 ふたりは改めて向き合い、ひそひそと作戦を練り始める。静寂のなか、噴水の水しぶきとランタンの光だけがふたりの秘密の会話に耳をそばだてていた。


「どうも落ち着かぬ」

 それからひと月ほどの後、ヴォーグとセヲォンはガザリアに近い小さな村の宿屋にいた。

「落ち着かないのは奴の気配のせいか? それとも怖じ気づいたか?」

 セヲォンは、ガザリア風の衣装に身を包みながらヴォーグに問いかけた。
 ヴォーグも大きな体をもぞもぞとさせながら、衣装を纏い、窓の外に目を向けている。

「何を言うか。俺が落ち着かないのはこの衣装のせいだ。どうも他国の服は着慣れぬ……」
「俺だってそうだ。仕方なかろう。奴をおびき寄せるにはガザリア人に扮せねば」
「そりゃそうだが……」

 空の色は漆黒、夜ふけの空気は冷たくふたりを包む。窓の外には、昼のうちに、宿屋の屋根にくくりつけたガザリアの旗が翻っている。もちろん、ふたりの手によるものだった。

「奴は来るよ」

 暖を取ろうと薪を手にしたヴォーグにセヲォンは言う。

「一昨日、ここの隣村がガザリア人に狙われた。あとはいつものとおりだ。どこからともなく奴が現れ、ガザリア人どもをにして追い出した」
 
 ヴォーグは薪を握りつつ、視線を床に向けたまま黙っている。

「そうだ、いつものとおりだった。奴は賊を追い出すと、村の長に薬草のことを問いただした。そして長が知らぬと答えるやいなや、首をはねた」
 
 ヴォーグの茶色い瞳が微かに色をなした。

「……そこまで徹底している奴だ。なにがそいつをそこまでさせているのが分からぬが、恐ろしい執念だ。だから、このガザリアの旗を見逃すはずは無い」

 セヲォンはそこまで一気に話すと、腰の短剣に手を当てながら口をつぐんだ。ヴォーグは沈黙を守りつつ、部屋を見回していたが、ふと気がついて、セヲォンに尋ねた。

「……あの部屋の隅にある瓶は、なんだ?」

「先ほど村の娘が、置いていった。この村で作った上等の酒だから、景気付けにでもとな。そんな気分でも無いから、放ってあるがな。飲みたいか?」

 ヴォーグの目の色が今度ははっきりと変った。さっと瓶の栓を開け、中をのぞき込み、鼻を近づけるやいなや、声を押し殺してセヲォンに告げた。

「こいつは……毒酒だ」
「なんだと!?」
「間違いない。国境警備の際、ガザリアより遠くの大陸から来たという商人から押収したことがある。あのときの酒と同じ匂いだ」

 とたんにふたりの間の空気が冷えた。
 そして、身構える間もなく、次の瞬間、天井を突き破ってきた槍がセヲォンの頬をかすった。同時に、どおーん、と轟音がして天井が割れた。そこから次に見えたのは鋭い剣のきらめきだった。
 
 その光を目に捉え、ヴォーグはとっさに手にしたままだった薪を投げ返すと、カーン、と鈍い音がして、瞬時に薪がはじき返される。すかさずヴォーグも剣を抜き、天井から降ってきた刺客に立ち向かうべく体勢を整えた。
 
 果たして、もうもうと上がる埃と木片の中に立っていたのは、緑色のマントに身を包み、亜麻色の髪を振り乱し、剣を構えながら、ヴォーグとセヲォンのふたりをにらみつける……背の低い青年……いや……違う……。

「女!?」

 驚きの声がセヲォンとヴォーグの口から上がった。女はそれに応えず黙ったまま、今度はヴォーグの胸元めがけて、剣を振り下ろしてくる。女の鋭い眼光がヴォーグの目に映ると同時に、交わった剣が火花を上げた。

「ヴォーグ!」

 セヲォンは驚きのあまり思わず声を上げた。ヴォーグの剣の強さは王国で一二を争う。瞬間で相手とけりをつけるのを何回も目にしてきた。そのヴォーグと対等に戦っている。相手が女であるということよりも、セヲォンは何よりそれに驚愕し、叫んだ。

「ヴォーグ、気をつけろ、強いぞ、そいつ!」
「わかって……いる!」

 修羅場と化した宿屋の一室に緊張感が走る。当のヴォーグも、驚きを禁じえなかった。

 ――こいつ、俺の剣を防ぎやがった!

 ――それにもしてもなんて目をしてやがる、まるで獣だ。憎悪がそうさせているのか? だとしたら、お前は何を憎んでいる? 俺では無い、その向こうの何を、睨み付けているのだ? 

 ヴォーグの意識はついつい女の眼光に引きつけられる。
 
 ……いかん! とヴォーグは剣先に意識を戻し、力を一気に込めた。宙に、カァーン、と弾きとんだのは女の剣だった。しかし女は引かない。今度は胸の短剣をかざしヴォーグを襲う。が、そのとき、セヲォンが動いた。素早く女の背後に向かったセヲォンの剣が唸り、女の背中を突いた。
 たまらず、女は声を上げ、床に転がった。そして、動かなくなった。

「……死んだか?」
「いや、貫いてはいない……」

 ふたりはしばしの静寂ののち、倒れた女に駆け寄った。亜麻色の髪の下の目は固く閉じられていたが、たしかに、微かだが、息はしている。傷の深さを確かめようとヴォーグが女のマントを脱がすと、ほそい体が現れ、胸と背があらわになった。

「ほんとうに女か……」
「いや、ヴォーグ……それより背中の傷を見ろ、膿んでいる。この女は病に罹っている」

 ヴォーグは思わず飛び退いた。それを見てセヲォンが静かに言った。

「とにかく、俺たちの作戦は終わりだ。こいつを王宮に連れ帰ろう、丁重にな。何かを知っているかもしれぬ」

 ヴォーグはやや顔を青ざめながら、無言で頷いた。
 宿屋の穴の開いた天井から夜風が、すうーっ、と吹き込み3人を包みこむ。
 
 静かに女の亜麻色の髪が床を、撫でた。

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つるよしの いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。