いとしのふきのとう
ふきのとう を 手に入れた!
「ピロリン♪」とアイテムゲットの効果音でも聞こえてきそうな、高揚感に満ちた朝だった。
私の家から駅までの通勤路には、軒先で野菜を売っているお家がある。
ほとんどの野菜が100円と、スーパーで買うよりもずっと安い。
だから、手作り感ある棚は私の出勤時には大抵空っぽ。週に一度か二週間に一度買えればラッキーという大繁盛っぷりだ。
売られている野菜が何種類もあるのも、人気の理由のひとつだろう。
初夏はミョウガ。夏はきゅうりにナス、枝豆。秋になればカブとほうれん草。そして冬の今は白菜にネギ。
このお家で野菜を買うようになってから、旬がしっくりと身体に馴染んできたような気がする。
キンキンに冷えた風がガンガンに顔の上半分に当たる、曇天の朝。
コートにマフラー、手袋にニット帽の上から耳あてと、完全防備の私は、いつものように自転車でその家の前を通りすぎようとした。
が!
ネギ残ってるじゃん!
立派な長ネギが棚の下段を埋めていることに気づいて、急ブレーキをかける。
野菜が残っているのは、お天気が悪いからかもしれない。雨の降る日や不穏な曇り空の日には、野菜を買える率が少し上がる傾向がある。
自転車のスタンドを立てて、ほくほくと棚に駆け寄った。
すると。
「春の薫り! ふきのとうです」という小さな張り紙の隣に、ちんまりとした黄緑色の塊が6〜7個ずつ入ったビニール袋が並んでいた。
ふきのとう!!
わあ! ふきのとう!!
園児が握りしめた折り紙みたいにきゅっと小さく、あどけないフォルム。
いかにも春の訪れを告げんとするかのような、福々とした若草色。
昔スーパーで見かけたふきのとうはパックに行儀よく詰められていて、しかも値段もなかなか高くて、内心「よほどの春好きじゃないかぎり買わないだろうな」と思っていた。
けれど、いま目の前にあるふきのとうは7つ入りで100円。
しかも、しかも! 超かわいい。
これは買うしかない。
ネギ(3本100円)をエコバッグに収め、その上にそっとふきのとうを乗せる。
その数軒先で今度は大根(2本100円)を見つけ、それもエコバッグへ。
大根に潰されてしまわないように、ふきのとうは手持ちのカバンに移し替えお弁当の上に乗せてみる。
そうこうしていたら、いつも乗っている電車の時間が近づいていた。
慌てて計300円の戦利品をカゴに収めて、駅へ向かう。
ホームに立って、はじめて知った。
出勤時間にネギを持っていると、けっこう浮く。
ラッシュの時間帯は過ぎてはいるものの、電車を待つ人たちはそこそこいる。幾本かの視線を感じてその場でネギをへし折りたくなったが、折った時に放たれる臭いを考えて思い留まる。
そういえば以前Twitterで、「ネギの入った袋を持つ=家事してますアピール」が議論されていたことがあったような。
詳細は忘れてしまったけれど、その思考回路を持った人間がこの車両にいたらマズい。
私は決して「家事してるアピール」をしたいわけではない。
周囲が私から感じ取るべきなのは「一度家に帰って野菜を置いてくればいいのに、それもできないほどギリギリの時間に出勤しやがる怠慢女アピール」であるし、どうせアピールするなら「◯◯さんちのお野菜、めっちゃ安くておいしいんです!しかも今日はふきのとうまで売ってたんです!」と熱烈にアピールしたい。
手持ちカバンを開いて、中に鎮座するふきのとうを乗客みんなに見せて回りたいくらいだ。
ふきのとうのあまりのかわいらしさに、私はすっかり浮かれていた。会社に着いてみんなに見せびらかし、ロッカーにしまったあとも時々見に行ってにやにやした。
完全に、小動物を拾った時と同じ動きである。
帰りの電車に乗ったあたりでようやく、調理への不安がひっそりと芽吹いた。
スーパーに一瞬だけ並ぶ、ちょっとお高いふきのとう。唐突に自分の人生に絡んできた激レア食材を、どう調理したらよいものか。皆目見当がつかない。
しかも早めに調理した方がいいって、どっかで読んだことがあるような……。
そんな記憶をたぐって行き着いたのが、有川浩の小説『植物図鑑』だった。

26歳のOLのさやかと、彼女の家の前で行き倒れていた「けっこういい男」イツキが野草を摘み、食卓を囲みつつ恋を育んでいく物語。
和やかな朝ドラ的雰囲気からの突然の濡れ場に、当時高校生だった私はひどくドギマギした覚えがある。主人公二人のコンデンスミルク並みの甘ったるいやり取りに胸焼けして、以来すっかりご無沙汰していた。
あの頃は「ちょうど私の10個上かぁ…大人だなぁ」と見上げていたさやかとの年の差もみるみる縮まり、いまや同い年。
さやかと同年代になった今、まさか自分もふきのとうを調理することになるなんて。
そんな感慨にふけりながら調理シーンを探してページをめくり……見つけた!
茹でこぼしたフキノトウを水でさらし、さらに力任せに絞って水気を切った。そうしてソフトボール大になった緑色の固まりをみじん切りにし、そのみじん切りをさらにごま油で炒め(中略)そこへ持ってきてイツキが投入したのは味噌である。しかもフキノトウと同量、つまりソフトボール大の。更に砂糖とみりんと酒、一味唐辛子が投入され(中略)中華鍋の中にはぐつぐつ沸騰する焦げ茶色の液体があるばかりである 。
なるほどなるほど。
調理の段取りをイメージしつつ、材料を書き出す。
茹でたふきのとうを刻んで油と味噌と砂糖、みりん、酒、一味唐辛子で炒めりゃいいのか。
砂糖は蜂蜜で、酒は白ワイン、一味唐辛子はチリペッパーで代用できるかしら。
よし。
腕まくりをして、ふきのとうに向き直る。

ううっ。
こんなか弱き春の使者を、私は今から切り刻むのか。片手に乗ったふわっと柔らかな蕾はヒヨコやハツカネズミを思わせるいたいけさ。これを茹でて絞って刻むなんて、残虐にもほどがある。
「何⁉︎ これ何⁉︎ あたしが摘んできたあのかわいいフキノトウはどうなったの⁉︎」と抗議したさやかの気持ちが、今なら痛いほどわかる。できることならずっと冷蔵庫に置いておいて、ふきのとうのまるっちさを愛でていたいくらいだ。
けれど、恐る恐る味噌を舐めた彼女の「白いごはん欲しい。ばっけ味噌ってこれ?」という変わり身の早さに「ばっけ味噌」のおいしさが窺えて、惹かれてしまうのもまた事実。
心を鬼にして、ぐらぐらの熱湯にふきのとうを突き落とす。途端に鍋から立ち上る、青々とした香り。さっと冷水にさらして、ぎゅっと握りしめる。
まな板に横たえられた黄緑の塊があまりに哀れで、自分でやったくせに少し泣きたくなった。
が、生きものを食べるとはそういうことだ。覚悟を決めて包丁で刻み、フライパンに投入。そして同量の味噌と適量のみりん、蜂蜜、ワインにチリペッパーを加えて炒めると……いやもう、見事な茶色。かつての若草色の蕾なんて、見る影もない。
しかしその頃になると味噌の焦げる匂いに食欲が疼きだし、ふきのとうへの申し訳なさはどこへやら。
火を止めるや否や味噌をさっそくご飯に乗せて頬張ると、しっかりしたふきのとうの苦味が鼻腔を抜け、味噌の甘さが舌に広がった。

どうしよう、めっちゃうまい。
わしわしとご飯をかっこんだあとで冷奴にも乗せ、そのあと味噌をつまみにビールを飲んだ。
しみじみとばっけ味噌を噛み締めながら、大人になってよかったと思った。
高校生の頃だったら、たぶん私はふきのとうのかわいさに負けて、ばっけ味噌を作らなかっただろう。
「超〜かわゆいけれど、これは食材」と心の一部で冷静に判断できたのは、「米に合うっつーことは、酒にも合うに違いあるめえ」というオヤジ臭い勘が「ばっけ味噌を食べてみたい」と強く訴えかけてきたからだ。
はたして喜んでいいものかはわからないけれど、たしかな成長の実感であった。
そしてもうひとつ、自分に「大人」を感じた出来事があった。
かつてあんなに赤面した『植物図鑑』の大人なシーンを読み返したら、「あらあら」としか思わなかったのだ。
あの頃は親に読まれないようにブックカバー代わりに新聞紙をかけて本棚の奥に隠していたのになぁ(まるでエロ本扱い…笑)。
これもまた、たしかな成長の実感であった。
【2021年3月1日、追記】
後日「ネギ=家事アピール」の議論は、もちぎさんのツイートから広がったことが判明。ネギが背負っているものは、思いのほか重いらしい。
この前ラーメン屋でどういう話の流れか分からないけど、大学生くらいの子が「スーパーの袋にネギ入れるような家事してますアピールのあざとい人間キライだわ〜」って言ってるの聞こえてきて、めちゃくちゃ驚いたわ。
— 望月もちぎ (@omoti194) October 21, 2019
ネギが家事してます世間アピールってなによ。あたいこの前無心でネギ60本運んだわよ
